前回の記事「新人類が日本を壊す」では新人類に触れましたが、今回はその上の世代である、団塊(だんかい)の世代を絡ませて考えてみることにします。

 団塊の世代とは、1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)に生まれた人を指すようです。この頃はすごくてですね。出生数を上下1年プラスして1946年から1950年までを並べてみますと、

1946年(昭和21年):2,138,000人
1947年(昭和22年):2,678,792人
1948年(昭和23年):2,681,624人
1949年(昭和24年):2,696,638人
1950年(昭和25年):2,337,507人

となります。

 ちなみに、2024年(昨年)の日本の出生数は、わずか686,061人でした。いかに日本政府がさぼっているか分かりますよね。

 余談になりますが、実をいうと日本政府はさぼっているのではなく、日本の人口を減らしたいようです。ですから、計画どおりにことは進んでいます。では「こども家庭庁」は何のために作ったのかということになりますが、それは子どもを増やすためではありません。政治家や官僚のポストを増やすため、また、予算を政府と癒着している企業や各種法人にばらまくためです。日本政府としては、子どもの数が増えると困るのです。こども家庭庁は批判を避けるためのポーズに過ぎません。

 ついでに書いておけば、現在設置を狙っている「防災庁」も同じで、政治家や官僚のポストを増やすため、また、予算を政府と癒着している企業や各種法人にばらまくためです。防災庁を作ったからといって、災害が減るわけではありません。また、災害復旧が円滑に進むのでもありません。岸田文雄のような総理大臣がいると、防災庁を100個作っても災害復旧は進みません。そんなことをするくらいなら、メガソーラーを減らした方がずっと防災のためになります。

 さて、日本政府は子どもの数を減らしてどうするのかといえば、「日本は人口減少だから、移民をたくさん招き入れよう」ということです。立憲民主党の代表である野田佳彦が「日本が日本人ファーストなんて言ったら誰も日本に来なくなりますよ。そんなんでいいんですか皆さん。」と演説しましたが、まるで自民党の議員であるかのようですね。今の立憲民主党はすっかり自民党の手下に落ちぶれました。

 野田佳彦は日本政府が日本人が減る政策を推進しているのを知りながら、「移民が来なけりゃお前たち困るだろう、いいのかそれで。」と脅しをかけているわけです。いかにも新人類らしいやり方ですね。

 話を戻します。戦後の数年間、出生数が異常に増えたのは理由がいくつかありますが、よくいわれるのは国外に出ていた日本人、それは兵隊の場合もありますし、企業の関係者や満州の開拓に出向いていた人もいたでしょうが、それらの人々が続々と日本に戻ってきて家庭を持ったことです。約660万人が日本に戻ってきたといわれています。

 そんな、660万人も日本に戻ってきて、その上に年間200万人以上もこどもが産まれたのでは、日本人は食っていけなくなると思いませんか? そうなんです、そのため戦後の数年間の日本は食うものさえままなりませんでした。数万人が餓死したといわれているそうです。

 それならば、そんなに無理して子どもを産まなくでもいいのではないだろうかと思いませんか? 今の感覚からするとそのとおりなのですが、当時は違ったようです。当時は、子どもをたくさん作った方が暮しが楽になるという感覚だったようです。

 実際問題として、小学校1年生にもなれば、何らかの手伝いをできるようになります。家事の助けになります。10歳にもなれば、田の草取りくらいはできたでしょう。掃除・洗濯などもできたはずです。中学校を卒業すれば、集団就職で東京あたりで働き、家への仕送りをすることになっていました。

 野球の故野村克也監督の妻だった沙知代夫人はパンパンとして東京で働き、家族を支えたそうです。戦後間もなくの頃は、子どもは家族を支える貴重な労働力であり、貧しければ貧しいほど子どもを作ろうという発想に当時の日本人はなったようです。それが、団塊の世代ができた理由ですね。

