X(JAPAN)のHEATH氏が亡くなった。

 

というか、今年は本当にミュージシャンの不幸が多かった。

 

 

 

 

私は高校時代から Xのコピーをよくやっていたし コピーバンドでライブも出たりしたので思い入れは深い方です。

 

 

どんなバンドにも売れなかった時期があり そこから上り詰めるのは恐らくどのメンバーが欠けていても成し得なかったことで

演奏能力よりもフィーリングや好み 話した時の感覚などの方が圧倒的に比重は高いものだと思います。

 

 

 

 

特にXの若かりし頃のエピソードは多く残されていて いろんな本で読んでは自分もその熱さに触発されたりしたので

そんな奇跡的な出会いを経て長く活動していたメンバーが急死するというのは 残されたメンバーはどんな思いなのか、、、。

 

 

 

 

こないだ、XやLUNASEAなどのJRockを好むお客さんが来られた時に 『HEATHはワクチン打って ターボ癌になった』と聞いたので

一般人の間でもこういう話は浸透しつつあるんでしょうね。

 

 

 

 

が、夜も眠れないほど謎なのは YOSHIKI(様。以下敬称略)が殺人ワクチンのことを知っていたのか知らなかったのか 一体どっちなんだろう?ということです。

 

 

 

というのは 彼は海外のレコーディングで向こうのエンジニアと意思疎通で失敗しないために徹底的に英語がペラペラになるまで学習し

ソニーからメジャーデビューするまでの間 自分のレーベルの収支のために簿記まで習得したくらいなので

 

ワクチンが有害であることくらいちょっと調べれば分かったはずだとは思うのですが。

 

 

 

 

 

 

ただ、↑ここでも書いたように 彼にとって英会話も簿記も 目先、音楽活動に必要だったことなので 

”コロナの嘘”について調べるなど やはり興味のないことには一切エネルギーを回せないのかもしれませんね。

 

 

 

 

ところで日本と海外では アーティストのスタンスが180°違って 日本のバンドはメンバーが変わるというのは超大ごとですけど 

 

海外ではボーカルが抜けてもリーダーやキーパーソンが居れば機能し続けるといった感覚は

邦楽しか聞いたことがないリスナーは信じられないのではないでしょうか?

 

 

 

 

 

この有名過ぎる名曲を生んだ『ジャーニー』は 伝説のヴォーカリスト スティーブ・ペリーが(腰痛で)脱退した後でも活動を続けて 

 

 

 

 

今ではフィリピン人のアーネル・ピエダという3代目ボーカリストをYouTubeで発掘して以来 現在でも普通にドームを満員にしています。

 

 

やや華がないものの 初代と声が似ているのでファンは問題ないらしく

見た目は普通のオッサンでギターのニール・ショーンがリーダーをやっていれば上手く回っていくのが海外の音楽事情という訳ですね。

 

 

 

 

それどころか 誰もが名前くらいは聞いたことがある『ディープパープル』はボーカルが変わるどころか 

リーダーでバンドを立ち上げたリッチー・ブラックモアまで抜けてしまっても 全く微動だにしない活動っぷりを見せてます。

 

 

なんなら、『私は~代目のボーカルが好きだった』とか『自分は第~期メンバーのライブが良かった』というトークまでファンの間でされるくらいです。 

 

 

 

 

日本ならどうでしょうか。

 

吉田美和のいないドリカム

 

HYDEのいないラルク

 

YUKIとTAKUYAのいないジュディマリ (みんな古い?)

 

とかが普通に成り立って ファンに迎え入れられてるなんて信じられませんよね。 見てみたい気はするけど。

 

 

 

 

日本と海外は漫画でも似ていて 日本だったら作者=作品であって 作者がいなくなればそれはもう ただの同人誌でしかなくなるけど

海外は”キャラクター”に権利を持たせて 出版社が所有するといった形を採っていたりもするので

 

たとえばバットマンもスパイダーマンも 『~~代目脚本家の作品』といった風に 世界観やキャラクターの細かい設定も全然違うものになってしまうんですよね。

 

 

 

 

私は原泰久氏の『キングダム』を愛読してますけど 主人公”信”というキャラクターを誰かが買い取って何かを描いたとしても 

あくまで”スピンオフ”までしか作れないような気がします。

 

 

 

というのは ”アメコミ”の日本語版を読んだことがありますが 

 

 

コマ割りやキャラの表情などが”職業的”な描かれ方をしていて どうにも感情輸入しにくく迫力も緊張感も全くないんですね。

 

 

 

こういう見せ方は 生みの親しかできないものですよね。

 

 

 

 

けど、海外アーティストも ”フロントマン”を失ってしまうと壊滅します。

 

 

 

ルックス 唄、演奏能力の高さ  作詞作曲 プロデュースまでこなすカリスマで おまけにセレブと結婚までしているフロントマン マシュー・ベラミーのいない『MUSE』は

 

桜井和寿さんのいないミスチルのようなものでしょう。

 

 

 

私と同い年で去年亡くなった フィンランド『チルドレン・オブ・ボドム』のアレキシ・ライホを超える華と実力のあるフロントマンは滅多にいないし 作詞作曲も彼によるものだったので 

10枚近くアルバムを出して売れてたけど死後はあっけなく解散でした。

 

 

 

 

ちなみに 私の好きなバンドだった ↑アヴェンジドセブンフォールドは 右端のドラムが作曲していて 

彼が亡くなってからの曲(アルバム)は失望するばかりで 彼の生存中とメンバーチェンジ後と 2回コンサートにも行きましたが 死後はトータルで残念な感じでしたね。

 

 

 

 

私が25、6の頃に組んでいたトリオ(3人)バンドは演奏は下手なりに ”三位一体”というくらい喋った感覚がしっくりしていて

オマケに作り上げたい世界観を共有できて お互いそこに不満がないというのは ある意味奇跡的だったので

 

失ったメンバーの代わりにビジネスライクに引っ張ってきた後釜と 何か作品を創るというのは全く想像も及ばないものでした。

 

 

 

 

友達にジャズのプレイヤーがいるのですが ジャズはその日初対面でも楽譜を読めば 所見で演奏し続けられる訓練を受けた究極のエリートなので 

毎回毎回、顔ぶれが変わるのが当たり前の世界ですが

 

日本のアーティスト(バンド形式)は より”情”で動いているので そうそうメンバーを失った気持ちの切り替えが出来るものではないですよね。

 

 

 

 

これからもっと減って行くであろうミュージシャンと 音楽業界の先行きは、、、。 

 

 

生きていても後遺症で演奏できなくなったとか(エリック・クラプトンみたいに) ”老けた”姿とかは見たくないもんです。

 

 

若かりし頃に聴いた思い出のアーティストが 激動の中を生き延びて来たのに こんな形で散ってしまうなんて悲しく悔し過ぎます。