綾部市のマンホール。

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綾部市の丹羽大橋から望む、母なる川「由良川」の上流の眺望をイメージ
したマンホール蓋です。
京都府最大規模でカヌーも盛んな由良川をテーマに、陶芸家で美食家でも
あった北大路魯山人が称賛した由良川の「鮎」と、平安時代末期に平重盛
築いたとされる「綾部井堰」を下部に描きました。
中央には、昭和初期に造られた7連のアーチ状トラスの貴重な現役の橋
として国の登録有形文化財に登録され、由良川の当時の風景を今に伝える
「綾部大橋」と、その上部には新旧対比で、日本初の支間100m超の
PC斜張橋「新綾部大橋」を配し、青空に市の花「梅」と市の木「松」
が映えるデザインとしました。
(マンホールカードの説明文)
綾部市の飛び出し坊や。

若宮神社は、JR綾部駅から南へ2㎞のところに鎮座されます。


鎮座地:京都府綾部市上野町藤山1-2

長い参道の石段を登っていきます。


境内、拝殿に向かうの石段の右前に手水舎。



石段の左前に「厄除けの瀧」があります。水は流れておりませんでした。



奉納時期不明の狛犬。

若宮神社、拝殿と本殿。
拝殿は春日造に軒唐破風、本殿は流造。立派ですね。

境内に説英文はありませんでした。
公式HPの記事を転載します。
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御祭神:仁徳天皇(大鷦鷯尊・おおさざきのみこと)
若宮神社は治承年間(1177~1180年)、平重盛が丹波の国守をしていた時
山城の国(京都府南部)石清水八幡宮の権殿に祀られている御祭神・
仁徳天皇の御分霊を、この地に迎えたものと伝えられています。
寛永10年(1633年)3月、徳川3代将軍家光の時、九鬼藩の初代藩主・
九鬼隆季(くきたかすえ)が志摩の国(三重県)鳥羽から綾部に転封
された時に、お屋敷内に祀られていた当若宮神社を厚く尊崇し、
綾部藩の総氏神と定めました。
また、2万石乏しい石高の中から見取田と金穀を献上し、それを祭典や社殿
の修繕費にあてました。
以来、第2藩主の九鬼隆常(くきたかつね)を経て、第11代九鬼隆備
(くきたかとも)の明治廃藩に至るまで、各代の藩主の家督相続襲封毎に
「任先規永代無退転可令執行也」という御朱印書をもって、祭礼料や
修復料を献納しました。
もともと、若宮神社は綾部の南北をつなぐ坂口(現在の田町)に
祀られていました。
慶安4年(1651年)、初代藩主・九鬼隆季が御屋形を南部高台の
上野本宮山西麓に移すことになった時、総氏神である若宮神社を
下位の坂口に祀るのは誠におそれ多いことと考え、御屋形の正面である
藤山の中腹に奉遷しました.
拝殿に向かって右前に、石製の神馬像が祀られています。

若宮神社に向かって左に、厄除神社が鎮座されます。

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●御祭神:猿田彦神
あやべ厄除神社の御祭神・猿田彦神は、天孫瓊々杵尊(ににぎのみこと)
が高天原から日向の高千穂の峰に降りてきた際、道案内にたって種々の
災いを祓い除き、尊を安全に日向の国に導いたという古事から、
「厄除の神」として厚く尊崇されています。
また、猿田彦神は教育教導の神、芸能の神、スポーツ(特に球技)の神、
道路の神、船霊神として、全国至るところに祀られています。
古事記によると、高天原とはたくさんの神々が住んでいたとされる天上の
世界。
日向の高千穂は宮崎県の高千穂であるといわれています。
つまり、天孫瓊々杵尊が天照皇大神の命により日本の国を統べ治めるため
高天原から地上に降りる時に猿田彦神が尊に仕え、さまざまな災いを
祓いながら、日向の国に案内したということです。
厄除神社 |
厄除神社の本殿に向かって右後方に、境内社が鎮座されます。
左から、車折神社・稲荷神社・権現社・塩釜神社・出雲神社。

若宮神社の本殿に向かって右後方に、粟嶋神社が鎮座されます。

その右に天満宮が鎮座されます。

その右に、九鬼霊神社(九鬼氏祖霊社)・杵の宮が鎮座されます。

拝殿からの眺め。


以上。