いきなりですが 文字通り今日でこのブログは終了です。

 

 

 

 

 

年明けの記事に書いたように 『糞コロナ騒動への警告』という当初の目的は早々に無くなっており

自分という視点から見た世の中への疑問やその対処 気付かない内に洗脳と搾取を受ける社会で幸せに生きるための 相対感覚について書いてきました。 

 

 

 

 

 

 

↑これは 数百ある記事の原点で 全てはここに集約されており これ以降はその焼き直しというか具体例の繰り返しといってもいいでしょう。

 

 

 

今日は朝8時から 最近になって知った敬愛するパティシエ

弓田亨氏の教則本から 7時間かけて手の込んだ一品を作ってました。

 

 

 

 

抹茶とコーヒー 2種類のスポンジケーキを作り

 

 

 

 

分割し

 

 

 

 

異常に手数の多い 初めて聞くような手法のクリームを2種類作って混ぜ合わせたクリームを挟み合わせ

 

 

 

 

ガナッシュを塗ってココアパウダーを振る。

 

 

 

綺麗に仕上げるのは難しかったけど この世のものとは思えないほど味わい深く

こんなクリームはどこのケーキ屋でも口にしたことがないので 時間をかけて良かったし

 

この重なりが一度に口の中で溶け合った時の感動は 決して他所の店では食べれないのだから 作った私だけの特権と言える。

 

 

 

 

パンの発酵の世界に魅了されていた時は 自分には洋菓子の世界は興味がないものと思っていたけど

心の師との出会いがあったからこそ 彼の足跡をなぞってみようとしたことで面白さに気付けたのだから

 

人生はどこで転機や何かにハマり込む瞬間が訪れるか分からない。

 

 

 

 

一品作るためだけに 気が遠くなるほど細かく手数が多い。

 

 

 

左の項目の2つ目が今回の作品で これから毎週月曜日の休みは 今日と同じように時間をかけ(もしかしたらもっと早く完成するかもしれないけど)

 

四国八十八か所を巡るように一つ一つ作って この本の全てを制覇していくつもりです。

 

 

そして、このブログにはちっとも登場しないウチの奥さんが喜んでくれるのが もう一つの作る原動力です。

 

 

 

 

 

これを作って思ったのは ケーキ教室はあるけど必要ない。

 

前回のロールケーキ(本の一品目)は失敗したけど リベンジを果たしたし

失敗を失敗と思わず 『こうすれば上手くいかないことが分かった』と捉えている。

 

 

 

 

失敗かそうでないか?  

 

それは食べれば分かるし 食べて貰わなくても自分が一番よく分っている。

 

満足すればそれでいいし 不満ならもう一度作れば 必ず前回よりは上手くいくに決まっている。

 

 

 

 

ちなみに レシピは主要のポイントのみを押さえ 私好みの控え目な甘さになるように造り替えてあるが

本来、砂糖を減らすと『焼き縮み』という現象を起こし 酷く縮んで作品にならない代物になってしまうけど

 

執念でその問題をオリジナルなアイデアで克服したのは 世界で私が初めてだと思う。

 

事実、写真と同じようなボリューム感に仕上がっているけど

スポンジケーキの砂糖が3分の1しか入ってないレシピで作れる人は他に誰もいるまい。

 

 

 

 

 

↑ ここで『何をもって最高、完璧とするのか?』と自問自答したけど その答えは意外と早くに出た。

 

 

最高も完璧もその基準はマチマチで 自分の完璧も他人にはどうでも良く また逆も然りで

自分にとっての完璧は自分にしか作り出せない。

 

 

それは自分がプロの職人でなくても可能なことで 行列のできる店に並ぶ労力を払うくらいなら 何度か試行錯誤すれば

他人が評価してくれなくても 自分さえ完璧と思えるものなら必ず作れるものと思っている。

 

 

 

それは、心の師 弓田亨氏の店で取り寄せたお菓子と 彼のレシピで自分が造り替えたお菓子とを食べ比べた時に

他人はどう感じるか分からないけど 『自分の口にはこの方が合っている』と正直なところ感じた。

 

 

会ったことのない彼から学んだのは 『旨いお菓子は レシピが作るのではなく 精神性が作る』ということで 

私は彼の配合のレシピではなく スピリットや執念を受け継いだ(つもりな)ので 美味しいものができたのだと思う。

 

 

 

 

で、これ(ケーキ)を作るだけでも半日かかり

 

 

 

 

↑ ここで触れた『学問の習得をしていくとなると 物理的に時間に限界が出てきた。

 

 

 

普段ブログで書いていることは ネタとして無理矢理捻り出したものではなく 書きたくてもまだ書けていない事項が何十とあり

中途半端は嫌なので完璧にまとめようとすると 一日一記事は時間に無理があるので一日置きになってしまい

ちょっとでもリズムを崩すと必ず永遠に先延ばしになるだろうからこのペースになっていた。

 

 

 

この『アウトプット』という作業は自分にとってもの凄く価値のあるものと思っていたし 事実、自分の何かを高めてくれたことは間違いない。

 

 

けど、最近はそう思わなくなってきた。

 

 

 

 

↑ ここで『能動の人生 受動の人生』について書いた時から 私は映画を観ていない。

 

