佐須我(さすが)神社は、JR石原駅から北へ2.5㎞のところに鎮座されます。

 

 

 

鎮座地:京都府福知山市私市宮ノ下25

 

 

 

 

左に手水鉢。

 

 

 

 

拝殿に向かって左前に土俵があります。

 

 

土俵の後方に境内社が鎮座されます。

 

 

一本木から掘り出された狛犬。

 

    

 

拝殿に向かって右前に社務所があります。

 

 

拝殿。

 

 

 

式内社 佐須我神社 丹波国 何鹿郡鎮座

現社名 佐須我神社

御祭神 武速須佐之男命 (配祀)稻田宮主神 稻田宮主簀狹之八箇耳

旧社格 村社

 

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佐須我神社

 

由緒 

 

何鹿郡延喜式内十二座その一として、太古は天田郡雀部庄川北村、戸田村、

石原村、土村、前田村、土師村及び私市村の七ヶ村の郷社にして参拝常に

絶えず。

しかるに応仁年間国家相乱の為、地頭の変遷年に改まり、社領没収、

神官も絶家し、神庫等灰儘に帰す。依て古書伝記等なく唯口碑の存するのみ。

 

祭日 

 

往古より陰暦九月十日をもって祭典式を挙行す。

行事は村吏奉幣使として参内、神饌料を供進す。

神興の渡御は同神社内休憩所までで、摂社八幡神駄及び鳴神天神籔神鉾と

共に佐須我神裡に渡御せり。茲において神饌を御供、祝詞を奏上し、

玉串を奉納す。

而して摂社八幡神社へ神幸あり、直に還幸ありて式を了る。

往時は前記七ヶ村と共に、同日鳴神天神社に集合して大祭典を執行したり

しに、何れの噴からか不明なるも之を廃せり。その年代詳かならず。

しかし今尚旧跡を存するもの、同社の鋳に大馬場、馬出し、的場、

燈明田等歴然として小字名が残っている。祭日を太陽暦に改むとある。

 

                             福知山史

 

拝殿に向かって左に清所神社が鎮座されます。

 

 

その左に八坂神社が鎮座されます。

 

 

本殿に向かって左後方に稲荷神社が鎮座されます。

 

 

その後方に境内社が鎮座されます。

疲れておりましたので3,登らず遥拝。よって御社不明。

 

 

 

境内社からの眺め。

 

 

拝殿からの眺め。

 

 

以上。

沢神社は、JR高津駅から北東へ2㎞、山腹に鎮座されています。

 

 

 

鎮座地:京都府綾部市栗町沢2

 

 

 

 

 

石段のコケはふさふさです。

ほとんど人が通らないということですね。

 

 

石段に向かって左に手水舎。

手水鉢は、天明三年九月に奉納されています。

 

 

 

拝殿に向かって左前に、土俵・社務所。

 

 

奉納時期不明の狛犬。

 

    

 

拝殿の向こう側に本殿が鎮座されます。

向かって右は東殿社(大嶋神社)、向かって右は西殿社(沢神社)。

 

 

 

式内社 佐陁神社 丹波国 何鹿郡鎮座

現社名 沢神社

御祭神 事代主命 国常立命 埴安姫命

旧社格 村社

御由緒 不明

 

本殿に向かって左に鎮座される境内社、御社名不明。

 

 

本殿に向かって右に鎮座される境内社、御社名不明。

 

 

 

拝殿からの眺め。

 

 

 

以上。

小型の飛び出し坊や。

 

 

赤国(あかくに)神社は、JR綾部駅から西北へ16㎞の所に鎮座されます。

 

 

 

鎮座地:京都府綾部市舘町宮ノ前72-1

 

 

桜並木の参道。

 

 

 

 

 

 

左に手水舎。

 

 

 

手水舎からの眺め。

 

 

拝殿に向かって右前に神馬像。

 

 

明治二十四年に奉納された狛犬。

 

    

 

 

式内社 赤国神社 丹波国 何鹿郡鎮座

現社名 赤国神社

御祭神 瓊瓊杵尊 天宇受売命 猿田彦命

旧社格 郷社

 

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赤国神社

 

