三条通・四条通・五条通・七条通は長く東西に走っておりますが、

二条通はそこそこ、六条通は短く鴨川近くに残っています。

しかし、一条通は見つけることが出来ません。
 
京都市出身の同僚に尋ねてみると、「一条通も有るけど、ものすごく短い。 」 。
再び地図を眺めてみても、やはり見つけることが出来ませんでした。
日をあらためて、チャレンジしたいと思います。
 
さて、四条通は東山に鎮座される八坂神社の楼門前をスタートして四条大橋で
鴨川を渡ります。 
「 祇園」 というのはこのあたりで ( 八坂神社が鎮座されるから祇園なのですが )
京都を代表する観光地で、大勢の観光客で溢れています。
テレビで放映される「 納涼床 」 や 「 当間隔で川辺に座るカップル 」 もこの辺りです。
 
西に向かい、金融街の烏丸周辺を抜けると随分落ち着き、地方都市の様子になります。
天神川を越えると、のどかな住宅街になっていきます。
これがまっすぐ一本の通りなので、日本の風景をとても凝縮している感じがあります。
 
桂川に架かる松尾橋を渡ると、大山咋神 ( おおやまくいのかみ ) を祀る松尾大社が
鎮座されます。 松尾大社は渡来の秦氏:秦忌寸都理 ( はたのいみきとり ) が創建、
代々秦氏が宮司を務めたお社でした。
 
松尾大社のHPによれば、秦氏は酒造の技術に優れており、大山咋神を酒造の神としても
崇めていたそうです。 きっと、桂川の伏流水で美味しいお酒を造っていたのでしょう。
 
地図で四条通りを追っていると、桂川を渡る手前に梅宮大社が鎮座されておりました。
へえ~、梅宮辰夫が関係あるお社なのかな、などとネットを見ておりましたら、大山祇神・
木花咲耶姫命を祀ってあるお社でした。
 
大山祇神・木花咲耶姫命といえば、大山咋神と同じく酒造の神です。
とすると、桂川の両岸、すぐ近くで酒造りの神を祀るお社が鎮座されているのですね。
梅宮大社は、阪急京都線「 西院駅 」 から西へ3㎞、自転車で15分程度のところに
鎮座されます。
 
    桂川 
    || 梅宮大社         天神川          鴨川 
   ||  ||            ||          ||
       =||=====================四条通=  ||八坂神社
松 ||                ||      西院駅  ||
尾 ||                ||
大 ||
社 ||
 
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民家の間の細い参道。
 
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楼門の上には、酒樽が並べられていました。
 
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楼門から眺めた境内。
 
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向かって右は、見事にねじれたトルネード五葉松です。
 
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向かって左に手水舎。
 
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手水舎の後方にも、酒樽が並べられておりました。
 
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酒樽の中に、ヒガシマル醤油。
 
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社殿。
 
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拝殿には、猿の絵馬が飾られておりました。
 
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御祭神
 
酒解神   ( さかとけのかみ、 大山祇神   :おおやまづみのかみ、酒造の神)
酒解子神 ( さかとけこのかみ、木花咲耶姫命:このはなのさくやひめのみこと)
大若子神 ( おおわくこのかみ、瓊々杵尊  :ににぎのみこと)
小若子神 ( こわくこのかみ、  彦火火出見尊:ひこほほでみのみこと)
 
相殿
 
嵯峨天皇     第五十二代天皇。
橘嘉智子皇后  嵯峨天皇の皇后 ( 檀林皇后 )
仁明天皇     第五十四代天皇で、嵯峨天皇の皇子。
橘清友公     橘嘉智子皇后の父。
 
― ― ―
 
奈良時代の政治家であった橘諸兄 ( たちばなのもろえ ) の母 縣犬飼橘三千代
(あがたのいぬかいたちばなのみちよ ) が、橘氏の氏神として現在の綴喜 ( つづき
井手町付近に創建したのが始りといわれている。
 
平安時代の初め、嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子皇后 ( 檀林皇后 ) によって、現在の地に
移された。
酒解神 ( 大山祇神)、酒解子神 ( 木花咲耶姫命 )、大若子神 ( 瓊々杵尊 )、
小若子神 (彦火火出見尊 ) の四座を祭神とする。
 
酒解神の御子・酒解子神の神は、大若子神との一夜の契りで小若子神が生まれたことから、
歓喜して、狭名田の稲をとって天甜酒 ( あめのうまさけ ) を造り、これを飲んだという
神話から、古くから安産と造酒の神として有名である。
 
また、皇子に恵まれなかった檀林皇后が、本殿の横に鎮座する「 またげ石 」 を
またいで子どもを授かったことから、この石をまたげば子宝に恵まれると伝えられ、
その下の白砂は安産のお守りとされている。
 
現在、本殿、拝殿、幣殿、廻廊、中門などがあるが、これらは元禄十三年 ( 1700 )
再建によるものである。
庭園は、杜若 ( かきつばた ) や花菖蒲 ( はなしょうぶ ) の名所として知られるほか、
梅、八重桜、椿、つつじ、あじさいが美しい。
 
                                ( 境内説明文 )
 
笠沙の岬の降られた瓊々杵尊が出会われた美しい姫君が、大山祇神の娘神である
木花咲耶姫命で、一夜で身篭り、火を放った八尋殿でお産みになられたのが
 
火闌降命   ( ほすそりのみこと、海幸彦、隼人の祖 )
彦火火出見尊 ( ひこほほでみのみこと、山幸彦 )
火明命     ( ほのあかりのみこと、尾張氏の祖 )
 
でした。
 
日本書記の一書 ( 第三 ) には、
 
木花咲耶姫命は、狭名田 ( さなだ ) と名付けた田の稲穂を醸して天甜酒
( あめのたむさけ ) を造り、沼田の稲を炊いて飯を作り、お供えした。
 
と書かれています。
ひな祭りで甘酒 ( 甜酒 ) を飲むのは、この故事から来ているのでしょう。
 
縣犬飼三千代は元明天皇 ( 女帝 ) に仕え、天皇から大変可愛がられて橘宿祢の姓を賜り、
縣犬飼橘三千代と名乗ります。 
敏達天皇の後裔である美努王に嫁いで、葛城王( 橘諸兄 )・佐為王 ( 橘佐為 )・
牟漏女王 ( むろのおおきみ ) をお生みになります。 橘氏の始祖でした。
 
後、縣犬飼橘三千代は美努王と別れ、藤原不比等に嫁ぎます。
不比等との間に藤原光明子(聖武天皇の皇后、光明皇后 ) をお産みになり、光明子は
孝謙天皇 ( 称徳天皇 ) をお産みになります。
 
縣犬飼三千代 ( 藤原不比等の妻 ) - 橘諸兄 (右大臣 ) – 橘奈良麻呂 ( 太政大臣 )
 - 橘清友 ( 太政大臣 ) - 橘嘉智子皇后 ( 嵯峨天皇の皇后 )
 
源平藤橘四姓の中では、最も地味なイメージがある橘氏ですが、こうして書いてみますと
藤原氏が絶対的な地位を築くためには、橘氏が不可欠だったのでしょう。
 
続く。