 そんな調子で日本は人口が増え続けたのですが、日本政府はこのまま人口が増え続けてはまずいと判断したようです。1974年7月に実施された「第1回日本人口会議」(国立社会保障・人口問題研究所)では、増えすぎる人口を問題視し、「子どもは2人まで」という宣言を出したといいます。以後、日本の出生率は激減することになりました。(「日本で「子どもは2人まで」宣言が出ていた衝撃」2019.4.12 東洋経済ONLINE


 その時点で、日本政府がどこまで考えていたのかは分かりませんが、日本政府のことですから「多すぎるから減らせ」程度の浅薄なものだったことでしょう。また、そんなデタラメな政府に従順であるのが日本人の特徴で、子どもの数は現在まで減る一方です。

 さらに、日本政府は日本人が子どもを育てにくい環境を整えました。育てやすい環境を整えたのではありませんよ、育てにくい環境を整えたのです。それは何かといえば、子どもをたくさん産めば産むほど、生活が苦しくなるようにしたのです。

 "細工は流々仕上げを御覧じろ"とばかりに多子化対策を行った日本政府でしたが、効き過ぎたのか、元々の狙いだったのか分かりませんが、まあ、日本政府のすることですから、想定していなかったと思いますが、思った以上の人口減少に慌ててしまいました。

 そこで持ち出されてきたのが、移民の活用・推進になります。今日本の人口が1億2000万人いるとして、それが7000万人に減ったとすれば、5000万人は「移民で補えばいいじゃないか」ということですね。日本政府は現在着々とその道を歩み始めています。

 ずいぶん話が遠回りをしてしまいましたが、ここから団塊の世代と、新人類について書いて見ようと思います。最初に触れたとおり、団塊の世代は3年間で805万人余も生まれてきました。その前後2年分を加えると、5年間で1253万人余になります。

 ここからは私の仮説になりますが、そんな大量に生まれてきた団塊の世代は何をしたのでしょうか。私の感じるところ、団塊の世代はひたすらアメリカの真似(マネ)、言い方を変えるとアメリカを追い求めたのではないかと思います。とにかくアメリカを積極的に取り入れました。

 家電の三種の神器(洗たく機、白黒テレビ、冷蔵庫)、次いで3C(カラーテレビ、クーラー、カー)と続きました。もちろん、自宅を持つこと、家の間取り、食べ物、遊び、旅行、音楽、映画その他何から何までアメリカを取り入れたのが団塊の世代でした。

 私から見ると団塊の世代は大変に素直な人たちです。数が多かったせいで、皆で一緒に何かをすることが得意でした。集団を維持するための気配りもよくできました。弱い者への親切心もありました。ただし、鋭い観察、独自の視点を持つこと、きめ細かさなどには欠けていました。「大雑把で勢いのあった善意の人たち」というのが私の団塊の世代に対するイメージです。

 団塊の世代といえば、学生運動が思い起こされますが、あれは、私から見るとアメリカをモデルにして生きようとしているのに、体制側の意識が古すぎてそれを受け入れるようにできていなかったことへの不満だったのではないかと思います。

 結果として、団塊の世代は社会人になると社会を作る側に回り、つまり体制側の人間となり、1980年くらいからの日本を方向づけました。極貧の中で生まれてきたのが団塊の世代でしたが、アメリカというこれ以上ないモデルに恵まれたために、その後の人生を意外と平和裏に送ることができたようです。

 そんな団塊の世代の後に続いたのが新人類になります。概ね1955年から1964年生まれまで、昭和30年代生まれです。これが"ひねくれ者"の世代になります。


※例によって断り書きをしなければなりませんが、新人類が全員ひねくれ者ということではありません。新人類の中にも当然のことながら素直な人も優しい人もいます。男と女でも違います。しかし、他の世代に比べるとひねくれ者が多いということです。

