伊佐爾波神社は、51番石手寺から52番大山寺へ向かう遍路道の途中に鎮座されます。
遍路道を逆にたどっていきます。
湯月城 ( ゆつきじょう ) があったところは、私が子供のころは、ここは道後動物園でした。
動物園が伊予市砥部町に移って、湯月公園になりました。
湯月公園の木々には、大きな花が咲いていましたので行ってみました。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190617/06/fudasyosanpai/3e/1c/j/o0400029714468027979.jpg?caw=800)
道路から眺めると花のように見えましたが、ナイロンのあかすりみたいなものを袋に詰めて
絵を描いて、木々にかけていました。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190617/06/fudasyosanpai/67/17/j/o0400029714468027982.jpg?caw=800)
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190617/06/fudasyosanpai/f0/ce/j/o0400029714468027987.jpg?caw=800)
湯築公園のすぐ隣が、伊佐爾波神社の参道です。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190617/06/fudasyosanpai/7d/c8/j/o0400029714468027991.jpg?caw=800)
高級旅館ふなや。
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190617/06/fudasyosanpai/85/9e/j/o0400029714468027995.jpg?caw=800)
御皇室の方々が松山に来られると、泊まられる旅館です。
御皇室の方々が道後に泊まられるのは、古代から同じです。
私が子供の頃は、純日本建築の落ち着いた旅館でしたが、いつの間にかビルディングに
なっております。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190617/06/fudasyosanpai/a5/49/j/o0297040014468028000.jpg?caw=800)
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190617/06/fudasyosanpai/4f/77/j/o0237032014468028005.jpg?caw=800)
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190617/06/fudasyosanpai/aa/f9/j/o0237032014468028011.jpg?caw=800)
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20190617/06/fudasyosanpai/2d/e4/j/o0408055014468028014.jpg?caw=800)
長蛇の列で、参拝をあきらめました。
二日には伊予を離れなければならないので、参拝の列に入ると日が暮れてしまいます。
伊佐爾波神社は何度も参拝してきています。石段の麓からの遥拝で終わらせました。
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延喜式内社で、祭神は仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、三柱姫大神である。
社伝によれば、仲哀天皇・神功皇后が道後温泉に来浴した時の行在所跡に建てられた
神社で、湯月八幡とも呼ばれたという。
伊佐爾波という社名の起源は諸説あるが、古事記に
建内宿祢大臣 ( たけのうちのすくねのおおみ ) 沙庭 ( さにわ ) に居て、
神の命 ( みこと ) を請ひまつりき。是に大后、帰神 ( かむがかり ) して・・・
日本書記に
建内宿祢大臣に命 ( おは ) せて琴撫かしめ ( なでかしめ )、
中臣烏賊津使主 ( なかとみのいかつのおみ ) を喚して ( めして )
審神者 ( さには ) と為す。
とあり、これに神聖、清浄なという意味の 「 斎 ( い ) 」 が付いたもので、神功皇后に
関わる名称ともされる。
当神社は、河野氏が湯築城の築城の鎮守として、今の地に移したといわれ、その後
加藤嘉明は、松山城の固めとして松山八社八幡を定めたとき、一番社として武運長久の
祈願社となったという。
現在の社殿は、松山藩松平第三代藩主の定長が、将軍から命じられた流鏑馬を成功
させたお礼として建立したもので、その様式は、大分の宇佐神宮、京都の石清水八幡と
並んで日本を代表する八幡造といわれる。
松山市教育委員会
( 参道説明文 )
伊佐爾波神社の前の道は遍路道になっており、52番大山寺に向かって行くと、左に
折れます。 すると道後温泉本館が現れてきます。
![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20190617/06/fudasyosanpai/0d/8a/j/o0400029714468028019.jpg?caw=800)
![イメージ 11](https://stat.ameba.jp/user_images/20190617/06/fudasyosanpai/42/b3/j/o0550040814468028022.jpg?caw=800)
![イメージ 12](https://stat.ameba.jp/user_images/20190617/06/fudasyosanpai/87/b5/j/o0400029714468028027.jpg?caw=800)
![イメージ 13](https://stat.ameba.jp/user_images/20190617/06/fudasyosanpai/77/44/j/o0400029714468028032.jpg?caw=800)
「 千と千尋の神隠し 」 油屋のモデルの一つと言われています。
![イメージ 14](https://stat.ameba.jp/user_images/20190617/06/fudasyosanpai/15/4c/j/o0408055014468028035.jpg?caw=800)
![イメージ 15](https://stat.ameba.jp/user_images/20190617/06/fudasyosanpai/bc/88/j/o0550040814468028039.jpg?caw=800)
上から眺めてみようと、湯神社の境内に上がりました。
湯神社の本殿後方に忠魂碑。
![イメージ 16](https://stat.ameba.jp/user_images/20190617/06/fudasyosanpai/19/23/j/o0400029714468028045.jpg?caw=800)
境内から眺めた道後温泉本館。
![イメージ 17](https://stat.ameba.jp/user_images/20190617/06/fudasyosanpai/f9/5d/j/o0550040814468028049.jpg?caw=800)
以上。