午後2時ころ、たうどん屋さんに入りました。
食事時ではなかったので、駐車場にも中にもお客はおりませんでした。
かけうどん ( 大 ) \320 + 牛のおでん \100。
だし汁は、ほぼ透明なので 味がないのではないか?などと心配してしまいましたが、
うまかったです。うどんが美味しいと幸せになります。
金毘羅宮の最寄り駅である琴電琴平駅から北へ1㎞のところに、大麻神社が鎮座されます。
参道の左は石垣に囲まれており、靖国鳥居・忠魂碑が建てられてあります。
御旅所なのですかね?
長い参道を歩いていくと、大麻山の麓にお社が鎮座されます。
随神門の随神の前には、木製の狛犬が置かれてありました。
石段を登っていくと、拝殿は修理中でブルーシートで覆われておりました。
式内社 大麻神社 讃岐国 多度郡鎮座
現社名 大麻神社
御祭神 天太玉命
旧社格 県社
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式内社 大麻神社
香川県善通寺市大麻山御鎮座
一、祭神 天太玉命
相殿 天津彦々火瓊々杵尊 ( あまつひこひこほににぎのみこと ) 及供奉三十一神
一、例祭 10月6日・7日
一、由緒
延喜神名式 「 讃岐国多度郡小大麻神社とありて、廷喜式内二十四社の一なり 」。
天太玉命は、高皇産霊神の御子に座して、天児屋根命と共に、祭祀を主り給ひ、抜群の御功績あり。
天照大御神、瓊々杵尊に豊葦原瑞穂国を御依し給ひて、天孫降臨。
命は供奉32神の五伴緒の一神にして、所謂、忌部氏の祖神なり。
御鎮座創祀は、往古に属し、正史に神武天皇の御宇、諸国に忌部の社を建て、祭祀せしと相伝ふ。
往古当国の忌部氏、阿波忌部と協力して讃岐を開拓し、此の地に麻を植、殖産興業の途を開かれ、
国利民福の基を進め、その祖神天太玉命を祀り、大麻天神と奉称し、村の名を大麻と云ふ。
一、
12代景行天皇23年癸巳年 ( 273年 ) 夏、南海に悪魚ありて災害をなす。
天皇、皇子神櫛王に平げ給へと勅ありて、軍士を卒いて下る。討伐に際し、大麻神は天孫と共に、
国土平定の守護の神なりとて祭り、果して験あり。
土佐国より当国綾の海にて、斯を平定し後、国造に任ぜらる。
崇敬なお厚く、御供仕へし穂積忍山彦根をして、社殿を修営し玉串を納め祭祀を主らしめ給ヘり。
(穂積忍山彦根は現宮司白玖氏の遠祖なり。)
一、神階
56代清和天皇
「 貞観7年 ( 865年 ) 冬10月9日丁己讃岐国従五位下大麻神授従五位上 」 ( 三代実録 )
60代醍醐
「 延喜10年 ( 910年 ) 8月23日 授讃岐国大麻天神従四立下 」 ( 日本紀略 )
後円融天皇永徳元年迄に正一位の神階に進ませらる、
御加階毎に、位田の御寄進もありたり。
一、重要文化財
天津彦々火瓊々杵尊 坐像一体
天太玉命 坐像一体
40代天武天皇白鳳11年壬午年 ( 皇紀1342年、西暦671年 )
穂積忍山彦根の裔、23代20世孫 神主穂積宿根白玖鵜麿の作なり。
重要文化財に指定せらる。
同年、天孫瓊々杵尊及供奉三十二柱の神像作り、相殿に奉斎す。
同 門守神二体狗形二体神門に奉斎す
一、
61代朱雀天皇 天慶4辛丑年 ( 皇紀 1601年 )
代29世孫 神主穂積白玖志岐 門守神二体神門に奉斎す。
一、境内神社
天神地祇社 祭神 天神地祇八百萬神及弟橘姫命