 新人類にひねくれ者が多いというのは、石破茂を見ても、岸田文雄を見ても、河野太郎を見ても、野田佳彦を見ても、明らかなことだと私には思えます。良識ある社会人であるとはとても思えません。過去を振り返ってもあんなひどい政治家たちはいなかったですよね。「なぜそんなにひねくれちゃったの?」と一人一人に尋ねて回りたいくらいです。どうなんでしょう、新人類の中にいるとあの程度はごく普通なのでしょうか。まさかね。

 そこで私なりにさらに仮説を提示したいと思います。新人類も団塊の世代と同じようにアメリカの真似をして自分たちの生き方を方向づけようとしたのだと思います。しかし、残念なことに、古き良きアメリカは団塊の世代が全部持っていってしまい、新人類には残されていなかったのではないでしょうか。きれいな上澄みはもう残っていなかったのです。

 そこで仕方なしに、新人類立ちはその下によどんでいた腐ったような水を汲んで日本に撒き始めたのです。それが一番はっきり表れたのが、2020年から始まった新型コロナ騒動と、ワクチン接種でした。そのせいで、日本はすっかり汚染された国になってしまいました。

 しかし、新人類にしても、団塊の世代にしても、欧米信仰は明治維新から続く歴史を持っているものであり、おいそれと改めることはできなかったようです。仮に日本人が冷静に欧米を観察することができていたならば、欧米と距離を置いていたはずですが、団塊の世代にしても新人類にしても、それだけの賢明さはありません。現在に至るまで、どうしていいか分からずに右往左往している状態ではないでしょうか。

 元をたどれば、戦後日本の制度設計を誤ったことが今に響いているのだと思います。日本人でありながら「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」ということを忘れましたね。

 「アメリカにおんぶに抱っこしてもらっている限り、日本は永遠に安泰である」と考えてしまいました。そんなことがあるはずないのですが、都合の悪いことは隠蔽してなかったことにするのが日本人の得意技です。戦後80年が過ぎ、明治維新後150有余年が過ぎても、欧米信仰を改めようとしません。

 こんなことを書いている私自身ですら、ここまで欧米がガタガタと崩れてくるとは思いませんでした。あっけないものですよねえ。ただし、アメリカにしても、ヨーロッパにしても、あれだけの規模を持った固まりですから、電源が落ちるようにパタッと滅びてしまうことはありません。衰退しつつも、ある程度挽回したり、勢いを盛り返したり、低空飛行が続いたりするのでしょう。

 欧米のことはどうでもいいといえばどうでもことで、問題は日本です。新人類は欧米の腐った水を日本に入れてばら撒きました。しかも、その自覚がありません。今後の方針を改める気持ちもなさそうです。岸田文雄の発言が象徴的ですね。「アメリカは共和党政権、トランプ政権でありますが、この共和党はかつてリンカーンやレーガンといったような伝統的な共和党とは全く異質なものであります。看板は共和党ですが、実質的にはトランプ新党に乗っ取られてしまった。」「要は良き共和党は見る影もない。」

 新人類の認識というのはここまで軽薄なもののようです。アメリカは自国の衰退に直面して、必死で生き残る道を探しているのが現在です。トランプのやり方にはいろいろ批判があるにせよ、アメリカもトランプも現状認識はできているのです。方法論がまだ定まっていないという段階です。

 そうやって考えると、新人類を中心としている日本の政治家はみなさん脳内御花畑ですね。劣化した欧米のあとをついていくことしか頭にありません。もうすでに倒れたバイデン政権の後追いです。つまり何の見通しもないままに、腐った水をばら撒くこと、すなわち移民を増やすことで日本を維持しようとしています。日本社会が混乱しようが、治安が悪くなろうが、「庶民が我慢すればいい」くらいにしか思っていません。

 

 まあ、仕方がありませんね。そのうち痛い思いをして、こんなはずじゃなかったとあわてて国を作り直すのでしょう。それまでは、現状のジリ貧が続いていくことになります。仕方がありません。新人類に国を建て直すことを期待するのは無理です。