祭神 瓊々杵尊、猿田彦命、天宇須女命

 

丹国社のちに赤国社と記し、稲葉山の宮の段に奉祀されていたという。

慶長5年の兵火により類焼、什宝記録を焼失した。

江戸時代の初期まで旧暦8月の十日祭に梅若太夫の能楽が奉納されたと

いう。

 

宝物(文の鳥)は神輿に附する銅製の鳳凰で、「正和三年九月八日下司

源光高」の銘を有し、当社の由緒を物語る市指定文化財、境内発見の

八稜鏡は藤原朝の作である。

 

大正年間、当社近隣で石斧、鉄滓、土器 の発見は、当地方考古学研究の

先駆となった。

 

                           (境内説明文)

 

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赤国神社由緒

 

1.鎮座地 

稲葉野山続にあり神代より鎮座の地平地也 往古より宮の段と云来たり、

其の後現在地宮の前に遷座され現在に至る

 

1.郷社式内赤国神社由来

古老の云伝に神代に瓊瓊杵尊御巡幸の節宮を造り給い暫く御滞在され村を

館と名付と云へり 往古は丹波国一社の神故に丹の国の社と云う。

古き物にも丹国と書たるもあり又瓊瓊杵尊御諱(尊の御本名のこと)

丹仁の尊と申奉るつき恐多に付赤国社と書換るとも云説あり。

赤国社は境内東西28間(56m)南北34間(68m)の廊郭の旧跡あり。

是より推測せば上古は実に尊大なる神社にて歴々の神官ありて奉祀する。

 

1.祭神

右殿 猿田彦大神

中殿 天津彦彦火瓊瓊杵尊

左殿 天鈿女命

 

右三神を祭社也 日本三所に祭在社とも云説あり。

又近衛龍山公丹後の国天の橋立参詣の路次旧社の故実旧記を御尋に有御一宿

され、帰京の後朝廷より直に正一位の位号を被下正一位赤国大明神の額を

寄附被下置候と申侍現在拝殿正面に掲示。

 

外に摂社二座 境内二神社

稲葉神社大明神 祭神 素戔嗚尊 旧鎮座地稲葉野山に祭在

稲荷神社大明神 祭神 倉稲魂命 旧鎮座地字永泉山に祭在(館の森)

琴平神社 祭神 大物主命

於保加牟豆美神社 祭神 於保加牟豆美命

 

1.文化財

旧器物一種今に残り有 御神輿頂に在る鸚鵡鳥也俗に文の鳥と云銅器也 

銘に正和3甲寅9月8日(1215鎌倉時代)下司源光高作

又、天保7年4月(1857)文政時代京都●●大隅守栄嗣と云者吉田家の

命を承り、社殿改築此の三殿を造有祭神如前相違無く、

弘川氏曰く当赤国社は神代より鎮座の地なり。

 

                            (境内説明文)

 

拝殿に向かって右前に、境内社二社が鎮座されます。御社名不明。

 

 

 

稲荷神社が鎮座されます。

 

 

 

綾部市に鎮座される神社のお賽銭箱は、こういった埋め込み型が多いです。

 

 

拝殿からの眺め。

 

 

 

以上。

御手槻(みてつき)神社は、JR綾部駅から北へ1.2㎞のところに鎮座されます。

 

 

 

鎮座地:京都府綾部市位田町岩井107

 

 

 

 

右に手水舎。

 

 

 

 

手水からの眺め。

 

 

奉納年月不明の狛犬。

 

    

 

境内を歩いていたら頭にカツンと何かが当たりましたので、そっと手を

当てると、ビー玉くらいの石が1個、葉っぱが1枚、頭の上に乗っかって

いました。何で頭の上に?

鳥が落としていったのかな? それくらいしか思い付かない。

 

拝殿に向かって右前に、境内社が鎮座されます。御社名不明。

 

 

境内社からの眺め。

 

 

 

式内社 御手槻神社 丹波国 何鹿郡鎮座

現社名 御手槻神社

御祭神 伊弉諾尊

旧社格 村社

 

由緒は不明です。

 

拝殿からの眺め。

 

 

以上。

里宮高倉神社は、JR綾部駅から北へ1.3㎞のところに鎮座されます。

JR綾部駅から北東へ4㎞いったところには高倉神社が鎮座されますが、

その里宮が里宮高倉神社です。

 

 

 

 

参道は桜並木です。

 

 

 

手前の建物は舞殿?

