比売許曽神社から鶴橋駅方向へ戻り、そのまま鶴橋駅を通り過ごして200mほど先に
産湯稲荷神社が鎮座されます。 オフィスビルやマンションに囲まれています。
 
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比売許曽神社は東成区、産湯稲荷神社は天王寺区です。
ちなみに、鶴橋駅は天王寺区でした。
 
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鳥居をくぐった左に石碑が建っていました。
 
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比売許曽神社の御旅所だそうです。 旧鎮座地とも云われます。
産湯稲荷神社は、比売許曽神社の境外摂社なのだそうです。
 
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桃山跡
 
この産湯稲荷神社のあたりの丘陵は桃山と呼ばれた。明治の頃まで広大な桃の林があり、
大正八年 ( 1919 ) に埋め立てられた味原池とともに景勝の地として知られていた。
 
                                  ( 境内碑文 )
 
反対側には祠が建っています。
 
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向かって右に祀られているのは狸だと思いますが、何故にお稲荷さんに狸?
説明は有りませんでした。
 
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拝殿に向かって左に水盤。
 
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式内社 比売許曽神社 (名神大 ) 旧鎮座地 摂津国 東生郡鎮座 
現社名 産湯稲荷神社 
御祭神 宇迦御魂神 
 
拝殿の後方には、多くのお稲荷さんが鎮座されています。
 
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拝殿からの眺め。
 
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鳥居に向かうと、左に鳥居がみえました。
 
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大小橋命産湯玉之井
 
大小橋命 ( おおおばせのみこと ) は、天児屋根命十三世後胤にし、人皇十三代の
御代に味原郷に誕生し給ふ。 
其所を字掃部屋敷 ( あざそうべやしき ) とも藤原殿とも云ふ。
 
其時に玉の井を汲で産湯に用たれば、此處を産湯と云ふ。
御父は中臣の雷大臣 ( いかつおみ ) 御母は紀氏清夫と申す。
 
三男子あり、長男は大小橋命なり。 又は御味宿称 ( おみのすくね ) とも小橋宿祢 
( おばせのすくね ) とも申す
二男は意穂命と申し、三男は阿遅速雄命 ( あちはやおのみこと ) と申す。
 
神代の時に、大國主命の御子なる味耜高彦根命天降の給とし霊地なれば此
味原とも小橋とも云ふ。
 
                             井戸の説明文 )
 
大小橋命の産湯の井戸があるので、産湯稲荷という御社名になったようです。
 
以上。