それにしても、何という非常識な、あるいは恐ろしい人が総理大臣になったものだろうか。恥ずべき人と言ったほうがいいだろうか。一番問題となることは、総理大臣の使命を総理大臣自身が理解していないことだ。ドリフのコントではあるまいし、総理大臣が自分の使命を理解していないなんて、そんなことがあり得るのだろうか。しかし、そう考えるしかないような気がする。

 そもそも、総理大臣の使命は何だろうか。そのような大きな話は、日本国憲法を見るべきだろうか。憲法の条文を読んでみると、関係することでは国会議員から規定されている。「第四十三条 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」

 ということは、総理大臣も含めた国会議員は " 全国民の代表者 " であることになる。つまり、国会議員は地元に便宜を図るのでも、財界の利益を優先させるのでも、各省庁をもり立てるのでも、ましてやアメリカの傀儡になるのでもなく、全国民(日本人)のために働くものであることが憲法で規定されていることが分かる。

 次いで、内閣総理大臣については「第六十六条 内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。」と書かれている。つまり、内閣で一番えらい奴が総理大臣ということになる。

 では、内閣の仕事は何かというと、「第六十五条 行政権は、内閣に属する。」であり、行政権とは、立法権と司法権を除いた全部ということになる。そのように考えると、内閣、そして内閣総理大臣は、法律を作ることや裁判を行うこと意外は、ほとんど全部自分たちの権限として行うことができることになっている。すごい権力だ。

 そのような強大な権力の持ち主が、どのような心がけを持つべきなのか、それを示したものはないのだろうか。そのようなことになると、憲法の前文になるのかな。前文には以下のように書いてある。

 「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」

 おお、すごい、すごい。これ、これ。しかしこれを読むと、何かと評判の悪いGHQ(General Headquarters、連合国軍最高司令官総司令部)は、案外いい奴らだったのかもしれないと思う。少なくとも、虐殺好きで悪魔のような現在のバイデン政権の逆を行っている感じがする。なぜなら現憲法の前文には、明確な理想と、それを実現させたいとする熱意が感じられるからだ。

 それはさておき、「国政は国民の信託による」と書いてある。信託とは「信用して任せること。」(デジタル大辞泉)となっており、つまり、国会議員は国民を裏切ることができないわけで、となれば当然、国政は国民のために行うのが本筋となる。しかも、「その権威は国民に由来し」とあるから、総理大臣や他の大臣が持っている権威は国民が与えていることになる。とすると、河野太郎が国民に向かって威張るのは憲法違反になる。

 極め付けは「その福利は国民がこれを享受する」と書かれていることだ。つまり、総理大臣はじめ政治家たちが苦労して得た利益は、政治家のものではなく、財界人のものでもなく、官僚のものでもなく、その他特権階級やアメリカのものでもなく、国民のものであると書いてある。これが国民主権ということだろう。

 要するに、現在の日本国憲法によると、国民が信用して政治家に政治をさせ、権力を行使させるが、それはあくまで国民が主権を持ってのことであり、政治家が偉いわけでも、権力を握っているわけでもない。また、国政によって生じた利益は全て国民のものであり、政治家など一部の者が所有することはできないことになる。現憲法は国民にとって何と素晴らしい憲法であることか。

 おまけに、駄目押しまでしてあって、「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」となっている。「日本国憲法に夢々逆らうことなかれ」という意味だ。

 しかしである、こんなことをここまで書かれてしまうとマズイよね。誰にとってマズイかというと、日本政府にとっても、政治家にとっても、財界人にとっても、官僚にとってもマズイ。できることならこんな憲法は廃止して、「国民は日本政府や、政治家や、財界人や、官僚などのために奴隷のように働き、それら特権階級が豊かな生活を送れるように努力しなければならない。」という憲法に変更したいと思うよね? あなたがもし総理大臣だったら、そう思うでしょ? 国民のために働くなんて馬鹿馬鹿しいから。

 実際問題として、自民党などはそのように考えているようで、平成24年に決定された「日本国憲法改正草案」では、 「・・・国民統合の象徴である天皇を戴く国家・・・」「日本国民は・・・国家を形成する」「日本国民は・・・和を尊び、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り・・・」「我々は・・・国を成長させる」「日本国民は、良き伝統と我々の国家を末長く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。」などとなっている。

 いやあ、もう、右翼臭くて、右翼臭くて、鼻が曲がりそうだ。皆さんだまされてはいけませんよ。少なくとも自民党の憲法改正案に関しては、国民の幸福などみじんも考えられていない。国民に犠牲を強いることばかりを規定しようとしている。

 まず、天皇は " 戴く " ものに変わる。 " 戴く " には、「敬って自分の上の者として迎える。あがめ仕える。」(デジタル大辞泉)という意味がある。大日本帝国憲法(明治憲法)で天皇は、「第三條 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と規定されていた。これに少しでも近づけたいということが自民党案の意味するところだろう。彼らは国民主権が大嫌いなのだ。