 

 

社殿に向かって左に手水舎。

 

 

 

 

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里宮高倉神社 由緒略記

 

この社は、人皇七十七代後白河天皇の第二皇子高倉の宮以仁(もちひと)王

がお祀りしてあります。

 

治承四年源三位頼政は、驕暴を極める平氏追討のため以仁王を奉じて挙兵

し、治承の乱となりました。

宇治の激戦において官軍に利あらず敗戦となり、頼政は平等院において

戦死しました。

宮は焦眉の危難を避け、十二名の武将とともに頼政の所領であった丹波の

国吉美郷へ落ち延びて来られました。

 

時恰も、田植えの最中の六月九日、由良川の白瀬を渡り里へ辿り着かれた

宮を迎え、里人たちは清水を汲んできて宮の矢疵を洗い、汗をぬぐい、

介護し奉るとともに、笛、太鼓を打ち鳴らして田楽を踊り、おもてなしを

しました。

 

宮も大変お喜びになり、「イヤソー、イヤソー」と踊りをはやし立てられた

といいます。

然し、十二士や里人たちの心からなる介護もむなしく、矢疵は痛みを増し、

御年三十歳であえなく他界されることになりました。

 

「あま雲の かかる位山晴れもせず 高嶺あらしに 散るぞかなしき」

の辞世があります。

御遺体は里の宮地に懇に葬り、この地に霊廟を建てて祭祀されました。

 

その後、養和元年(1181)九月九日、奥の谷の森、高峯(現在の高倉町)に

社を建立してお遷しし、高倉天一大明神として奉斎されました。

この里宮は宮の御最期の地であり、元宮でもあります。

 

江戸時代には、山家藩より奉行が立ち祭礼を出仕執行することを慣例と

して来ました。

当日、御神輿は高倉よりこの里宮へ吉美地内のい各社がお供して渡御に

なり、祭礼が行われ、宮前の桜並木の馬場で武者行事「流鏑馬」の神事

もあり、また若者が腰太鼓、横笛、編竹の三種を用い、「ひやそ」と称する

田楽踊りを奉納してきました。

この「ひやそ」は宮の囃言葉「イヤソー」から来ていると言われています。

 

矢疵を洗い、お疲れを癒したと伝えられる清水は、社の東北厄150mの所に

今も絶えることなく湧き出しております。

 

宮が矢、矢疵の腹痛でお悩みのとき、

「私が天界へ行ったなら、このような腹痛の苦しみを後世の万民が味わう

 ことのないよう救い、守護しよう。」

と仰せられました。

以来御神徳は四方に輝きわたり、腹痛に神さまとして、また世直しの神、

五穀豊穣、安産、万病平癒の神として、霊験あらたかなるを伝え、崇敬を

集めて来られました。

 

里宮高倉神社

                          (境内説明文)

 

里宮が元宮、というのは珍しいですね。

 

社殿に向かって右前に「明治二十七年九月に奉献された狛犬ここに眠る」

という石碑が建てられています。

境内に引退した狛犬が置かれていることは多いですが、埋められている

というのは初めて遭遇しました。

 

 

社殿に向かって左前に日吉神社が鎮座されます。

 

 

社殿からの眺め。

 

 

以上。

二宮神社は、JR綾部駅から北東へ900mのところに鎮座されます。

 

 

 

 

右に手水舎。

 

 

昭和四十五年三月に奉納された狛犬。

 

    

 

本殿には、二宮神社・三宮神社が合祀されています。

 


綾部市には、大本教本部が鎮座されます。

二宮は、大本教が参拝する大本七社のうちの一社です。

大本教公式HPの記事を転載します。

 

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七社参拝とは、綾部市旧市街にある七つの産土神社を巡拝する行事であり、

明治36年5月24日(旧4月28日)の弥仙山(綾部市於与岐)における、

二度目の天の岩戸開きの神事のお礼として、出口なお開祖が福知山の

一宮神社と綾部の産土神社を参拝されたことに始まる。

 

