数年前に上映された時に 見たいと思って忘れてた映画が AmazonPrimeで公開されてたので視聴した。

 

 

 

 

結果、個人的には面白いし 邦画と違って見せ方も巧く よくできてる映画だなと思ったのだけど、、、

 

 

 

 

 

後でレビューを見たときに唖然とした

 

 

 

 

 

 

ネタバレになるんだけど   こんな感じの概要

 

 

水の抜けた深水6mのプールから 彼女と2人で出られないところへ”ワニ”がやってきて 7日間に渡って脱出を試みるのだが

最終的には プールサイドで鎖に繋がれた飼い犬が落ちて 首を釣って死に その鎖をよじ登って助かるという結末。

 

 

 

 

 

シンプルな題材ながら 飽きない演出がいくつも繰り出され かなり巧く作られてるのに

 

 

 

星が5つ中 2.5 しかないとはポーン 

 

 

 

 

 

一度、レビューを見て欲しい。

 

 

 

 

 

それはほとんど、結末で犬が死ぬことに視聴者が不満があり 低評価を付けたのだろう。

 

 

 

 

 

 

私はこういった人種が非常に苦手だ。

 

 

 

 

 

何故 こうも犬に反応するのか?

 

 

 

 

 

他の映画でも 災害で人がバンバン死んでるのに 洪水の中 犬かきして泳いできた犬が助かる描写で

『最後に犬が助かって良かった~』とか書いてる人が多い。

 

 

 

それは別に構わないが もし犬が死んでも それは制作側の意図であり 死なせることが作品の低評価に繋がるのは不当過ぎる扱いではないだろうか?

 

 

 

 

 

そういった描写をすることで製作者が迫害を恐れるようになると 言論や表現の幅が著しく狭くなってしまい

 

 

”リアリティ”のある作品が作られなくなってしまう。

 

 

 

 

 

そう、現実の世界では何が起こるか分からないし

 

 

見たいものしか見たくないなら 映画、他”作品”を見る資格などないと思う。 

 

 

 

 

 

 

何故 犬は特別なのか?  そこに明確な理由は無いと思う。

 

 

 

理屈抜きに 無条件に ”犬の死” は見たくないのだ。

 

 

 

 

たとえ劇中で、どれだけ沢山の人が死んで その見えない裏側の瓦礫の中で 犬が圧し潰されて死んでいたかもしれなくても

 

それでも ”目の前で犬が死ぬ” 描写は許せないのだろう。

 

 

 

 

 

昔、ナオミ・ワッツ版”キングコング”を映画館に見に行った時 

ラストでキングコングが自衛隊の襲撃で弱って死ぬシーンを見て 聞こえるくらいの声で泣いている女子がいた。

 

 

 

 

主人公にとっての相棒は”ゴリラ”だけど 大切な存在であることに変わりはない。

 

 

 

けど、戦って死んで 誰もが『残念だけどそういうもの』と思いながら映画館を後にする。

 

 

 

 

うっかり落ちて死んだ犬と違って 

 

殺意を持って向かってくる集団相手に

 

ジワジワと弱らされて死んでいく 理不尽な最後であるのに

 

 

 

 

 

3400を超えるレビュー数で ★4.5 を叩き出しているのはどういうことだ?

 

 

 

 

 

みんな、大事な動物の死は見たくないんじゃないのか?

 

 

 

 

それとも、死という同じ結末であるのに 

 

 

★2.5 と ★4.5 の違いは

 

 

 

犬とゴリラの違いなのか?

 

 

 

 

 

どれだけ動物の描写が平和的に描かれていても 

 

現実世界で人間が動物に対しやっていることは 食肉目的の大量殺戮でしかない。

 

 

 

 

違いがあるとすれば 与えられた立場が 

 

 

家畜かペットかの違いだけだ。

 

 

 

 

それも、放牧して最後に絞めるなんて生易しいもんじゃない。

 

 

人であれば人権とかプライバシーだとか そんなレベルでない 身動きの取れない満員電車のような地獄の環境で一生を終えるのだから

 

むしろ、死が救いと言ってもいいくらいだ。

 

 

 

 

畜産農家もどれだけ可愛がって手をかけて育てても それでも最後には殺す。

 

 

 

 

 

では、食肉でメジャーな牛や豚 鶏を 

 

ペットとして飼ってる人が食肉業界を糾弾するのか?

