子供の通う中学では道徳や人権学習の授業が多く その内容のくだらなさへのツッコミが 夕食時の楽しいような腹立たしいような話題になります。

 

 

 

道徳や人権学習そのものがくだらないと言ってるのではなく 

授業での意見をまとめられ 生徒に有意義な考えをもたらすことのできる教師がほぼいないのです。

 

 

 

 

今回のテーマは『少数派』についてだったそうです。

 

 

 

 

教科書に基いてなので一応ストーリーがあるのですが

まとめると『幼馴染みのA君、B君がいて 大きくなるにつれてA君はごく普通の周りに配慮する中学生になったけど 

B君は周りの空気が読めず クラスメイトとの距離が開き A君とも疎遠になっていった』 というものでした。

 

 

 

 

このB君を少数派という括りで議論すること自体が不自然に思うのですが

少数派とは『変な人』と扱われ 変な人は良くも悪くも少数派であるから『変わっている』というだけで

いずれ正しいとか間違ってるは関係ありませんよね。

 

 

 

 

ただ この『空気が読めない』というのは 読めなさ過ぎれば少数派に扱われるといっても色んなケースがあり

 

自分のことに没頭しすぎて周りが見えない ”さかなクン”みたいな少数派か

周りの気持ちを考えずに好き放題振る舞う、どちらかというと周りに害をもたらす少数派もいます。

 

 

このケースでは『B』に近い設定で描かれていました。

 

 

ナーバスな問題ですが 場合によっては発達障害によるものなのかを学校側が理解したうえで 教師が生徒との緩衝材になる必要があるでしょう。

(それが迷惑だと感じられる方もみえますが)

 

 

 

 

 

で、『なぜ人(社会)は少数派を排除しようとするのか?』という問いが出されます。

 

教師が数人当てて意見を集める時に たまたまウチの子供が当たり 『(少数派というより)虫を嫌うように 理解できないものを遠ざけるだけ』と述べました。

 

 

 

海外は日本と違って『少数派だから』という理由だけで何かを排除することは少ないので 

この議題はそもそも日本特有の体質についてであると 生徒も最初から把握しておく必要があるでしょう。

 

 

結局、授業では最後に 少数派の人に対しどう接していくべきか?という問いに 

『その人のいいところを見つけましょう』で締め括った。

 

 

 

これは完全に『は⁉』で 思わず聞き返した。

 

 

 

 

この教師の考えなのか 教科書の指示なのか分からないが

本当にそんなキレイごとで物事が解決するとでも思っているのだろうか?

 

 

 

というのは 教科書のB君は後者の『周囲に害をもたらすタイプ』として描かれていた。

 

 

 

現実の人間関係は『プラスでマイナスを埋めることはできない』と思っている。

 

 

 

あるとすれば 明確に金銭が絡んだり マイナスを我慢するだけのメリットがあると分かったうえでの付き合いになるので 

ただのクラスメイトで 自分にとっていい気分にならないような言動しか向けて来ないような相手であれば どんな能力を持っていても回りが離れていかない方がおかしい。

 

 

 

 

私は先生やその教科書を作った人に聞きたい。

『あなたは”普通”より善意に欠ける人の いいところを見つけて好きになれますか?』と。

 

 

 

 

 

ここで クラス替え の問題なのです。

 

 

 

実はウチの子供は 2年連続で”問題児A”と同じクラスに充てられています。

 

ヤンキーとか暴力行為を働く類ではなく 家庭に問題があり施設に預けられてそこから通っている生徒で

親からまともな倫理観を教えられていなかったせいなのか 正に『空気が一切読めない』ために 小学生の時はおそらく友達ができなかったと思われます。

 

 

 

 

学校というのは純粋なクジ引きでクラス替えをするのではなく ”教師にとって”スムーズにクラスが回るように 毎年の組み合わせを行っています。

 

これは学校で働くお客さんたちからの証言です。

 

 

 

 

ウチの子供は感心してしまうほど誰の悪口も言わず 誰もが避けたり相手にしないような生徒でも ニュートラルな付き合いができるので 教師にとっては最も無害な存在だろうと思います。

 

 

A君はおそらくウチの子供がいなければ 完全に孤立するところ 子供が邪険にしないことで近くに寄ってくるのですが

少なくとも一緒にいて何一つ楽しいことも 得られることも 見つけられる良いところもない生徒なのです。

 

 

それは毎日夕食の時に『またAがこんなことを言ってた』という 愚痴でも不平不満でもない”事実の報告”を 

一年生の頃から累計100回以上聞いているので 一度も会ったことがないのに人物像が出来上がってるくらいです。

 

 

 

 

一つだけメリットがあるとすれば これ以上ない『反面教師』を見続けているので ある意味、お手本を見るよりも人間的には成長できるのではないかということです。

 

 

 

一年の年度末に行われる生徒との面談では 『何か心配事や相談事はありますか』と全員が聞かれるのですが

ウチの子供は『全くない』という回答で 本来ならその場で退席するはずなのに 

平均の面談が10分以下に対して15分以上 ”A君”のことについて聞かれたという。

 

 

つまり、明らかに意図的な配置で行われたクラス替えだった訳です。

 

 

 

 

どうでしょうか?  

 

道徳の授業で 『空気の読めない』少数派に対し『いいところを見つけましょう』というのなら

純粋にクジ引きでクラス替えをして 生徒同士いいところを見つけ合うことを徹底すればいいのに

 

現場ではそれを促すことはせずに 真っ先にウチのようなお人好しを厄介払いに充てる。

 

 

 

ウチのお客さんの娘さんも 生真面目で面倒見がよく 教師に対し従順で反論しないタイプなので

ペアで行う授業では 決まって”余りもの”になってしまう子と組まされるようで そういう子は得てして取り組みも積極的ではないので いい結果も出ない。

 

 

お母さんは『本当にいつも損している』と嘆いており 同時に『教師が生徒に頼り 甘えている』と怒っています。

 

 

 

 

 

マイナスをプラスで埋められないのは 気に入っている店でもちょっと嫌なことがあったら行かなくなってしまう人が多いことからも分かるでしょう?

 

 

横柄さが目立つ人が それをものともせずに人を集めるには 

少なくとも倍のプラスが必要だと思うし

その努力ができる人なら 他人のお節介などいらないだろうし 

凡人には『いいところでマイナスを埋めることなどできない』と現実を教えてあげるのが一番親切ではないでしょうか?

 

 

 

 

私はこの年度末に学校に ウチの子供だけは純粋なクジ引きでクラス替えをするように そしてそれが行われた証明をするように要望するつもりです。

 

 

 

 

一クラスしかなかった小学から 中学で複数のクラスになり

徹底的に仲の良かった生徒と引き離され 他校で問題があったりやかましい生徒と一緒のクラスになった。

 

 

それでも年度末には楽しく終わることができたが クラス替えがあると『せっかく~と仲良くなったのに また一緒になれんかったわ』と嘆いて帰ってくることしかなかった。

 

一度も嬉しそうな顔で帰ってきたことはないのです。

 

 

 

 

子供同士の問題なら親が介入することは子供のためにならないと考えてますが

保守的な大人の 保身のための道具にされる謂れはないのです。