生根神社から住吉大社の前を通って、止止呂支比売命神社に向かいます。
飛び出しお嬢ちゃんではないけれど、飛び出しお嬢ちゃん喚起の立て札。
 
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住吉署。
 
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昨今はビルディングの警察署は当たり前ですが、たいてい警察署とわかるたたずまいを
しています。 こちらは全くオフィスビルの様相でした。
 
住吉署の向かいに、開運の土が置かれてありました。
ご自由にどうぞ、と書かれてありましたので戴いてまいりました。
 
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住吉大社の前で、阪堺電軌のキティちゃんがやってまいりました。
ちょうど信号機で停まりました。
 
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住吉は一寸法師の舞台。
 
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住吉大社と南海電鉄のコラボ、住吉区がすっかりキティちゃんの聖地と化しています。
 
魅力的な散髪屋さんに出遭いました。
 
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これはヤマハの SR400 をベースとした改造車かな?
私は GB400に乗っていました。 オートバイはやっぱり単コロがいいなあ。
 
などと言いながら、実は単コロはGB400 だけで、その他に乗り継いだのはV型エンジン車
ばかりです。
-> ホンダ:VT250F、マグナ250、ヤマハ:XZ400、ビラーゴ250。
 
最後に乗ったのはヤマハのドラッグスター250で、ビラーゴ250 を経て完成した
アメリカンでした。 アメリカンのオートバイがどんどん無くなってしまって、唯一今でも
売っている250cc です。
 
エンジン音がピーターフォンダが乗っていたイージーライダーのハーレーによく
似ていました。   なんでイージーライダーの主人公たちは、みんな殺されたのだろう。
観終わったときの、あの虚しさ。 未だに憶えています。 良い映画でした。
 
住吉大社から、徒歩15分で止止呂支比売命神社に到着します。
 
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右に手水舎。
 
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式内社 止杼侶支比売命神社 摂津国 住吉郡鎮座 
現社名 止止呂支比売命神社 
祭神 素盞嗚尊 ( すさのおのみこと ) 
    稻田姫尊 ( いなだひめのみこと、素戔嗚尊の御后神 )
 
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御鎮座の年代は不詳でありますが、延喜式 ( 805年制定 ) の神社神明帳に、
当神社名がみられます。 
当時、境内松林の中に清らかな清水が湧く轟池にトドロキという橋が
架かっており、住吉大社の摂社 ( 奥の院 ) として奉斎されておりました。
 
承久三年、後鳥羽上皇が行幸せのおり、当神社境内地内に行宮をお築てに
なったことにより、若松神社または若松宮と称し、氏子の方々より 
「 若松さん 」 と親しまれ、氏神様として崇められております。
 
                           ( 境内説明文 )
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若松さん由緒沿革
 
905 ( 延喜5 ) に醍醐天皇の命により編纂された延喜式という古代史の
研究では重要な文献に当社が記されております。
その延喜式に当社は  止杼侶支比賣命神社 』とありますが、御創立は不詳です。
 
承久3年に、後鳥羽上皇が討幕軍を起さんと熊野詣でに名をかりて浪華住吉の豪族
津守一族の勢力並に大和河内の兵をもお集めにならんと墨江の里に行幸される時、
当社の松林中に若松御所を造営し行宮として渡御され、上皇は当社に国家安泰
御武運の長久をお祈りになられました。 
この御所の若松をとり当神社は、若松神社・若松宮と呼ばれるようになったようです。
 
氏 地
 
墨江各町 安立各町 浜口各町 住之江各町 西住之江各町 遠里小野各町 沢ノ町各町
殿辻各町 千躰各町 清水丘各町 南住吉二丁目~四丁目 山之内の一部
 
                          止止呂支比売命神社HP )
 
拝殿に向かった形で、お稲荷さんが鎮座されます。
 
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珍しく、石の祠のお稲荷さんでしたが、写真を撮っておりませんでした。
撮ったつもりだったのだがなあ。 最近はこういうことが多くなってきました。 はぁ~。
 
お稲荷さんから眺めた社殿。
 
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本殿の後方に鎮座されるのは、天水分豊浦命神社です。
 
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式内社 天水分豊浦命神社 あめのみくまりとようらのみことじんじゃ ) 
現社名 天水分豊浦命神社
 
御祭神 三宝荒神  天水分神 ( あめのみくまりのかみ ) 
            奥津彦神 ( おくつひこのかみ )
            奥津姫神 ( おくつひめのかみ )
 
     合祀     大国主命 ( おおくにぬしのみこと )
          事代主命 ( ことしろぬしのみこと )
 
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延喜式内社にして、古きより住之江区安立町に御鎮座。 
明治四十年七月三十日、当若松宮内に御遷座申し上げ現在に至っている。
 
三宝荒神さんは、人間生活に一番大切なかまど神として、朝廷においても大炊寮内膳に
お奉斎申し上げ、厨房内の安全をご祈願されていました。 
皆様方のご家庭にも、ぜひ三宝荒神さんをお祀りし、大神様の御神徳を戴きます様
お祈りください。
                                ( 境内説明文 )
 
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天水分豊浦命神社社号標石。  有形文化財 歴史資料 平成十七年一月七日指定。
 
この石碑は、もと住之江区の安立にあった天水分豊浦命神社が、平安時代の延喜式という
書物に登場する式内社という格式のある神社の一つ、天水分豊浦命神社と考えられること
を示しています。
 
江戸時代中期の学者、並河誠所 ( なびかせいしょ ) は、当時すでによくわからなくなって
いた近畿地方の式内社の場所を研究し、式内社と考えられる神社に目印となる石碑を
建てることを計画しました。
 
1736年頃に、幕府の協力を得て、誠所の弟子が大阪周辺に20基の石碑を建てました。
うち4基が大阪市内にあり、その一つがこの石碑です。
 
正面には 「 天水分豊浦命神社 」 の社号が、向かって右側には 「 安立町 」
( あんりゅうまち ) と場所が刻まれています。 
台石には「 管広房 ( すがひろふさ ) が建てる 」 とあり、石碑を建てるための資金を
出したと考えられる人物の名を記しています。
 
明治40年 ( 1907年 ) に天水分豊浦命神社 が、この止止呂支比売神社に遷御
( せんぎょ ) されたため、石碑も此の地に移りました。
 
                               ( 境内説明文 )
天水分豊浦命神社に向かって左に聳える御神木。
 
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右隣に鎮座される黒長社。
 
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御祭神 黒長大神 ( くろながのおおかみ )
 
昔より、この御神木と共に御神木で見かけられた蛇を熱心に信仰される方々が多く、
黒長大神として永く信仰され、願いが叶ったり心が癒されたと大変喜んでおられ、
氏子地域の方々より根強く信仰されています。
                              ( 境内説明文 )
 
黒長大神なのだから、黒い大きな蛇だと思うのですが、白い大きな蛇の神像でした。
 
黒長社からの眺め。
 
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以上。