大本では現在も綾部市中の秋祭りの前夜に産土神社七社の巡拝を行い、

大本の神業成就へむかっての日頃の御礼や祈願を行っている。

 

所在地 京都府綾部市 青野町

 

御祭神 二宮神社:国常立尊

    三宮神社:豊雲野尊

 

由緒略記

 

二宮神社は江戸時代の寛政8年(1796)12月、三宮神社は安永9年(1780)

2月に建立される。

二社は昭和40年に合祀され、昭和45年6月28日竣工御鎮座の御盛儀が行われた。

綾部七社について - 大本

 

本殿に向かって左に八坂神社が鎮座されます。

 

 

 

一対目は平成八年十月、二対目は平成九年十月に奉納されています。

 

 

 

本殿に向かって右に荒神社が鎮座されます。

 

 

社殿からの眺め。

 

 

以上。

熊野新宮神社は、JR綾部駅から東へ1㎞のい所に鎮座されます。

 

 

 

 

 

とても立派な両部鳥居です。

 

 

拝殿に向かって左前に手水鉢。

 

 

 

平成六年五月に奉納された狛犬。

 

     

 

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「氏神様さまの庭の白藤、梅と桜は出口なおのお礼の庭木に植えさした

のであるぞよ。白藤が栄えれば綾部よくなりて……」

云々とお筆先にある通り、熊野神社と大本とは深い関係がある。

この熊野神社のことについて、聖師は次のようにおっしゃっている。

 

「太古に素戔嗚尊が出雲から出て来られた時に、本宮山(鶴山)の上に

素戔嗚尊の母神である伊邪那美尊様をお祀りして、これを熊野神社と

名づけられた。

その後、素戔嗚尊は紀州に御進発になり、紀州にもまた神宮、本宮、

新宮という熊野三社をお祀りになったのである。

 

本宮山にあった熊野神社は、九鬼家が伊勢の鳥羽から転封して綾部に

移り住むようになった時に、現在熊野神社のある和知川べりにお遷し

申し上げたのである。

 

その当時は九鬼家の館が、やはりその熊野神社の裏にあった。

元来九鬼家は二万石の小禄であったので、城をきづくことができなかった

ため、邸を建てていたのであったが、火事で焼けてしまったので、

当時村民たちは

『熊野神社を下に遷したから神罰で焼けたのだ』

と言ったり、

『焼け屋敷』

など呼んでいたものである」

 

古文書によると、熊野新宮神社は、伊邪那美命、事解男命、速玉男命を

祭神とし、古く本宮山の東麓にあったのを九鬼隆季公のとき現在の地に

遷し、ついで子隆常公は寛文十年三月、社領として三石五斗一升の地を

奉納した、とある。

 

綾部藩の記録の中には、新宮之神社は熊野権現にてまします。

すなわち此処は昔、平重盛卿領地たりしによって勧請し、不時の詣を

なさまほしく、景色の清き所を選び給う、とも記されてある。

 

             「神の國」昭和27年12月号『総産土神社』

 

拝殿に向かって左に境内社が鎮座されます。

左から、金毘羅宮、厄神社。

 

 

拝殿に向かって右に産土総社が鎮座されます。

 

 

拝殿に向かって右前に境内社が鎮座されます。

 

 

左から、繁昌神社、恵比寿神社、金持(かもち)神社。

 

 

恵比寿神社は、春日造に2つの千鳥破風が付いた非常に珍しい社殿です。

金持神社は、有名な鳥取県・金持神社からの勧請です。

鳥取 日野郡 金持神社 ( かもちじんじゃ ) 伯耆国開運八社 | 札所参拝日記のブログ

 

繁昌神社は聞いたことがなく、神職に尋ねても「わからない」ということ

でした。ネットを検索したところ、京都市下京区に鎮座されていました。

京都の繁昌神社 商売繁盛の神社 | 京都探訪:旅のおすすめ

 

拝殿からの眺め。

 

 

以上。

綾部市のマンホール。

 

 

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綾部市の丹羽大橋から望む、母なる川「由良川」の上流の眺望をイメージ

