「 何と読むでしょう?」 というクイズをよく見かける放出駅 ( はなてんえき ) を、
通り過ぎることは数知れず、今回初めてこの駅を降りました。
 
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工事しているな、と思っていたのも10年以上前で、こんなにきれいな駅になって
いたとは知りませんでした。
 
100mほど東に歩くと、やたら派手な看板のお店があり、ここが参道の入口です。
 
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御神門に向かって右に、灯篭が建てられていました。
 
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お陰燈籠。
 
この灯篭は、1868 ( 慶応四年 ) 年に 建立されたお陰燈籠です。 
お陰まいりという伊勢神宮への参詣を記念して建立されました。
 
江戸時代に入ると、1650 ( 慶安三年 ) 年 からほぼ60年周期で、たくさんの人々が
集団で伊勢神宮に参詣する、お陰まいりという現象がおきました。その間は仕事を
放り出してしまうなど、無頼な御祭的性格が強かったようです。 幕末の民衆運動である
「 ええじゃないか 」 と関連付けて考えられることもあります。
 
現在大阪市内に残るお陰燈籠は、この阿遅速雄神社の境内に残る一基のみです。
お陰まいりを今に伝える貴重なものです。
 
大阪市教育委員会
                               ( 境内説明文 )
 
それほど古い燈籠とは思えなかったのですが、150年前のものです。
「 ええじゃないか 」 という映画を35年ほど前に観ましたが、ストーリーは憶えて
おりません。 
 
緒方拳さんやクレージーキャッツの犬飼弘さん、「 太陽に吠えろ 」 の露口茂さん、
今村昌平監督、というそうそうたるメンバーの映画でしたが、これほどまで記憶に残って
無い映画も珍しい。 まあ、駄作といえるものだったと思います。
 
「 ええじゃないか騒動 」は、幕末の描くドラマにも度々登場しますが、描き方が難しい
のでしょうね、どれも唐突的に 「 ええじゃないか 」 を踊りまくるシーンが登場するように
感じます。 私は 「 ええじゃないか騒動 」 を理解していません。
 
御神門をくぐると、右に御神木の大楠。
 
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天然記念物  くす  鶴見区放出東 阿遅速雄神社。
 
老樹であるが四季を通じて枝葉なを旺盛で風雪に耐え、境内に荘厳の風を添えている。
幹回り目通り十九尺二寸 ( 約6m ) 樹高約五十尺 ( 約16m ) 
枝張約九十八尺 ( 約30m ) より、社頭の森厳を加え当方に於ける名樹である
 
 
大阪府教育委員会 
大阪府古文化記念物保存顕彰規程により昭和18年8月23日天然記念物指定。
 
昭和二十七年三月  大阪府教育委員会 
                            ( 境内説明文 )
 
その奥に手水舎があります。
 
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狛犬は架けられた 「 よだれかけ 」 に戸惑っております。
 
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式内社 阿遅速雄神社 摂津国 東生郡鎮座 
現社名 阿遅速雄神社 
祭神 阿遅耜高日子根神 ( あじすきたかひこねのかみ ) 
    八劔大神       ( やつるぎのおおかみ )
社格 郷社 
 
阿遅速雄神社
 
御祭神
 
  阿遅耜高日子根神(迦毛大神)
  草薙御神劔御神霊(八劔大神)
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草薙御神 御動座奉斎。 千三百年記念大祭。
 
天智天皇 ( 668年 ) 新羅の僧道行熱田宮より草薙御劔を盗み帰途、
難波津にて大嵐に遭ひ古代大和川口放出村に漂着、これ御神罰なりと恐懼し、劔を
放り出し逃げ去る、のち之を当社に合祀奉斎す。
 
朱鳥元年 ( 686年 ) 勅旨により熱田宮に奉還す、されど其の御分霊は永遠に当社に
留まり給ひて、中御門天皇の享保八年 ( 1723年 ) 御神階正一位八大明神に奉幣
せらる。その後も朝廷の尊崇摂津古図に浦明神とあるは、即ち是なり。
 
