跳ね上がる野心は、自らの限界を越え、奈落の底へといざなう
——ウィリアム・シェイクスピア(1564 - 1616)
女もやるときはやりますからねえ。重信房子、筧千佐子、阿部定などが有名ですね。
それはさておき、本年4月29日に日本政府は日本武道館で「昭和100年記念式典」を開催しました。天皇、皇后両陛下、高市早苗、衆参両院議長、最高裁長官、各界功労者など約5600人が参加したそうです。
高市早苗が式辞を述べましたが、驚くべきことに"平和"という言葉を一度も使いませんでした。これは大変に不思議なことです。なぜなら昭和という時代は"戦争と平和"の時代だったからです。これだけで断定することはできませんが、高市早苗がいかに平和を嫌っているかを暗示しているようにも思えます。
また、天皇陛下のお言葉については、この式典の式次第には当初から含まれていませんでした。宮内庁長官によると政府側の意向によるものだそうです。そして、式典終了後に天皇は宮内庁経由で「過去の歴史から謙虚に学び、深い反省とともに平和を守るために必要なことを考え、将来へとつなげる努力を続けることが大切」とのメッセージを発表したそうです。
みなさんお分かりになりますよね。要するに高市早苗は「謙虚に学ぶ」「深い反省」「平和を守る」などの言葉が嫌いなのでしょう。「聞きたくないから天皇には話をさせるな」と天皇の話を式次第から省くように指示したのかもしれません。すごいものですねえ。ついに高市早苗は天皇を支配し始めたのかもしれません。少なくともその気満々なのかも。
「私は天皇に勝った!」とでも思ったのでしょう。式典で高市早苗は上機嫌でした。この動画など、まるで「居酒屋の酔っぱらいオヤジ」ですよね。奈良や大阪のおば(あ)さんというのは皆さんこのようなレベルですか?
こちらは手拍子などで浮かれています。
天皇皇后の目の前でこれをやるのですから、しかも晩餐会や祝賀会ではなく、式典(儀式)でのことですから常識からは逸脱しています。悪い方向への逸脱です。人間、けじめをつけるときにはきちんと取り組まなければなりません。いくら奈良や大阪出身であったとしても、ふざけていればいいということではありません。
AIに尋ねたところ、統一教会では「天皇はサタン側の代表として、メシアである文鮮明氏に屈服することで初めて救われる」のだそうです。なるほどそれでよく分かりますね。高市早苗は統一教会を代表して、天皇を屈服させるのが自分の仕事であると考えている可能性があります。それゆえに、天皇の発言の機会を奪ってあんなに嬉しそうにしていたのかもしれません。右翼の皆さん、いいのですかそんなことで。あ、そうか、右翼といっても結局は統一教会なのでしょうか?
さらに、日本維新の会の松浦大悟元参院議員(56)が"𝕏"に、「昭和100年記念式典は、サナエ劇場だった。天皇陛下より、高市首相への拍手が大きかったことが全てを物語る」とポストしたそうです。統一教会がいかに熱心に天皇を削り、高市早苗上げをしようとしているか分かります。
ちなみに、私自身は天皇に対して無関心です。その理由は全く知らない人であるためです。北海道に住んでいるせいもあって、テレビなどからの映像は入ってきますが、天皇の実物を見たことはありません。それだけ遠い人ですから、好きも嫌いも、尊敬するも軽蔑するも、私の感情を一切揺さぶらない存在が天皇になります。
しかし、私の大嫌いな高市早苗が天皇を攻撃しているとなると、さらに、平和を守ろうとしている天皇を疎外しているとなると、天皇側に付いて高市早苗を失脚させたくなってしまいますね。私は高市早苗が嫌いですが、天皇は嫌いではありませんので。
そういえば高市早苗はこんな発言もしています。昭和の戦争についてなのですが、「少なくとも私自身は当事者と言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております」(1994.8.16衆議院・予算委員会)
これは気をつけなければならない論理で、日本の愚民は簡単に騙されるかもしれません。安倍元総理も似たようなことを言っていましたが、高市早苗よりはずっとまともでした。
「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子供や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」(戦後70年談話(安倍談話)2015.8.14)
お分かりになりますでしょうか。安倍晋三だけあって、高市早苗よりは頭がいいですね。(私は安倍晋三を評価していませんが、それでも両者の違いは明白です)。どのようなことかというと、高市早苗は反省と謝罪の区別がついていないのです。
確かに私にしたところで、生まれる前のことについて謝罪を求められても困ります。全く身に覚えがないというか、この世に存在していないときのことですから。そんなことを要求されるのは、要求する方が理不尽・不見識です。
ただし、日本が当時、勝ち目のない戦争に無謀にも乗り出していき、自国民を300万人余も死なせたばかりではなく、諸外国にも多大な迷惑をかけたことは間違いのない事実です。つまり、現在生きている日本人は戦争について謝罪する必要はありませんが、私たちの住んでいる日本という国が過去にそのようなことをしたことへの反省はする必要があります。
つまり、かつての日本は無謀なことをした結果大失敗をしたのですから、そのようなことを繰り返さないようにするための反省が必要です。この反省は謝罪ではありません。未来の日本をより良くするための教訓を得るための反省です。1931年の満州事変から1945年の敗戦までの15年間、日本は大変に愚かでした。そのことの反省なしに日本の未来はありません。
実際問題としても、日本人はそのような意味での戦争の反省ができていません。ですから高市早苗のような戦争をしたがる総理大臣が登場してしまうことになりました。軍備を拡張して、なんなら核兵器も持ち込めばいいという態度では戦争を防ぐことはできません。中国に喧嘩を売り、中東にも冷淡な態度をとっていればうまく行くというものでもありません。イランを一方的にミサイル攻撃したトランプを支持することは適切なことではありません。
それにしても、高市早苗はもやは総理大臣というよりも、統一教会信者ですね。本人もその意識の方が強いのではないでしょうか。総理大臣として日本を繁栄させることよりも、総理大臣として日本を統一教会の国にする意欲の方が強いのではないでしょうか。統一教会としても韓国でポシャりましたから、日本での生き残りに賭けているでしょう。言っておきますが統一教会は"韓国(朝鮮)の宗教"なのですよ。韓国の宗教に日本を明け渡すのですか?