したマンホール蓋です。

京都府最大規模でカヌーも盛んな由良川をテーマに、陶芸家で美食家でも

あった北大路魯山人が称賛した由良川の「鮎」と、平安時代末期に平重盛

築いたとされる「綾部井堰」を下部に描きました。

中央には、昭和初期に造られた7連のアーチ状トラスの貴重な現役の橋

として国の登録有形文化財に登録され、由良川の当時の風景を今に伝える

「綾部大橋」と、その上部には新旧対比で、日本初の支間100m超の

PC斜張橋「新綾部大橋」を配し、青空に市の花「梅」と市の木「松」

が映えるデザインとしました。

 

                    (マンホールカードの説明文)

 

綾部市の飛び出し坊や。

 

 

若宮神社は、JR綾部駅から南へ2㎞のところに鎮座されます。

 

 

 

鎮座地:京都府綾部市上野町藤山1-2

 

 

長い参道の石段を登っていきます。

 

 

 

境内、拝殿に向かうの石段の右前に手水舎。

 

 

 

 

石段の左前に「厄除けの瀧」があります。水は流れておりませんでした。

 

 

 

 

奉納時期不明の狛犬。

 

    

 

若宮神社、拝殿と本殿。

拝殿は春日造に軒唐破風、本殿は流造。立派ですね。

 

 

境内に説英文はありませんでした。

公式HPの記事を転載します。

 

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御祭神:仁徳天皇(大鷦鷯尊・おおさざきのみこと)

若宮神社は治承年間(1177~1180年)、平重盛が丹波の国守をしていた時

山城の国(京都府南部)石清水八幡宮の権殿に祀られている御祭神・

仁徳天皇の御分霊を、この地に迎えたものと伝えられています。

寛永10年(1633年)3月、徳川3代将軍家光の時、九鬼藩の初代藩主・

九鬼隆季(くきたかすえ)が志摩の国(三重県)鳥羽から綾部に転封

された時に、お屋敷内に祀られていた当若宮神社を厚く尊崇し、

綾部藩の総氏神と定めました。

また、2万石乏しい石高の中から見取田と金穀を献上し、それを祭典や社殿

の修繕費にあてました。

以来、第2藩主の九鬼隆常(くきたかつね)を経て、第11代九鬼隆備

(くきたかとも)の明治廃藩に至るまで、各代の藩主の家督相続襲封毎に

「任先規永代無退転可令執行也」という御朱印書をもって、祭礼料や

修復料を献納しました。

 


もともと、若宮神社は綾部の南北をつなぐ坂口(現在の田町)に

祀られていました。
慶安4年(1651年)、初代藩主・九鬼隆季が御屋形を南部高台の

上野本宮山西麓に移すことになった時、総氏神である若宮神社を

下位の坂口に祀るのは誠におそれ多いことと考え、御屋形の正面である

藤山の中腹に奉遷しました.

 

 

 

 

 

拝殿に向かって右前に、石製の神馬像が祀られています。

 

 

若宮神社に向かって左に、厄除神社が鎮座されます。

 

 

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●御祭神:猿田彦神

 

あやべ厄除神社の御祭神・猿田彦神は、天孫瓊々杵尊(ににぎのみこと)

が高天原から日向の高千穂の峰に降りてきた際、道案内にたって種々の

災いを祓い除き、尊を安全に日向の国に導いたという古事から、

「厄除の神」として厚く尊崇されています。

また、猿田彦神は教育教導の神、芸能の神、スポーツ(特に球技)の神、

道路の神、船霊神として、全国至るところに祀られています。

 

古事記によると、高天原とはたくさんの神々が住んでいたとされる天上の

世界。

日向の高千穂は宮崎県の高千穂であるといわれています。

つまり、天孫瓊々杵尊が天照皇大神の命により日本の国を統べ治めるため

高天原から地上に降りる時に猿田彦神が尊に仕え、さまざまな災いを

祓いながら、日向の国に案内したということです。

厄除神社 |

 

厄除神社の本殿に向かって右後方に、境内社が鎮座されます。

左から、車折神社・稲荷神社・権現社・塩釜神社・出雲神社。

 

 

若宮神社の本殿に向かって右後方に、粟嶋神社が鎮座されます。

 