御神劔奉還のことは 「 熱田大神鎮座記 」 と 「 熱田大神宮御遷宮諸事留 」 の考証
による。 昭和四十三年 ( 1968年 ) は御神劔動座より千三百年に当たる、依って
十月六日の吉日を卜し謹みて記念祭典を奉斎す。
 
この日熱田神宮より奉幣使参向、出雲大社宮司参拝、浦安の舞、御神ゆかりの出雲
神代神楽 ( 簸の川 ひのかわ ) 等の奉納あり。祭儀荘厳神人和楽以て盛儀を終へ
奉る。 この記念大祭に終始協賛の誠を尽くされたる氏子並びに神社関係各位の謝意を
表紙、茲に建碑の辞とす。
 
昭和四十三戌申歳 十二月吉日建之 阿遅速雄神社 宮司 寺園千枝 ・総代一同
 
                                 ( 碑文  )
 
劔を放り出した場所だったので、「 放出 」 という地名になったのですね。
 
産湯稲荷は、天児屋根命十三世後胤の大小橋命 ( おおおばせのみこと ) ・意穂命・
阿遅速雄命 ( あちはやおのみこと ) がお生まれになったところで、産湯として使った
井戸が祀られてありました。
 
三男:阿遅速雄命が先祖の阿遅耜高日子根神を祀るために建てられたのが、このお社
ということなのでしょう。 旧東生郡は、阿遅耜高日子根神の後裔が治めていたのですね。
 
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拝殿からの眺め。
 
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拝殿に向かって右に境内社が鎮座されます。
 
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奥から、
相殿社  春日大神  ・住吉大神  ・八幡大神・金刀比羅大神
相殿社  天照皇大神・大国主大神・大歳大神
相殿社  事代主大神・大地主大神
 
右隣に大将軍神社が鎮座されます。
 
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もう一つの御神木。
 
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その右隣に稲荷神社が鎮座されます。
 
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その右隣に護国社が鎮座されます。
 
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その右隣は菖蒲神池、鎮座されるのは厳島神社だと思います。
 
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菖蒲神池の由緒
 
仁徳天皇御病の時本社御祭神阿遅高日子根命 夢枕にたたせ給ひ
 「 皇居の東方にある神池の菖蒲を供奠斎祀せられよ 必ず御病 癒ゆベし
との御神託により神池の菖蒲を祭祀し給ひしに忽ち平癒あらせ給ひたりと某所に
本社のその由緒書あり
 
これが由縁にて古来より菖蒲刈祭は本社の特殊祭典として伝わり神前に供奠の
菖蒲は撤下後氏子宗敬者に頒ち授けそれを出入口の屋根に病魔除として祭りたる
ものなり
 
菖蒲は霊験あらたかにして邪気はらひ病魔除として端午節句に広く各戸の屋上に祭り
無病息災を祈る風習発祥その菖蒲神池なり
古来より日木武尊に因めるや当社の神庭の細砂は脚疾に奇瑞の効験ありと云う
 
延喜式内 ( 郷社 ) 阿遅速雄神社 旧摂津国 東生郡 放出村水劔
日本輿地通志 摂津国之三 ( 摂津志 )
劔堤自放出村経下之辻 般若寺 馬場到河州茨田 郡土居村即国界也
( 之を中高野街道とも云ふ )
 
神廟…阿遅速雄神社=在放出村劔堤今称八劔
享保二十年冬 編者 並河誠所
名葦探杖 巻二
安永七年秋 著者 暁隣軒蟻工
 
阿遅速雄神社式内の神なり放出村の劔の堤にあり祭る所天叢雲の宝剣なり
俗呼びて八劔の宮といふこれなり。 尾州熱田の神こゝに遷し祭る
照りつづき熱田の水も満てけり謹みて八劔文庫 大阪市鶴見区放出東三丁目 ( 字水劔 )
 
阿遅速雄神社
                                ( 境内説明文 )
 
病除けに菖蒲を祭るのは、こちらが発祥の地でした。
 
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以上。