さらに言えば、日本人は高市早苗を信仰し始めたのかもしれませんね。高市真理教とでもいえばいいのでしょうか。現在の日本で最新の、なおかつ一番信者を増やしている新興宗教が、統一教会から派生した高市真理教といえるのかもしれません。
このようなことを書いていて、一つ気がついたことがあります。それはおそらく新型コロナ騒動の頃からだと思いますが、日本政府が自分たちの悪徳を隠さなくなってきたことです。その代表例が、新型コロナ用ワクチンで死者が次々と出ていても、政府として何の対策も講じてこなかったことです。
無視というか、"シカト"( 故意に相手やものごとなどを無視することをいう俗語。精選版 日本国語大辞典)といった方がいいかもしれません。新型コロナの頃から、日本政府は結果がどうであろうが、国民がどのように感じようが、平然と自分たちの都合を国民に押し付けるようになりました。アベノマスクなどの茶番もその代表例でした。
それ以前の日本という社会は、政府の方が先回りして国民の立場や気持ちを考え、これは国民の受け入れられることではないと自分で判断して政策を変更していたものです。しかし、新型コロナを境にして、日本政府は行けるところまで自分たちのやり方で押し通すという姿勢に変わりました。
案外、不正選挙で勝てるという見通しが持てたのかもしれません。新型コロナと不正選挙は世界にワンセットで導入された可能性がありますね。そこまで行かなくても、大量の選挙資金投入(買収)、ネット操作、プロパガンダ、ステマ、マインドコントロールなどの選挙戦術によって、自民党が勝ち続けるという見通しを持てるようになった可能性もあります。
やりたい放題やって、あとは不正な選挙操作で政治を牛耳り続けるというのが、現在の自民党スタイルでしょう。その結果、自民党議員や政府の不祥事(犯罪)はオールスルーとなりました。
もう一つ気がついたことがあります。現在の日本政府は賢い人を相手にしなくなったことです。頭の悪い愚民を政治の相手にするようになりました。というのも、頭のいい人を説得して投票させるよりも、頭の悪い人を騙した方がはるかに票を集める上で効率的であるからです。その結果、高市早苗支持者は愚民ばかりになっています。
でも、自民党にとってはそれでいいのです。手間が省けます。そうですねえ、自民党がジャーニーズ化したと思っていいのかもしれません。政治だの、政策だの、外交だの、そのようなことは関係ありません。アイドルのような人気を獲得すればそれでOKです。どうせ難しいことを話しても愚民は理解できないのですから。
愚民に対して、政府は進んで自分たちの欠点を曝け出すようにもなりました。努力しようとしなくなりました。過半数を占める愚民相手には、無理に取り繕う必要がないと気がついたのかもしれません。なぜなら、愚民は政治家に欠点があることを非難せずに、むしろ喜ぶからです。
つまり、能力の低いこと、躾不足であること、礼儀をわきまえないこと、横柄であること、基礎学力を身につけていないこと、感情的になること、約束を守らないこと、矛盾することを言ったりしたりすることなど、いずれも通常の社会であれば評価を下げるようなことですが、愚かな国民はそのような政治家を見て、自分に近いと親近感を覚えるようです。
そんなことが人気につながるのですから不思議なものです。そして、その様子を見ながら、政府はますますでたらめをして、自分たちの都合で政治を行うようになってきました。
しかし、そんな状態の自分たちを見て、自分たち自身を恥ずかしいと感じてしまわないものでしょうか。その点はどのように受け止めているのでしょうか。案外「自分はトップの地位に上り詰めたのだから、自分自身が最善の証明である」という理論づけをしているのかもしれません。
しかし、たかだか日本の総理大臣になったくらいで、自分の正当性が保証されているなどと考えるのは幼稚園児並みの思考でしかありません。どんな優れた人であっても人間は必ず間違います。行き届かないところがあります。苦手なことがあります。
最近の日本政府を見ていると、大きな勘違いしているように感じられます。間違おうが、うまくいかなかろうが「自分たちのやりたいようにやる」という、ただそれだけしかありません。国民の多くが反対するようなことであっても、今の政府は「だったら隠せばいい」としかなりません。
まあ、それもこれも、日本人の民度が全体として低すぎるのが問題なのですが、しかも統一教会に支配されてしまうくらいの圧倒的な低さなのですが、いつになったら気がつくのでしょうか。戦争が始まらないと分からないのでしょうか・・。天皇が反対したくらいではダメなのでしょうか・・・。
