観音寺の、琴弾公園のそばにある琴弾荘というホテルに泊まりました。
私は社用でも私用でも、旧旅の窓口でビジネスホテルを確保しますが、このホテルは
観光ホテルです。
 
建物は古いですが、宿泊費は手頃ですし、接客も丁寧ですし、とてもよかったです。
「 明日、ブラブラしようと思っているのですが、パンフレットや地図はありませんか。」
と尋ねたところ、幾つかを用意してくれて、 
「 こんなもありますよ。」
と見せてくれたのが 『 観音寺 金運スポット巡り 』 のパンフレットでした。 
 
時代劇 「 銭形平次 」 のオープニングにも登場する 超大型寛永通宝は、観音寺の
銭形公園にあるのです。 私は高松市の栗林公園に在るものと誤解していました。
 
また、ロト7で8億円が二回も出たという売場が在るそうで、そんなところから
「 金運パワースポット巡り 」という観光企画が生まれたようです。
 
あやかれるものにはあやかります、というのが私のスタイルです。
金運パワースポット巡りをすることにしました。
 
観音寺駅近くの、ビルに描かれたトリックアートからスタートです。
 
飛び出す七福神のトリックアート。
 
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これは 「 伊吹いりこ 」 というお店の壁に描かれています。
七福神の舟の前を飛び出しているのは、伊吹いりこです。
伊吹いりこのお店の前には、おいしそうないりこが並べられておりました。
 
数分歩いたところに、飛び出す招き猫のトリックアート。
 
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ホテルサニーインの入口に描かれています。
ホテルサニーインは、朝食付きのお手軽ホテルだそうです。
 
招き猫から数分歩いたところに、寛永通宝のモニュメント。
 
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「 金運パワースポット巡り 」 に書かれてある地図とは少しずれたところいありますので、
うろうろと探しました。 観音寺マダムに 
「 寛永通宝のモニュメントはどこにありますか?」
と尋ねたところ、
「 寛永通宝は平地を歩いてもわからない、寛永通宝展望台に登らないといけない。」
と言われましたので、地元ではそれほど知られていないようです。
 
寛永通宝のモニュメントの、通りをはさんだ反対側にある広場。
 
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ここは 「 金運パワースポット巡り 」 には書かれていない場所ですが、寛永通宝に
あやかりたいと思います。
 
第69番札所観音寺方面に数分歩きますと、石彫アート。
 
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なんでこれが金運スポットなのかわかりませんでしたが、説明板には
 
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日本宝くじ協会の収入で造られたものということは、その資本は元々は、
宝くじにはずれた人々のお金です。 
パワースポットとしては、マイナスなのではないんだろうか...と疑問を感じつつ
次のパワースポットである琴弾八幡宮へ。 ここから観音寺方面に徒歩5分。
 
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大鳥居の横には境内社、御祭神は不明。
 
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参道に建てられた狛犬が見えました。
 
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なかなかリアルです。 不敬なのはわかっていますが、どうしても目が行ってしまいます。
 
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龍神様はお疲れの様子です。
 
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元気一発、水も滴る龍神様となりました。
 
手水舎の対面に琴弾八幡宮の参道があります。
 
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平地には、多くの境内社が鎮座されますので、先に参拝することにしました。
 
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参道のすぐ左には、庚申神社。
 
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庚申神社に向かって左には、お地蔵さんが祀られています。
 
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お地蔵さんの後ろに、大きな松が聳えています。
 
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外側から眺めた、その松。
 
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松の左側に建てられているのは忠魂碑です。
 
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忠魂碑の左に建てられているのは慰霊碑です。
 
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諸戦役 戦没者慰霊之碑。
 
万世に亘りて日月と其の光を争い、千載の後まで其の名青史を照らすとは盖し一死
以って国難に殉じ、其の壮烈鬼神を泣かしむる烈士の謂い歟、過ぐる西南役以降の
諸戦役に進んで国難に殉じたる哉。
 
推うに之等愛国の至情の権化たる烈士は皆、一家の柱石、郷薫の中堅にして其の
前途に大いに為す有らんとするの大に志を抱きながら一朝祖国興廃の大任を荷うや
父母妻子の恩愛を断ちて勇躍戦陣趣き、奮闘散華せられたる者なり。
 
嗚呼、惨しき哉、状んや、限りなき悲歎、哀別離苦の愁傷、前途への困難を抱ける
其の遺族に於いておや、此を思い彼を思えば、誠に烈士の勇魂と雖ども容易に
冥する能わざるものあらん。 
 
然れども今や平和条約成り、国交漸く回復し、祖国再建、歓びを迎える秋に抵り、
之等戦没烈士の英霊を琴弾山麓の聖地に祀り、其の勲功を顕彰せんとするの義、
澎湃として郷人の間に起り、茲に此の塔の建立を見るに至れり。
 
希くは在天の英魂、永く此の地の冥し、祖国の護り、郷土の鎮めとなられ、厚く
後昆に加護を垂れさせられんことを。
 
昭和二十八年 OOO仲秋   町長 守武芳太郎 撰
                                ( 碑文 )
 
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忠魂碑と慰霊碑間に参道を登ると、忠魂社が鎮座されておりました。
 
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忠魂社に向かって右に境内社が集められています、 御祭神は不明。
 
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続く。