今年2月の話題だった。アメリカの調査会社「モーニング・コンサルト」によると、日本の岸田総理の支持率は世界一だったという。もちろん世界一支持率が高いのではなく、世界一支持率の低い総理大臣ということ。ちなみにこのときの調査で世界一支持率の高かった首脳はプーチン大統領だった。2位はインドのモディ首相。

 プーチン大統領やモディ首相と岸田総理を比較するときに、一番感じることは岸田総理の人間性というのか、人格が低劣であることだ。魅力がないといってもいい。ペラペラに薄っぺらいのが岸田総理であり、2年、3年と総理大臣をしているうちに、ほとんどの日本人の気付くところとなった。

 なにもアメリカの調査会社に指摘されるまでもなく、全社が日本政府ベッタリである日本のマスメディアの世論調査結果ですら、内閣支持率は10%台、20%台の低率をさまよっている。また、支持率と不支持率との比較でも、各社とももう1年以上も不支持率の方が高い状態が続いている。

 一体岸田総理の人格のどこがそんなに低劣なのだろうか。人間、大抵の人は長所もあれば短所もあるのが普通だけれど、岸田総理に長所はないのだろうか。ないわけではない。私から見ると、言葉遣いは悪くない。態度も悪くない。いきなり怒鳴ったり、暴れたりすることもなく、全般に大人しい。

 ただねえ、やっていることは大人しくはない。乱暴そのものだ。増税に次ぐ増税で、国民から絞り取った金をアメリカ等に上納している。外遊して諸外国に金をばらまいているときのあの上機嫌な顔つきといったら・・。その一方で国民には一切還元しようとしない。自然災害で生命を脅かされているような人がいても知らん顔して放置する。もはや人間ではなく、鬼畜の所業といえるくらいだ。私なら、外国から喜ばれるよりも、自国民を救いたいと思うけどねえ。そのための総理大臣なのだから。

 日本はアメリカの植民地だから仕方がないという人もいる。しかし、同じ逆らえないのでも、喜んで尻尾を振り、頭をなでられに近寄っていくのと、不承不承やむを得ず従うのとでは、結果も含めて大きく違ってくるはずだ。同じように喝上げされるにしても、被害額等が少なくなる。岸田総理の場合は、明らかに喜んでアメリカの下僕になり、有り金全部吐き出そうとしている。

 大体において、日本はなぜロシア・ウクライナ紛争をアメリカ側の立場に立って応援しなければならないのだろうか。昔ベトナム戦争において、日本はアメリカに協力して金を出したのだろうか。アフガニスタン戦争はどうだろう。日本はアメリカに協力して金を出したのだろうか。

 ロシア・ウクライナ紛争と日本とは全く関係がない。日本はウクライナの同盟国なのだろうか。ロシアの敵国なのだろうか。アメリカ側の立場に立って応援しなければならない理由が何かあるのだろうか。ウクライナという、はるか離れた遠くの国の戦争に関与して、何兆円もの金を出さなければならない理由が何かあるのだろうか。

 日本はアメリカの同盟国だから? そんなことは全く関係がない。アメリカが直接攻撃されたというのであれば、同盟国として何らかのアクションは必要とされるのかもしれないが、そうではない戦争に日本がわざわざ関わる理由は何もない。むしろ、停戦をするために尽力するのが日本の役割であるはずだ。無関係の第三国として。

 ロシア・ウクライナ紛争終了後に、ウクライナに復興支援を行うという話も聞こえてくる。なぜ? 日本はウクライナを爆撃して破壊でもしたというのだろうか。日本がウクライナの復興を支援しなければならないどんな理由があるというのだろうか。

 それとも、日本は豊かな国で金が余っているから、よその国を支援する余裕があるとでもいうのだろうか。冗談ではない。物価が上がり、庶民の生活は苦しくなるばかりだ。その上増税までされているのに、ウクライナに金を渡す余裕など全くないはずだ。

 そんなことをつらつら考えているうちに、岸田総理の国会答弁のシーンが頭に浮かんだ。何とも素っ気のない、言葉遣いこそ丁寧であるけれども、事務的な内容に終始するのがいつものことだ。あれじゃまるで官僚の答弁だ。

 と考えて、ハッと気が付いた。何に気が付いたかといえば、岸田総理は自分を官僚だと思って答弁しているのではないだろうか。それならば岸田総理の国会での様子が理解できる。彼は官僚の仕事をしたいと思っており、政治家としての使命に関しては無関心であり、自分の仕事として考えていない。

