アラフォー母さん、

もうすぐ45歳になります。

 

 

ギリギリアラフォーと言い張ってきたけれど

もう言えない気がする凝視

 

 

突然ですが、

私には離れて暮らす両親がいます。

 

 

不死鳥のような70歳の父と

とっても情が深い72歳の母がいます。

 

 

今日は25年前の両親の話になります。

 

 

 

 

今からちょうど25年前、

私が20歳の時でした。

 

 

ある夜、

父が45歳の時に脳溢血で倒れました。

 

 

父が経営する雀荘で、

異常ないびきをかいて寝ているところを

いつも来る常連のお客さんが

気づいたそうです。

 

 

すぐに救急車で運ばれましたが、

1週間昏睡状態となりました。

 


後遺症で左半身に麻痺が残りました。

 

 

その時、母は47歳、姉は22歳、私は20歳。

 

 

そして父は左半身不随となり、

今年で25年が経ちました。

 

 

父はゴルフのレッスンプロをするかたわら

雀荘も経営していました。

 

 

私が子供の頃、

父がプロゴルファーを目指していた頃の話や

夢を諦めてレッスンプロになった話を

よく聞かされていました。

 

 

野心家で色々な仕事をしていたことを覚えています。

 

 

25年前、今のように健康番組などなくて

父はとても不健康な毎日を送っていました。

 

 

食べたいものを食べ、好きな時に眠る。

夜中に出前のカツカレーは当たり前でした。

 

 

175センチで体重も100キロありました。

 

 

そんな自由な父に愚痴を言いながらも

母は父を支えていました。
 

 

そして父が倒れた後に

多額の借金があることが発覚しました。

 

 

途端に我が家は転落しました。

 

 

自分ではどうすることもできないほど

膨れ上がった借金に思い悩んでいたのか、

長年の不摂生が祟ったのか、

いろいろな要因が重なったのでしょう。

 

 

 

父が倒れた年齢に近づき、

あの時の父はどんなに辛かっただろうと考えます。

 

 

今は、20歳の頃の自分とは

また違う視点で考えるようになりました。

 

 

まだまだ働き盛りの45歳、

ゴルフのレッスンプロとして働いていた時に

半身不随となった自分を受け入れなければならない現実。

 

 

そして47歳から25年間、

自分も体がボロボロになりながら

先の見えない介護をし続ける母の気持ち。

 

 

70歳を過ぎたあたりから

母はすっかり元気がなくなりました。

 

 

この25年の間、

父は、癌やさまざまな病気になり

入退院を繰り返しました。

 

 

今回はさすがにダメかもしれない・・・

と弱気になる電話越しの母の声を何度も

聞いてきました。

 

 

ところが父は不死鳥のように戻ってきます。

いや、不死鳥ではなく、

おきあがりこぼしかもしれません。

 

 

そんな両親ですが、

娘のうつ病を心配して電話をしてきます。

 

 

私からすると

離れて暮らす両親の方が心配なのですが不安

 

 

両親は、喧嘩をしながらも

なんとか二人で暮らしています。

 

 

元気とは言えませんが、

両親共に明るい性格なので本当に救われていますにっこり

 

 

 

かつての両親と同じ世代になって

ただただ尊敬の気持ちしかありません。

 

 

もし今、同じ状況になって

自分に乗り越えられるのだろうか。

 

 

そしてこれから、

両親に娘として何ができるのか。

 

 

離れて暮らし、大したことはできないけれど

日々考えています。

 

 

とりあえず、今年のお正月は

コロナで実家に帰省できなかったので

パワフル坊ちゃんを連れて

顔を見せに行きたいと思いますニコニコ