 

その右に天満宮が鎮座されます。

 

 

その右に、九鬼霊神社(九鬼氏祖霊社)・杵の宮が鎮座されます。

 

 

拝殿からの眺め。

 

 

 

以上。

綾部市の飛び出しお嬢ちゃん(旧)。

 

 

飛び出し坊や(新)。

 

 

山添神社は、JR綾部駅から西へ2㎞の所に鎮座されます。

 

 

 

鎮座地:京都府綾部市上延町宮の谷

 

 

    

 

階段を登った右に手水鉢。

 

 

 

拝殿に向かって左前に御神木の杉が聳えています。

樹齢は約500年。

元は32mの高さがあったそうですが、高いのは危険だということで、

2/3の高さに切ったそうです。

 

 

 

大正期に奉納された狛犬。

 

    

 

 

 

    

 

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創立は不明だが元禄九年(1696)大破建替、

その後天保十一年(1840) 社殿大破建替と神社明細帳にある。

本殿は、棟札によれば天保十二年再建である。

 

                    (境内説明文)

 

本殿に向かって左に蛭子神社が鎮座されます。

 

 

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菅地区の蛭子山に祀られていたのが、明治三年(1870)山添神社境内に遷座

した。

春の祭礼は「菅のえべっさん」として知られ、露店も出て各地から多くの

参拝客で賑わった。

 

                          (境内説明文)

 

本殿に向かって右に境内社が鎮座されます。御社名不明。

 

 

本殿からの眺め。

 

 

以上。

 

 

京都駅、城崎温泉行き「きのさき1号」です。

 

 

綾部駅。

 

 

綾部八幡宮は、JR綾部駅から西へ600mのところに鎮座されます。

 

 

 

鎮座地:京都府綾部市宮代町明知9番地

 

 

今回は綾部市内に鎮座される神社を参拝するため、駅前でアシスト自転車

を借りました。1日1500円。

 

 

参道の前に地蔵堂があります。

 

 

 

 

参道の左に聖岩が祀られています。

向かって左が男岩、右が女岩、中央が岩凝姫命(いしこりひめのみこと)

が宿られる岩です。

 

 

 

鳥居をくぐった左に手水舎。

 

 

 

 

平成二十六年六月に奉納された狛犬。

 

    

 

 

大正八年十一月に奉納された狛犬。

 

    

 

御祭神 応神天皇(おうじんてんのう)
    神功皇后(しんぐうこうごう)
    仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
    仁徳天皇(にんとくてんのう)
    武内宿禰(たけのうち すくね)

 

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八幡宮

 

八幡宮は綾部郷の総社、井倉八幡宮という。

当社縁起書には岩清水八幡宮の別宮で治承年中(1177~1181)平重盛が勧請

したというと綾部藩々記に述べている。」

 

二月四日奉射講の弓初、四月三日御田植のまねびの行事があったが、

戦時中中断した。

平成六年、寛政八年(1796)の古記録をもとにお田植を復活し、毎年実施

している。

 

御田植祭は綾部郷内七社の関係者が寄り合い、翁の面を付けた八幡宮の

神職が、暦見、田おこし、水当、田すき、種まき、鳥追い、苗取、田植を

進め、苗取り、田植は笛、太鼓、鉦の拍子と音頭にあわせて全奉仕者が

行い、最後に傘鉾の練り込みで終了する。

綾部郷の稲作が演技の進行の通り豊穣である事を神に祭って願う民間行事

である。

 

半左衛門の所作の演技は、古式をよく伝え、一郷の年中行事の始めとして

後世に長く継承されるものである。

 

平成十一年一月 綾部の文化財を守る会

                          (境内説明文)

 

 

 

拝殿に向かって左に遥拝所。

 

 

その隣に御神木が聳えています。

 

 

 

本殿に向かって左後方に、境内社が鎮座されます。

左から、猿田彦神・大物主神・大山祇神、八坂神社。

 

 

本殿に向かって右後方に、境内社が鎮座されます。

 

左から、天照皇太社、岩神神社。

 

 

その後方に、稲荷神社が鎮座されます。

 

 

 

拝殿からの眺め。

 

 

 

以上。