朝日八幡神社から東に1㎞の所に鎮座される阿沼美神社 ( あぬみじんじゃ ) の
境内に鎮座されます。 阿沼美神社は式内社 ( 明神大社 ) です。
JR予讃線を越えると、すぐに 「 グランフジ 」 という大きなスーパーがあり、スーパー
を越えて100mほどのところに鎮座されます。
 
松山市のマンホール。
 
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 こちらも伊予かすりの模様とヤブツバキが描かれています。
ヤブツバキのデザインが、雄郡神社近くにあった2つのマンホールと微妙に異なります。
 
小銭がなくなってしまい、近くのコンビニで買い物をしてお金をくずしました。
コンビニの対面に鎮座する出雲大社には、参拝の行列が出来ていました。
人気があります。
 
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阿沼美神社。
 
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左に手水舎。
 
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まずは阿沼美神社に参拝しました。
 
御祭神 大山積命 ( おおやまづみのみこと )
    高龗神  ( たかおかみのかみ )
    雷神   ( いかずちのかみ )
    味耳命  ( うましみみのみこと ) 久米氏の祖。
 
鎮座地は味酒町 ( みさけちょう )。
 
代々、大宰府天満宮の祢宜を務められる味酒 ( みさけ ) 氏が、酒造りを伝えた場所
として伝えられています。
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御参考↓

  

  慶長七年 ( 1602年 ) に加藤嘉明公が松山城を築く際に、当時の

  味酒村 ( みさけむら ) に遷座されたことから、味酒神社 ( みさけじんじゃ )

  とも呼ばれるようになったそうです。

 

  私は子供の頃、美味しいお酒を作る人々が住んでいたから味酒村 ( 美酒村

   みさけむら ) と呼ばれていた、という説を聞いたことがあります。

 

  確かに、すぐ近くには神功皇后・仲哀天皇・山部赤人・天智天皇・聖徳太子など、

  錚々たる方々が参拝されたという伊佐爾波神社 ( いさにわ、清浄な儀式を行う庭、

  沙庭の神社 ) も鎮座されますし、松山は日本酒適合米:松山三井が栽培される土地

  でもあります。( 日本酒適合米を開発する下地がある、という意味です。)

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拝殿に向かって左に稲荷神社が鎮座されます。
 
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拝殿に向かって右に境内社が鎮座されます。
奥から、金比羅神社、天満宮、勝山八幡宮、伊余夷子神社。
 
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勝山八幡神社。
 
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松山の八社八幡の八番社である。
 予陽群郷俚諺集 」 によると、松前城主・加藤嘉明が勝山  今の松山城  に築城を
計画し、普請奉行の足立重信、山下八兵衛が調査に来たという。
 
そのとき、山上に社があり、近くで薪を拾っていた老人に
 この宮は何の神か?  
と尋ねると、老人は  勝山八幡  と言おうとして 
 勝たず八幡の宮  
と答えた。
 
不吉ではあるが、敵が城に向かって勝たずなら吉相、それに往古よりこの山に鎮座して
いる御神であり勿体ないとして、北の麓に遷して奉ったという。
 
また、西の尾根にも社があり、老夫に尋ねると、越智郡の三島より勧請そた三島明神で
あるという。 これは吉祥であるとして、西の山の下味酒村 ( しもみさけむら ) へ遷座
して祀った。 のちに味酒大明神と呼ばれ、味酒神社と改称された。 
現在の阿沼美神社である。
 
嘉明の後を受けた第二代松山城主蒲生忠知は、勝山八幡神社を三宝寺とともに今市町
移したという。
明治  1875年 )、勝山八幡神社は味酒神社  阿沼美神社  の末社として
その境内に移ったとわれる。
 
                                 ( 境内説明文 )
 
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以上。