それは映画や それを観ること 観る人を否定してる訳でも何でもなく 

自分はどう生きようかと踏み込んで考えた時に 

 

 

 

 

 

↑ この人のように世間一般の娯楽を捨てて 自分だけの執着する世界に生きようと思った結果 自然と映画を観なくなり

(自称映画マニアと思っているし 今後観ないと決め込んだ訳ではない)

 

休みの日は朝から夕方までキッチンに立ち続け 自分は絶えず動いているのが性に合うのだなと 今になって自覚した。

 

 

 

 

感じた想いをアウトプットすることは大事なことではあるけど それは過去のことであって それ自体が『未来への能動』にはならない。

 

このブログは子供のために書いたものではあるけど もう十分生きる術は伝えたし だからこんなものがなくても子供はすぐに私以上に賢くなってくれると思う。

 

 

 

 

最後に というか 最後にこんなことで締め括るのは気が引けるけど

自分の発信するような内容を理解して なおかつ受け入れられる人口は相当少ないのではないかと思う。

 

 

 

というのは ここ最近でも本当に素晴らしい良書を読んだのですが

 

 

 

そのレビューを見てみると

 

 

★3.3

 

 

★3.6 と

両方共に驚くほど評価が低い。

 

 

 

両者について共通しているのは 

 

読者を含めて否定的 否定する側で書いているということと推測できる。 (レビューを読む限り)

 

 

 

『あなたの話はムダだらけ』というサブタイトル同様

本書には会話における言ってはいけない やってはいけないことが網羅されている。

 

 

 

私は思う。  

 

何故? 何故そこで自分を否定されたように感じて酷評するのか?

 

自分が成長したければ 本書に書かれている自分の悪い癖を直視して改めれば 必ず以前の自分より良くなれるのに。

 

 

 

 

逆に、落合陽一氏の『日本再興戦略』は

 

 


 

2755人もレビューし ★4.4が付いている。

 

 

 

が、私はこれを読んで 『で、自分(みんな)は何をできるの?』と思った。

 

 

 

 

一般大衆はこんな大きなテーマを前に成す術は全くない。

 

 

 

一番有意義なのは『自分のことは話すな』で警告されたことを意識して 目の前の相手と上手くやるのが もっと社会を円滑に回すことに繋がるだろう。

 

 

 

 

この本が書かれたのは2018年。  

この本の読者で そのちょっと後に起こった『コロナ騒動』で マスクを外せた人がどれだけいるだろうか?

 

一人一人が無難を貫いたことで 再興どころか沈没寸前まで追いやられてしまった。

 

 

 

 

大衆は『再興戦略』などと書かれた本の専門用語や蘊蓄を知って賢くなったつもりになっただけで

自分が『そのために何をできるか』などは 他人事で全く考えてなどいない。

 

 

 

 

そして、政治の批判など プロレス観戦をするように怒っているだけで 自分の生活に何かが反映されることもなければ

 

自分が名指しされたわけでもないのに 行為の批判が自分のしていることと被っていると すぐに『否定された!』と相手に嫌悪感を示す。

 

 

 

 

ブログでも本でも高評価を得たければ 当たり障りがなければないほど 聞こえが良ければ良いほど良く

人気を獲りたければ 自民党など、共通の敵をずっと批判し続ければいい。

 

 

どれだけ同じことを書き 読者が『そうだそうだ!』と焚き付けられても 政治の裏側を知っても 日本の歴史や海外の動向を知っても

肝心の一般大衆の行動は何も変わらない。 

 

 

 

 

この本のレビューを見たときに 私は深く失望した。

 

だから大衆は大衆でしかなく いつの時も利用される。

 

そう。 大衆は愚かである と。

 

 

 

 

人生を好転させる』 『自己肯定感を高める』 『本当の自分を手に入れる』などのビジネス系記事は 

メンタルの弱い人には極めて優しく聞こえもいいが 抽象的な精神論で変われるほど 大衆は強くも賢くもない。

 

 

人は誰に変えてもらうことも出来はしない。

 

人が幸せを手に入れたいなら どんな形であれ自分で行動するしかない。

 

 

行動に繋がらないなら 私の書いてきたことも全て無意味であるし

まして、私のように『間違っているのは自分の方ではないのか?』などという考えを受け入れられる人はそうそういないだろう。

 

 

だから能書きに過ぎないのだ。

 

 

 

 

 

このブログは破棄しても差し支えないのだけど 今は治まった(また復活しないとは限らない)糞マスク社会やその他諸々との闘いも

今となっては思い出深いので残しておこうと思うし いずれその時に誰かの目に留まって 何か感じることがあれば幸いに思います。

 

 

 

 

暇な時、思い付いた時に書けばいいのでは? と思うかもしれないけど

ひとたびでもアウトプットしようというモードになると 完璧主義なので 構築の順序などを考えるのに 完全に頭を支配されてしまい それ以外のことができなくなってしまっていたので

 

ゼロかヒャクかで 完全に断ち切ってしまうしかないと思いました。

 

 

そして、そこで空いた時間と意識を 家族へ向けたいと思います。

 

 

 

 

今までお読みいただいた方 

温かいコメントを頂いた方

糞マスク社会を一緒に戦った方 どうもありがとうございます。

 

 

今後もこの糞な社会で 皆さんが楽しく過ごせますよう。