 また、日本の右翼の最大の欠陥として、日本を大東亜戦争敗戦前に戻したいという願望がある。日本を先に進めるのではなく、後戻りさせようとする考え方になる。懐古主義といっていい。なぜ懐古主義に走るかといえば、それは良く知らないか、あるいは昔のことを忘れているからだ。

 余談になるけれど、もう40年以上も昔、私の親が家を建てたときに集合煙突を家に組み込んだことがある。石炭や薪のストーブを使っていた頃の北海道では珍しいことではなかった。どうやら薪ストーブを使いたかったらしい。ありがちな話で、気持ちはよく分かる。柔らかな炎や温かさ、ちょっとした煮物や湯沸かしに使える便利さ、木の匂いなどがほしかったのだろう。

 しかし、わずか1、2年使っただけで止めてしまった。そりゃそうだ。火加減を調節する手間、火の始末をする手間、薪を準備して運ぶ手間、灰を処分する手間、煙突掃除の手間、春と秋にストーブを撤去、設置する手間などの現実を考えると、とても面倒でやっていられない。大体において懐古主義とはそんな程度のものだ。

 憲法改正をしたいのであれば、明治憲法下で生まれた人間たちが死に絶えてからの方がいいように思う。下手に記憶があると、その記憶が美化されて素晴らしいものであったかのように勘違いしてしまう。「よしやうらぶれて 異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや」ということを理解していないのが、日本の右翼・懐古主義政治家たちの誤りになる。

 話を戻そう。天皇を神であると崇め奉った明治憲法下の日本にあこがれて、少しでも天皇の地位を高くしたいというのが自民党の時代錯誤的な意見になる。天皇を崇め奉ることによって、一般の国民はその分地位が低くなる。主役ではなくなる。そうやって、国民主権を弱め、政治を自分たちに都合よく運ぼうとする魂胆がある。国民の思いどおりにさせてたまるかという思惑だ。俺たちよりも国民の方がえらいなど許せんという腹立ちだ。

 天皇以外のことについては、 " 国民主権 " よりも、「ほしけりゃ自分たちで勝手にやりな」というニュアンスを持つようになっているのが改正案になる。現憲法では「国政は国民の厳粛な信託による」とされているが、改正案では「日本国民は・・自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、互いに助け合って国家を形成する。」となっている。

 もっとはっきり書いてしまうと、日本は国民が勝手にしたいようにするのであって、政府や政治家には責任も義務もないとしたいようだ。なるほど、自民党などというヤクザな政党に憲法の改正案を考えさせると、このようなことになってしまうのかと今さらながら驚く。日本政府が国民のために働く憲法を否定したいようだ。

 さて、ここまで読まれた方は私が何を書きたいのか見当がつかれたと思うけれども、現在の岸田政権は憲法改正案を先取りして現在の政治に反映させている。一番よく分かったのが能登半島地震への対応になる。「日本政府は知らんからね。あんた方で勝手に何とかしな。」というのが基本方針だった。日本政府が国民の面倒を見る政治は、もうおしまいにしようという姿勢が見えた。

 増税もその方針に基づいている。少子化対策でも、軍備拡張でも、増税が最初にくる。「日本政府にやってほしいと思うのなら、まず金を払いな。」というのが日本政府の方針になる。なぜなら、憲法改正案には、「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」と書かれているからだ。「本来アンタ方のやることを代わりにやってやるんだから、金を払うのが当たり前でしょ。」というのが岸田政権の言いたいことになる。

 何回か書いたことがあるが、岸田総理は昨年3月、福島県相馬市で、中学生から「なぜ首相を目指したのか」と問われ、「日本の社会で一番権限の大きい人なので」と返答している。これは常識から考えるとあり得ないほどお粗末な回答になる。なぜなら、中学生のこのような質問に対して総理大臣であるならば、当然のこととしてビジョン(将来の構想)を示さなければならないからだ。ところが岸田総理の答えでは、「偉くなりたかったから偉くなった」ということしか分からない。

 つまり、察するところ、岸田総理は自分が仕事をしようとは思っていないのだろう。日本は国民が働く国であって、政治家は良いとか悪いとか「あ〜」とか「う〜」とか言っていればそれでいいと考えている。アメリカから無理難題を吹っかけられても、二つ返事で請け負ってきて、あとは国民が何とかするだろうとしか思っていない。

 総理大臣は誰が考えたって日本のリーダーになる。「私が責任を持ってこの国の面倒を見ます。ご協力よろしくお願いします。」と言えなくてはならない。しかし、岸田総理にはその片鱗もうかがわれない。権限がほしかっただけの軽薄な人間が、日本の総理大臣になって日本を壊しつつあると考えていい。もちろん他の自民党議員も同じだ。いないほうがどれだけマシか分からない。

 

 そして何よりも、現在の日本国憲法を自民党案のように改悪することは、どんなことがあっても阻止しなくてはならない。国民主権を高らかに謳い上げ、基本的人権を侵すことのできない永久の権利と規定している現在の日本国憲法を改悪することは、日本国民にとっての自殺行為になる。戦争好きのアメリカやアメリカの傀儡である日本政府・自民党の思う壷になる。