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天神社
 
当社は菅公を祭神とし、今を去る凡そ六百数十年前貞和年間の創建と伝えられる。
 
古来人士の来遊する者多く、かつて寛政四年、鴨方の儒者西山拙斉神辺の詩人
菅茶山らが当社祠官小寺清先を訪うて、ここに遊び詩を社殿の柱に題したが、
30余年の後、頼山陽は此の地を過ぎ、墨蹟を見て景仰の念に勝えず詩一篇を賦した。
 
時に拙斉すでに亡く茶山また老い独り、波影と松声のみ依然として旧に変わらぬことに
嘆を発したのである。 山陽も同じく其の詩を柱に記したが、惜しいかな明治23年
本殿改築の際これら前賢の遺墨は総て烏有に帰した。
 
茲に本社61式年祭を挙行するに当り、前賢の遺風を慕い山陽の詩を石に刻んで
後世に伝えることとした。
なお碑面は神辺在住元岡山大学教授木下彪先生の筆に成る。
 
昭和47年陰暦8月 頼山陽詩碑建設期成会
                             ( 碑文 )
 
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御祭神 菅原道眞命 ( すがわらのみちざねみこと ) 
 
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天神社修復事業記念。
 
我々の里を偲ぶには、古事や古籍があまりにも身近に乏しく、表現するには中々
容易なことではない。 この度、天神社を修復するという一大事業の節目にあらゆる
努力をし、日時も限られたが、意に満たない汗顔の思いを抱きつつ記す。
 
神島に暮らす人々は、地名にも等しく神を信仰し又、仏の道をも尊び八十八ヶ所の
大師の嶋でもある郷土を愛し、温厚に暮らしている。
 
天神社が再建されて120年の歳月が経過し、老朽化と平成16年の台風の被害で
損傷著しく、早急な修復が必要となり、神東百戸かいを元に神島協議会を母体とした
修復奉賛会を設立し、内浦全域の皆さまと各企業様の暖かい御尽力と御寄進により
私達の願いが満願簡潔奉納し、先祖が築き残した尊い遺産を後世に引き継ぎ願い
ここに刻む。
 
由来。
 
伝承によれば、天神社は今から650余年前文和年中、地頭小見山棊氏の発願に
より天神山に創建された。 その後災難にあい貞享四年 ( 1687年 ) 福山城主
水野美作守勝慶氏により社殿を再興し境内を拡張し、現在地の遺構を作り、
菅原道真公外三柱を主神とし、内浦地区の総社として崇められる。
( 王城鎮護、学問、慈悲、正直の神 )
 
天神地区は、古来より近郷にない景勝地で、領域に大殿州、子殿州、孫殿州を有し
白浜に青松が繁り、風光明媚な国立特定公園にも指定された地である。
 
境内には 
   月読みの 光を清み 神島の 幾廻の浦ゆ 船出すわれは
と万葉集にも歌られし碑があり、詩人、文人の来遊多く、文政八年 ( 1825年 ) 
頼山陽もこの地に来遊し、碑が建てられている。
 
この祭典は内浦各地区から幟や旗、山笠提灯に飾り立てた船に千歳楽と氏子を
のせ祇園囃子賑やかに、海上渡御の宮入と特殊な御神幸で、平成14年笠岡市
重要無形民俗文化財に天神祭が指定された。
 
沿革。
 
文和年中( 1352~1356年 )地頭小見山棊氏の発願により、天神山に創建。
貞享四年    ( 1687年 )  福山城主水野美作守勝慶氏にて、現在地に再建。
天保四年    ( 1833年 )  嘉永三年 ( 1850年 ) に一部修復。
明治二十二年  ( 1889年 )  社殿を北向きに建替え。
明治三十三年  ( 1900年 )  菅原道真公が太宰府に左遷され1000年記念祭執行。
             注連鳥居を奉納。
昭和二十七年  ( 1952年 )   宗教法人天神社 登記。
             菅原道真公1050年祭が総代会で議題に上提。
昭和三十三年  ( 1958年 )  拝殿建替え。
昭和四十六年  ( 1971年 )  天神社の海域を埋め立て、天神団地造成。
昭和四十七年  ( 1972年 )  毎六十一式年祭御開帳周期特別祭執行。
平成六年    ( 1994年 )  神輿蔵建替え。
平成十四年   ( 2002年 )  天神祭 笠岡市重要無形民俗文化財に指定。
平成二十年   ( 2008年 )  天神社 平成修復奉賛大事業完成奉納。
              御神燈一対と常夜燈を奉納。
 
                            ( 境内 石碑 )
 
本殿に施された彫刻。
 
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本殿に向かって右後方には、神島八十八箇所第四番黒谷寺。
 
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四国八十八箇所の第四番は大日寺、神島八十八箇所の案内図でもそのようになって
いましたが、地元のお寺に四国のお寺の名前を振っているようです。
 
本殿に向かって左後方には、神島八十八箇所第五番地蔵寺。
四国八十八箇所第五番は地蔵寺、こちらは同じ寺名です。
 
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境内から入り江を眺めます。
 
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瀬戸内海の島とを結んだフェリーが入ってきました。
 
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第五番札所からの眺め。
 
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以上。