徳島県護国神社は、JR牟岐線:文化の森駅から東へ1.7㎞のところに
鎮座されます。
鎮座地:徳島県徳島市雑賀町東開21-1
昭和五十四年五月に奉納された狛犬。
右に手水舎。
徳島県護国神社公式HPの記事を転載します。
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御祭神
明治戊辰の役より幾多の事変並びに戦争等の国難に殉ぜられた徳島県
出身の英霊34,369柱を奉斎し、また相殿に徳島県出身の殉職自衛官の御霊
24柱を奉斎しています。
由緒・沿革
明治12年徳島市の眉山公園内に戊辰戦争からの戦没者を慰霊顕彰する
ために招魂碑を建立したのが当神社の創祀です。
明治39年徳島城跡地(徳島中央公園城山山頂)に移転し、
昭和13年には「徳島縣招魂社」として神社が建立され、
翌14年には内務大臣指定「徳島縣護國神社」と改称しました。
昭和20年の徳島大空襲ですべての建造物を焼失しましたが、
昭和33年戦後混乱期の社会情勢の中で官民一体となり、
県民挙げての奉賛により再建されました。
昭和53年には御創社百周年記念として境内整備事業が完工し、
昭和63年には御創建三十周年記念事業として社殿屋根銅板葺替工事が
行われました。
ところが、その城山山頂はもともと徳島市からの借地であり、原生林保護
区域にも指定されていたため車道整備などの開発ができず、
遺族・崇敬者の参拝も大変不便であったことから、平成になって再度移転
の話が持ち上がりました。
そのようななか現在地にお住まいになられていた女性篤志家から移転用地
(約2,700坪)の寄進を受け、遺族を中心に多くの県民からの奉賛を受けて、
平成15年本殿・社務所参集殿の新築、拝殿・手水舎・慰霊碑および境内諸
施設の移設等を完了、正面入口には石造りでは四国最大級の大鳥居が
竣工し、今の姿になりました。
社殿に向かって右に慰霊碑が建立されています。
比島戦没者の碑。
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太平洋戦争における比島戦没者の内、本県出身者の多くは首都マニラの
東部に位置する山岳地帯で散華されました。
昭和54年、徳島県遺族会が主催した第2回比島戦跡巡拝団によって
戦没地の山々が望めるアンッシポロの丘陵に鎮魂の碑を建立しました。
しかし、時代の経過の中で碑の建立地周辺が市街化によって慰霊環境の
悪化が進んだため、鎮魂碑を平成16年に日本に持ち帰り、当護國神社境内
に再建立しました。
昭和54年1月 建立 徳島県遺族会青年部
(碑文)
桜飛会徳島戦没者慰霊碑。
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表:
海軍甲種飛行予科練習生十二期前期
昭和十八年四月 鹿児島海軍航空隊入隊
裏:
戦没者 15柱の御英霊の出身町、氏名 刻印
同期戦没者を悼み世界平和を祈念する
建立者 桜飛会徳島支部 同期生及び遺族
平成16年10月吉日
(碑文)
硫黄島戦没者之碑。
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昭和52年3月14日
城山公園護国神社境内に 徳島県防衛教会 建立
護国神社の移転に伴い平成15年9月吉日 再建
(碑文)
昭和天皇 憲皇太后 歌碑。
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憲皇太后 御歌
皇いくさの 道につくしし まこともて なほ国まもれ ちよろずの神
昭和天皇 御製
國守ると 身をさずつけし ひとびとの 上をしおもふ 朝にゆふへに
昭和53年5月 創立5周年記念 徳島市傷痍軍人会 仝 妻之会
(碑文)
ソロモン群島戦没者慰霊碑。
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裏面
昭和58年11月 徳島県ソロモン・ブーゲンビル会
昭和53年 ブーゲンビル島霊砂埋奉
(碑文)
陸軍少年飛行兵 若鷲の碑。
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我が国が軍国日本として世界に君臨した昭和初期清純な青春のたぎる
血潮を一すじに祖国守護の若鷲として戦果の大空に愛機と共に活躍した
陸軍少年飛行兵は三軍の花とうたわれたのであるが惜しくもその半ば
悠久の大義に燃えつつ雄々しく翼と共に散華したのである
戦后志を同じくした者相集い少飛会を結成茲に記念碑を建立し永しえに
少飛の名をとどめんとするものである
昭和54年10月吉日 徳島県少飛会建立 会長 福岡博書
(碑文)
関東軍防疫給水部隊呉支部戦友会。
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黒龍江千里の流れ今眠る 厚い氷にとざされて
雪のシベリヤ 満州の中を?たてし
春を待つ 春を待つ
満州国黒河省孫呉縣鈴蘭ヶ丘 満州第七三一部隊六七三部隊
(碑文)
徳島船砲会 慰霊碑。
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表:
戦友よ父よ夫よ兄弟よ
墓標なき千尋の海にさまよへる御霊よ
此の地に帰りて安らかに眠り給はん事を心から祈る
裏:
大東亜戦争下広域海洋作戦における輸送船は祖国と前線を結ぶ大動脈