 岸田総理が東大受験を3回失敗して、早稲田大に入学し、卒業後は長銀に就職したのはご存知の方もおられるだろう。この経歴を見てすぐ連想することは、本当は東大に入学して大蔵(財務)官僚になりたかったのではないかということだ。岸田総理はそれができなかった。

 人生に紆余曲折はあることだから、そのこと自体は問題になるようなことではないけれども、岸田総理の場合は、そのことが現在の無能な総理大臣へと繋がっている可能性がある。

 岸田総理の父は、岸田文武といい、東大法学部を卒業後通産省に入省し、52歳頃に退官して衆議院議員(自民党)として5回当選している。おそらく、岸田総理よりも優秀であり、岸田総理の官僚臭さは父親譲りではないかと私は想像する。つまり、父親から仕込まれたのだ。また、父の弟(叔父)は東大法学部を卒業後にエリート大蔵官僚(証券局長)になっている。

 岸田家の価値観からすると、東大法学部卒で大蔵省官僚を務めた叔父が一族のヒーローだったのだろう。ほかの者は、この叔父を見習えと教えられながら育ったに違いない。そのことがとってもよく分かるのが、岸田総理の妹2人の嫁ぎ先が、共に大蔵官僚であったことだ。もちろんどちらも東大法学部だった。

 そんな家で育った岸田総理にとっては、総理大臣であることよりも、東大法学部を卒業していることや大蔵官僚であることが価値の高いことであるに違いない。もしそれが現実のものになっていたとしたら、岸田総理の父も母もどんなにか喜んだことだろう。彼にはそのような悔いが心の中にあるはずだ。

 そのような思いを振り払って立派に自分の仕事をこなす者もたくさんいるが、いつまでもこだわってうだつの上がらない者もおり、私は後者が岸田総理ではないかと疑っている。それがゆえに、地位は政治家の最高位である総理大臣になっていながらも、心は政治家になることを拒否したままであり、今でも大蔵(財務)官僚にあこがれている。

 国会答弁での味も素っ気もない、おおよそ日本国を代表する政治家であるとは思えないような希薄な内容は、総理大臣失格であると同時に、大蔵官僚の物まねであるともいえる。

 ご存知のように、政治家と官僚との一番の違いは、権限の大きさになる。つまり、官僚の決定を政治家は覆すことができるが、政治家の決定を官僚が覆すことはできない。そのような仕組みになっている。岸田総理は政治家としての最高位に就いており、そういう意味では日本で一番の権限を持ったことになるが、心の中では官僚になりたがっているものだから、政治家らしい判断や考え方をすることができない。いやできないのではなく、そもそも政治家らしくあろうとしていない。官僚になりたいのだから。

 日本国内だけであれば、それでもまあ仕方がないとあきらめることもできるけれども、アメリカとの関係において、総理大臣を捨てて大蔵官僚の真似をされてしまうのでは、国民としてはたまったものではない。

 アメリカは当然のこととして、岸田総理を日本の政治家のトップとしてアメリカの要求をぶつけてくる。それに対して、岸田総理は自分には権限がなく、アメリカの政治家の要求をはねつける能力というのか資格というのか、そんなものが自分にはないと思っている。自分のことを官僚だと思い、ただただ平身低頭、奴顔婢膝することしか頭にない。さらに悪いことに、アメリカからの命令を官僚の律義さで忠実に実行しようとする。

 いくらアメリカだって、能登半島を救援するな、あるいは、ウクライナに支援をしろという命令に岸田総理が逆らったからといって、暗殺まではしないだろう。しかし、実際には官僚の経験がなく、官僚の猿真似をするしか能がない岸田総理にとっては、面従腹背など、官僚としてのしたたかさも発揮できない。まして、政治家としての交渉、腹の探り合い、裏工作などのことはできず、そもそも思い浮かばない。

 その点、安倍元総理は政治家だった。善人のフリをしながらも、その腹黒さは群を抜いており、ニコニコしながら悪政を敷いた。アメリカの言うことも聞かなかった。そのため、アメリカは欲求不満がたまっていたのだが、その不満を岸田政権にぶつけ、何とかしろと迫った。

 もちろん、岸田総理にはそれに対抗するべき何の策も持たない。だるまのように手も足も出ず、そのため、日本の国民は岸田総理の増税一本槍路線に堪えるしか道がなくなっている。それだけならまだしも、アメリカの日本に対する植民地扱いは、今や占領地扱いに達しており、国としての独立を認められていない。アメリカから煮て食われようが焼いて食われようが何もできないのが岸田官僚総理であり、究極の傀儡政権になっている。とんでもない国難、厄災が日本に振りかかってきたものだ。