雄郡神社は、日招八幡大神社から北へ2㎞程のところに鎮座されます。
様々なスポーツで全国的に活躍している済美高校のすぐ近くです。
 
松山市のマンホール。
 
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松山市の花であるヤブツバキが描かれています。
色なしとカラーは、少しだけ異なったデザインになっています。
 
両方とも周囲に 「 井 」というマークがあります。
これは 「 伊予かすり 」 に描かれる模様で、ビニールの雨合羽にもプリント
されていたりします。 伊予の人にはなじみの模様です。
 
 
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拝殿に向かって右に手水舎、前には長蛇の列。
 
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正月ですので、本殿を囲む回廊が公開されていました。
 
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廻廊に掲げられていたガビアルワニの絵馬。
 
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ガビアルワニという名前は知りませんでした。
生存数が少ない貴重種だそうです。 
「 週刊世界遺産 」 のHPで画像を見ることが出来ます。
 
 
この絵馬は、金刀比羅神社の宮司が納めていらっしゃいます。
金比羅 ( こんぴら )  の神は現在は大物主命ですが、元々はクンピーラの神
を祀っていたと聞いたことがあります。
 
クンピーラの神はインドの神で、ガンジス川に棲むワニが神格化されたもの、
と聞いておりました。そのワニが、ガビアルワニなのかもしれません。
 
回廊から眺めた本殿。
 
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御祭神 天宇受売命 ( あめのうずめのみこと )
    品田和気尊 ( ほむだわけのみこと、     応神天皇 )
    帯中日子尊 ( たらしなかつひこのみこと、  仲哀天皇 )
    息長帯姫尊  ( おきながたらしひめのみこと、神功皇后 )
 
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松山の八社八幡の四番社。
祭神は天宇受売命と八幡三神 ( 品田和気尊、帯中日子尊、息長帯姫尊 ) である。
 
「 伊予古蹟志 」 に 
 小栗 ( おぐり ) の邑に国者あり、正八幡宮 ( 雄郡神社 ) と曰う。
 用明天皇の元年九月五日、宇佐の神を遷し祭る。 
 社前に調馬場を置、古き流鏑馬祭の地なり。
とある。
 
慶長五年 ( 1600年 )、関ケ原の戦いのとき、河野家遺臣と毛利勢が攻め寄せてきて
加藤嘉明の家老佃十成 ( つくだかずなり ) が迎え撃ったとき、兵火が当社にも及んで
社伝社宝古文書を焼失した。
 
昔から鎮守の森と呼び、人々は神社の樹林を大切にしてきた。 当社の樹林も、かつての
うっそうとした樹林とは比べるべくもないが、地域の人々に守られて、松山市指定の
警官樹林保護地区となり、二代目の 「 左様の松 」 も育っている。
 
社宝には、 「 絵馬雄郡神社前景図 」 ( 万延 )、 「 左島雨乞いの図 」 ( 安政 ) がある。
 
松山市教育委員会
                                 ( 境内説明文 )
 
説明文には書かれていませんが、かつては雄郡 ( おぐり ) という御社名だったようです。
現在は ( ゆうぐんじんじゃ ) と呼ばれています。
小栗は、雄郡 ( おぐり ) に付けた当て字です。
 
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回廊を出た、拝殿に向かって右に、金砂神社 ( かねひさじんじゃ ) が鎮座されます。
 
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社殿の下には、なぜか福助さんが納められています。
 
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御祭り神は、金山彦命 ( かなやまひこのみこと ) と天神様と和霊様です。
金山彦命は、鍛冶金工並びに地がための守護神として、霊験が著しい神様です。
 
天神様は、もとは雷神として崇められていましたが、菅原道真公の生前の功績により
学問の神として信仰されるようになりました。 和霊様は、伊達政宗の長男である
秀宗に忠誠を尽くした山家公頼 ( やんべきんより ) の霊を祀っています。
 
                               ( 境内説明文 )
 
菅原道真公も山家公頼公も怨霊とされましたが、怨霊という強大な力を頼る信仰が
生まれています。 ここでは 「 雷神 」 と表現されています。
鍛冶や金工に関する人々の、商売繁盛の強い祈りがこめられた福助さん、という解釈で
良いのかな?
 
向かって右に鎮座されるのは、愛宕神社 ( 御祭神は火産霊神 ほむすびのかみ ) です。
 
消防団の方々が祈願をされていました。
 
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右の広場に、「 雄郡小学校発祥の地 」 の碑。
 
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雄郡小学校は、明治10年、雄郡神社の南隅に創立したと、雄郡小学校の
HP に書かれていました。 数人の友人が雄郡小学校の卒業生です。
 
正岡子規の歌碑。
 
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御所柿に 小栗祭の 用意かな
    ( おぐりまつり )
 
  明治28年10月7日、今出 ( いまづ ) の 霽月 ( せいげつ ) を
人力車で訪れる途中、雄郡神社で詠んだ句。
「 病餘漫吟 」 ( 明治28年 ) に 「 御所柿にいそぐ祭の用意哉 」
とある。
また、有名な 「 柿くへば 鐘が成る也 法隆寺 」 の柿も御所柿で、
子規の好物の一つであった。
 
                       ( 境内説明文 )
 
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うぶすなに 幟立てたり 稲の花
 
雄郡神社は正岡家の氏神様 ( うぶすな ) でもあった。
 
                                ( 境内説明文 )
 
子規の生家は、伊予鉄松山市駅と松山城の中間にある花園町で、雄郡神社から
500mほど北にあります。
 
龍昇の松。
 
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拝殿に向かって左、廻廊の入口の付近に藤廼社 ( ふじのしゃ )。
 
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御祭神は木之花咲耶姫命 ( このはなさくやひめのみこと ) 。
浅間神社に祀られている神ですので、御社名は 「 富士之社 」 という意味なのかも
しれません。
 
その左に御社名不明の境内社。
 
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社殿の中に御神像が祀られていたので、OO神社とわかったのですが、
御神像を撮るのは失礼だと思って撮りませんでしたら、忘れてしまいました。
斜めからでも撮れば良かったです。
 
その奥に忠霊塔。
 
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鳥居の近くに、境内社が鎮座されます。
 
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奥から、稲荷社、祇園社、三光社 ( さんこうしゃ )。
三光社の御祭神は、大己貴命 ( おおなむちのかみ )、少彦名命、事代主命。
 
以上。