であり、戦争末期に至り頼みとする我が海空軍は壊滅状態に近く之が
護衛に任ずる船砲隊は僅かの火砲を以て敵潜敵機の猛攻に死守応戦
せるも、遭難せる船舶2568隻843万屯に達し、郷土出身の船砲隊勇士の
太平洋のわだつみ深く鎮まりたる者124柱を数ふ。
戦後30余年を経し今日に至るも、現地の墓参遺骨の収集は至難の業
にて痛恨の極みなり。
茲に亡き戦友の御霊の安らぎを祈念し、その勲功を讃へ氏名を刻し永く
平和の礎として碑内に安置せり
昭和58年3月20日 徳島船砲会 建立
(碑文)
歩兵第四十三聯隊戦没者慰霊碑。
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右副碑:
歩兵第四十二連隊略史
明治31年3月24日 宮中に於て軍紀拝受
明治31年4月19日 日露戦争出征 旅順・清河城 撫順 転戦
明治42年9月9日 満州駐剳派遣 鉄嶺警備
大正9年9月26日 シベリア出兵 浦塩ブッセッカ警備
昭和7年2月23日 上海事変出征揚子江辛口上陸
昭和12年8月14日 支那事変出征羅店鎮南翔無錫転戦
昭和12年9月22日 満州派遣 虎林駐屯 満ソ国境警備
昭和20年4月7日 本土防衛のため四国に帰還
昭和20年8月15日 高知浦戸湾防衛中終戦
昭和20年8月18日 高知市仁井田実盛塚にて軍紀捧焼
歩兵第43聯隊戦友会建立
左副碑:
戦没英霊慰霊碑建立経過(細部略)
昭和51年8月21日 慰霊碑建立
昭和53年10月1日 満州第712部隊第3大隊戦没者慰霊標建立 グァム島
昭和56年2月8日 同上再建
平成元年11月11日 慰霊碑再建
(碑文)
歩兵第62連隊第2大隊 戦友之碑。
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裏:
日支事変の勃発に伴い我が歩兵第62連隊は、四国4県の連隊の精鋭と
関東軍の一部で編成され第2大隊は徳島第43連隊が母体となり
昭和13年4月坂東町の兵舎で完了しました
昭和13年9月 河北省塘活に上陸し鉄道警備治安粛正のかたわら
蘇北作戦 宇学忠軍殲滅作戦第2次魯南 劉共作戦中原会戦と数百回の
討伐作戦をくりかえし 三年有余1日として休む暇なく戦いこの間軍司令官
から数々の賞詞を頂きその戦果と殊勲は燦然と輝きました
大東戦争に突入するや昭和17年2月比島に前進●ンガエン湾に上陸
第1次総攻撃は挫折第2次バタアン総攻撃に参加要塞に立てこもる
米比軍7万との決戦は我が方が一発撃てば30発以上の応酬で
特にタニサイ河とアボアボ河の合流点での2週間に亘る死闘は
実は凄惨苛烈で十数回の肉弾突破をくりかえし、遂に敵の堅塁を抜き
米比軍壊滅の大きな端緒を作りました
第2大隊の戦史に燦然たる光彩を放ち方面軍司令官から数々の賞詞を
頂き、バタアン戦争のその悲惨なことは大戦中でも全軍の中のワースト5の
内に数えられ苦難な戦いでは何人の筆をもってしても書き表すことは
出来ません
更に5月から9月までレイテイ島サマール島の戡定作戦中に師団復帰の
命に依り数多くの尊い戦友の血で染め上げた比島を後にマニラ港を出帆
17年12月サイゴンに上陸
第2大隊はハイホン附近の警備につき 18年4月ビンエン兵舎では5年目
にして初めて軍紀の下に集い苦難の中をよくぞ生き、残れたと戦友が
手を取り合ったあの感激が忘れる事が出来ません
息つく間もなく大陸打通作戦の第1号策応作戦続いて明号作戦と実に
複雑多岐に亘り広範囲に展開する連隊は遠く国境まで拡がり、終戦の
大詔を知るよしもなく尚被害が続出し、連隊の歴史は8年半広大無辺の
大陸に酷暑瘴癘の南の地に転戦常に勇戦力闘秋本中佐以下380有余名
が壮絶な戦死を遂げ、病魔に斃れた戦友を思うとき感涙滂沱として頬を伝う
編成当時は主として徳島県人でした
其の後の補充は東北北陸甲信越の方々が主力で徳島県人の色彩は
薄くなっておりましたが、第2大隊発祥の地 ここ徳島縣護國神社の境内に
亡き勇士の鎮魂の意義を大きく含め戦友の碑を建立し、歩兵第62連隊
第2大隊の不滅の功績を永遠に伝うるものであります
歩兵第62連隊第2大隊有志 昭和57年4月29日 建立
(碑文)
慰霊碑。衆議院議員中曽根康弘。
海軍甲種飛行予科練習生 殉国の若鷲慰霊之碑。
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海軍航空戦力の増強を目的として、甲種飛行予科練習生制度が制定され、
強靭な肉体と精神力を兼備した心身共に優秀な青少年が求められ、
昭和12年9月1日、自ら志願した第1期生が横須賀海軍航空隊に入隊、
爾来16期生まで全国各地の航空隊において厳しい訓練の後、先の太平洋
戦争において搭乗員として参戦し救国の大義に殉じられた同郷の百余柱の
御霊の冥福と祖国の永遠の平和を祈念して、この碑を建立する
平成18年10月吉日 徳島甲飛会
(碑文)
拝殿に向かって左に境内社の大国神社が鎮座されます。
拝殿からの眺め。
以上。










































































































































































