 

 

 

文化の違いで 犬を畜産して食糧にする地域があれば非難するのか?

 

 

 

 

 

犬とその他の動物の違いは?  

 

 

知性? 

 

 

人との関りの歴史が長いから?

 

 

意思の疎通ができるから?

 

 

それらが満たされたら”特別”になるの?

 

 

 

自分たちは動物の肉は食べないのか?

 

 

殺傷が許される動物かはどうかは 畜産で食肉用として生まれ育ったか 自分の意志で動くことが許されている野良やペットの違いなのか?

 

 

 

 

 

 

他の作品では あっけなく自分の娘が悪魔に焼き殺されてるのに ここまでの低評価にはなっていなかった。

 

 

 

 

 

自分にとって特定のペットを大切にするなら分かるが 

 

レビューにこれだけの偏りが生じるということは

 

 

 

犬を特別視する人が なぜか多いということだろう。

 

 

 

(もうひとつ付け加えると『キングコング』で高評価を付けた人は 当事者視点で泣いている。 『プール』で低評価を付けた人は他人事で、怒っている ように見える)

 

 

 

 

 

 

そもそも劇中では、食料も尽きて 脱出のために試したあらゆる手段は失敗に終わり

 

犬のうっかりがなければ 主人公と彼女 及びお腹の子供諸共 野垂れ死んでたのだ。

 

 

 

つまり、主人公が脱出できなければ 繋がれた犬はどの道 飢え死にしていたことになる。

 

 

 

 

 

 

1977年に描かれた 藤子不二雄のSF短編集

 

『カンビュセスの籤(くじ)』では 飢餓と破壊で自分の星に住めなくなった生き残りが 

 

他の住める環境の星を見つけられるまで くじ引きで誰かの肉を食べながら生存し 

宇宙をさまよい 冬眠しながらは覚めてを繰り返す。

 

 

 

 

ここで素直に自分や家族の命を差し出せるか? といえば

簡単に答えは出せないし むしろ拒否の方が強いだろう。

 

 

 

しかし、この場合 流れで行けば問答無用で 動物から食糧になることは想像に難くない。

 

 

 

 

もちろん、”人間の生存の為” という大義があったとしても

他人のために自分の犬を差し出すかどうかは 飼い主に選ぶ権利がある。

 

 

 

 

もし、『犬が死ぬなら自分も死ぬ』 とか 

私自身も 『子供が死ぬなら一緒に死ぬ』と自分で選ぶことはできるが

 

 

 

 

『子供とペットと自分』 なら 

ペットを食糧にしてでも 子供を生かす義務がある。

 

 

 

過去に書いたことだけど

 

 

生き物とその命の重さや価値に優劣をつけるのは そもそも不毛だ。

 

 

 

 

『人間の方が高度な知能があるから優先的に活かすべし』

 

という理屈は認められないし 

 

 

 

地球単位で見れば 人間の存在は害悪でしかないことは誰が見ても明らかで

神が存在するなら 本来は滅ぼされても仕方ない生き物だ。

 

 

 

 

 

それでも、他人のためにペットを差し出せなくても 

 

自分と家族を生かすためには 

 

あらゆる手段を検討しないといけない。

 

 

 

 

 

その時 基準になるのは ”動物と人間の優劣” ではなく

 

 

”個人的な愛着と記憶の重さ” しかない。

 

 

 

 

 

劇中では主人公が犬に手をかけた訳ではなく 成り行きで それが最後の望みの綱になっただけで

 

それで家族を救いあげるのは当然のことだし非難される要素にはなり得ないのではないか?

 

(私は個人的には猫好きだけど、もし劇中で猫が同じ扱いだったとしても それはそういう描写で制作側が”あえて”描きたかったことだと思うだけだ。 

実際に殺すわけでもないのに、描写を非難されてしまうなら一体何を描けばいいのだろう? 予定調和が好きなら一生サザエさんしか見れないぞ)

 

 

 

 

 

 

そこで無条件に犬の死に反応し『犬がかわいそう』と言うのは 差別や優生思想が根底にあるのではないか? と思ってしまう。

 

(おそらく『犬がかわいそう』と書いた人は 主人公と彼女が助からずに力尽きて死んでも 後に犬が飢え死にするところまでを映画で描かずに 『誰かが助けに来たかどうかは想像にお任せします』とされた方が嬉しいのだろうな)