高島宮の論社は5つほどあり、そのうち2つは瀬戸内海に浮かぶ島に鎮座されます。
島への参拝は、5月連休あたりにトライすることにして、比較的手軽に行けそうな
武ノ宮八幡宮を目指しました。福山駅と鞆の浦のほぼ中間、田尻町に鎮座されます。
 
もうそろそろかなと思っていたころ、道端には、福山市制100周年の幟が立っていました。
 
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さすが広島県第二の都市ですね。100年の歴史を持つ市は、それほど多くないでしょう。
幟から、三角錐の山が見えました。 見るからに神が鎮座される山です。
 
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神が降臨された山が甘南備山ですが、だいたいこのような三角錐の形をしています。
ピラミッドと似ています。
三角錐の山を目指して、住宅街に入っていきました。
 
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鳥居をくぐった左に 「 武ノ宮八幡宮 」 右に 「 吉備高島宮 」 の碑が建っていました。
 
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当社は古来神武天皇ゆかりの宮として武ノ宮八幡宮と称えられたが、明治四年神祗
制度の改革により、村社八幡神社と改称される。 現在は昭和27年の宗教法人法に
より、八幡神社の名称となっているが、ここに由緒ある社名を社号標に表記する。
 
                                 ( 碑文 )
 
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こういった御神門は、何というのでしょう? 備中・備後国には多いように思います。
 
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拝殿に向かって右に手水舎。
 
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八幡神社の祭神
 
  14代 仲哀天皇  ( ちゅうあいてんのう、神功皇后と御夫婦 )
      神功皇后 ( じんぐうこうごう )
  15代 応神天皇 ( おうじんてんのう )
 
明治44年2月に以下三神社を合祀
 
高龗神社   ( たかおかみじんじゃ )  
     水の神 ( 高龗神 おかみのかみ )
 
恵美須神社  ( えびすじんじゃ )    
    事代主神 ( ことしろぬしのかみ、大国主神の御子、恵美須様 )
    大国主神 ( おおくにぬしのかみ、素戔嗚尊の末神 )
 
道祖神社   ( どうそじんじゃ )
    猿田彦命 ( さるたひこのみこと )
 
大正4年10月に合祀
 
橿原神社   ( かしはらじんじゃ )
    神日本磐彦尊 ( かむやまといわれひこのみこと )
    大和国畝傍里で即位して、第一代神武天皇と称した。 皇紀元年である。
    日本書記に天皇 ( すめらみこと ) とあり、神武天皇はその諡名なり。
 
境内社の説明
 
大歳神社  ( おおとしじんじゃ )  大歳神  ( おおとしかみ、穀物の神 )
天満宮    ( てんまんぐう )   菅原道真 ( すがわらのみちざね、学問の神 )
須佐之男神社 ( すさのおじんじゃ ) 素戔嗚尊 ( すさのおのみこと )
金比羅神社  ( こんぴらじんじゃ )   大物主神 ( おおものぬしのかみ )
 
平成23年 ( 皇紀2671年 )( 2011年 ) 9月 作成
                               ( 境内説明文 )
 
縁起
 
年号      西暦   代々天皇      時代
永禄三年   1560年 106 正親町天皇 室町時代 織田信長桶狭間の戦い
慶長十七年    1612年 107 御陽勢天皇 桃山時代 2代将軍秀忠の時代
萬治元年   1659年 111 御西天皇   江戸時代 4代将軍家綱
元禄四年   1691年 113 東山天皇   江戸時代 光圀汲川 5代将軍綱吉
天明元年   1781年 119 光格天皇   江戸時代 10第将軍家治
明治四五年    1912年   122 明治天皇   火災炎上
大正二年   1913年 123 大正天皇   境内拡張
大正五年   1916年           本殿新築
昭和三年   1928年 124 昭和天皇   幣殿ならびに拝殿竣工
昭和四年   1929年           造営記念碑
 
此の社は武宮と称え、御創建はおおむね第一代神武天皇東征 ( 九州宮崎より
大和の国に向かわれ ) された後に、高島宮址に社を建立して敬仰 ( うやまいあおぐ )
場所にしたのが神社の縁起 ( 起源 ) であり、永禄三年社殿を再建し、以来慶長十七年
萬治元年、元禄四年、天明元年と営繕 ( 造営と修繕 ) して来ましたが、
然るに明治四十五年火災にてたちまち炎上、おそれおののき、時を置かず再建造営の
為に建設委員会を定め、浄財の募金をはじめ、大正二年六月境内を拡張し、五年十一月
には本殿を新築、また昭和三年八月幣殿ならびに拝殿を此の規模にて竣工し、
御神威益々高く尊く輝き、俯 ( こころのやどる処 ) として代々氏子を守り導き、興隆
している事を記して焉ります ( おわります )。
 
昭和四年十一月 沼隈神社 宮司 金原利通 書
 
※ 金原宮司は、沼隈郡本郷村の出身で、伊勢神宮祢宜も勤められた人。
※ 平成二十三年六月吉日 備後護国神社 宮司 江田根宏之 訳
                                 ( 境内説明文 )
 
拝殿に向かって左に、神馬舎。
 
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本殿。
 
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本殿に向かって右に、住吉神社と稲荷神社が鎮座されます。
 
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その前に、備前焼の狛犬の首だけが置かれておりました。
 
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拝殿に向かって右に神馬像。
 
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その後方に、境内社。左から、大歳神社・天満宮・金刀比羅宮。
 
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向かって右に護国神社が鎮座されます。
 
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日清戦争・日露戦争・日支事変・大東亜戦争で散華された、地域の英霊が祀られています。
護国神社に向かって右には、慰霊碑がありました。 その前に砲弾が置かれてあります。
 
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日清戦争・日露戦争・日支事変・大東亜戦争で散華された、地域の英霊が祀られています。
 
護国神社から眺めた境内。
 
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手前は天照皇大神宮・神武天皇・天神地衹の遥拝所、奥に素戔嗚神社。
 
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拝殿殻の眺め。
 
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以上。