先ほど参拝致しました宇閇神社 ( うえじんじゃ ) は、岡田駅を出て左に折れます。
これから参拝致します宇閇神社 ( うべじんじゃ ) は、岡田駅を出て右に折れて、1㎞ほど
歩いたところに鎮座されます。
 
2つのお社はかなり近いところに鎮座される式内社:宇閇神社の論社で、同じ漢字を
使うのですが、御社名の読み方が異なります。 どちらかが、転訛したのでしょう。
 
参道の案内がありました。
 
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ここを登っていきましたが、参道の途中につきました。 
右に鳥居が見えましたので、表参道の入口まで行きました。
 
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鳥居に向かって左に、石塀に囲まれた場所があります。 御旅所ですかね?
 
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参道の右に池があります。 御神池ではなく、農地のためのため池のようでした。
 
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参道の右に、境内社のお稲荷さんが鎮座されていましたので、先に参拝することにしました。
 
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お稲荷さんから眺めた随神門。
 
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このお社にも、屋根付きの柱がありました。
 
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左に手水舎。
 
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龍神様はお疲れのようでしたが、水盤には水が無く、持っていたペットボトルはお茶でした
ので、癒すことが出来ませんでした。 申し訳ない。
 
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式内社 宇閇神社 ( 論社 ) 讃岐国 鵜足郡鎮座 
現社名 宇閇神社 ( うべじんじゃ ) 
御祭神 武内宿禰命 ( たけのうちすくねのみこと ) 
相殿   品陀和気命 ( ほむだわけのみこと )
      菅原道真命 ( すがわらのみちざねのみこと )
旧社格 旧郷社 
 
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宇閇神社拝殿幣殿改築記念碑。
 
宇閇神社は、延喜式神名帳に載る讃岐二十四社の内の一社である。
祭神の武内宿祢命は、履中天皇の時、印旛国 ( 今の鳥取県 ) 宇倍に現れ、宇倍野神
として奉祀された。 
 
延喜式が完成したのは十世紀の初頭であるから、それまでには当地にされて、宇閇神社
と称し、里人の尊崇を集めてきたのであろう。 当社には、鳴弦蟇目 ( めいげんひきめ )
の射術が神事として伝来していたことから、中世には近在の武士の尊敬をも集めていた
事が伺われる。
 
その後一説には、鵜足郡長炭村から品陀和気命を奉斎し、また環池の辺りに鎮座していた
天満宮を合祀して、いずれも相殿としてお祀りした。 明治四年郷社に定められ、郷中
一ノ宮となった。
 
改築前の拝殿は、その社格を誇示してきた。 しかしながら、築後永い年月を経過しており、
今般氏子相集い協議の結果、幣殿と共に改築することに衆議一決、氏子並びに崇敬者の
方々から多くの浄財が寄せられて社伝の造営が成り、先年の社務所新築と併せ、平成の
大整備が成就した。
 
ここに、宇閇神社並びに氏子中の益々の隆盛を祈念し、改築記念の碑を建立するもので
ある。
 
 神者依人之敬増威 」 「 人者依神之徳添運 」
 
平成二十年九月吉日
                                 ( 境内説明文 )
 
印旛国一ノ宮:宇倍神社 ( うべじんじゃ ) からの勧請で建立された宇閇神社
( うべじんじゃ )、ということだと、こちらが式内社の本命であるような気もします。
先ほど参拝致しました宇閇神社 ( うえじんじゃ ) は、転訛したのかなあ。
 
先ほど参拝致しました宇閇神社の御祭神は、鵜茅葺不合尊 ( うがやふきあえずんみこと )
でしたが、こちらの御祭神は武内宿祢命です。
 
拝殿からの眺め。
 
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拝殿に向かって左の奥に、境内社の地神が鎮座されます。
 
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お社の、石垣がジグゾーパズルのようになっています。
 
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早く直さねば、崩壊してしまいます。
 
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以上。