由緒
此の神鎮座後、里人に託して、今より疫鬼をして此の里に入らしめずと、故に村民厚く
崇敬す。
讃岐初代国造、神櫛王命を始め、国司、京極藩主の崇敬驚く、国内大衆の信仰を有ち、
大麻天神と称へ奉り、延喜の制官社に列し、官庫の奉幣に預かり、霊験赫々たる歴社なり。
一、旧社格
明治5年、郷社に列せらる。
昭和8年6月19日、県社に列せらる。
生駒記、式社考、二十四社考、大日記二十四社名目、西讃俯志、讃岐古社神名帳、
皆同じ。当社は大麻山に鎮座。古今異説なし
一、
境内祖霊社 ( 上祖穂積白玖忍山彦根70代之霊神 )
穂積忍山彦根は、穂積忍山宿根の嫡男にして暁速日命より出づ。
景行天皇23年、神櫛玉命に従ひ、讃岐に来り、大麻神社を祀る。
氏を白玖と改め、子孫代々祠官となり、連縄七十二代、今日に至る。
( 式内社の調査 HP )
阿波国一之宮の大麻比古神社 ( おおあさひこじんじゃ ) の御祭神は大麻比古神ですが
天太玉命のこととされます。 大麻神社は大麻比古神社と御社名が似ておりますし、
関係があるのだろうと考えておりましたが、同じく天太玉命を祀ってありました。
天太玉命は忌部氏の祖と言われますが、讃岐・阿波には讃岐忌部氏・阿波忌部氏がおりましたから、
讃岐忌部氏が祖を祀ったお社ということなのでしょう。
麻の栽培を広めたと書かれてあります。
麻は縄や衣服に使用されますが、かつては睡眠薬・鎮静薬などにも使われました。
医療大麻の使用を訴えて選挙に出た女優さんがいらっしゃいました。
神道の神事にも使用されたということは、大麻比古神社を参拝したときに知りました。
どのように使ったのかはわからないのですが、神託を得るときに使用したのではないかと推測して
います。
坂出市に鎮座される城山神社は、景行天皇の皇子である神櫛王が御祭神でした。
城山神社では、神櫛王は悪魚退治が評価され、讃岐国を治めたという社伝がありました。
神櫛王は、大麻神 ( 天太玉命 ) を守護として祭り、戦いに臨んだと書かれてあります。
また、神櫛王に仕えた穂積忍山彦根が、現宮司の祖であるとも書かれて有りますが、
なんといっても驚くのは、「 穂積忍山彦根は穂積忍山宿祢の嫡男 」 ということです。
日本武尊の妃である弟橘姫命 ( おとたちばなひめのみこと ) の兄が、宮司の祖であったのです。
拝殿の左右に境内社、御社名は不明です。
境内の御神木に締められた縄は、独特の力強いものです。 横綱のしめ縄のようです。
拝殿からの眺め。
石段を降りたところに鎮座される境内社。
白玖祖霊社 「 弟橘媛命 ( おとたちばなひめのみこと ) を祀る 」 と書かれてあります。
どの社殿が白玖祖霊社なのか、わかりませんでした。
弟橘姫命の兄である穂積忍山彦根が宮司の祖先ですので、弟橘姫命も祖霊として
祀られているのですね。
讃岐国造の神櫛王は日本武尊の異母兄弟、武殻王 ( たけかいこおう ) は日本武尊の皇子。
神櫛王に仕えた穂積忍山彦根の妹は日本武尊の后。
こうなると、日本武尊が白鳥になって讃岐に来られたという白鳥神社の伝承は、納得できます。
来るときには気付かなかったのですが、随神門の瓦は賑やかです。龍虎が描かれています。
表を見ると、白鳥が描かれていました。 背景は松です。
日本武尊が変わられた白鳥が、讃岐に来られた様子を表しているのでしょう。
以上。