今日(6月17日)の小樽は、天候晴れのち曇、最高気温26.3℃ (15:10)、最低気温15.9℃ (04:06)、最大風速 9.1m/s (13:30)、日の出03:55:37、日の入り19:18:24。

 前回の茶飲み話で書いたけれど、今の北海道は1年で一番いい季節。暑からず寒からず、明るく、昼の時間が長い。午後7時でもまだ十分に明るいから、居間のソファにひっくり返って明るい窓を見ていると、「ああ、極楽、極楽」という感じになる。

 これでまた、1月、2月になると、雪に埋もれた寒い毎日を送らなくてはならないのだから、人生が思いどおりにならないというのは全人類に共通する宿命のようなものだね。気候に翻弄されるのは全世界共通だろうから。地球温暖化対策、つまり人間が気候をコントロールするなどの試みは何の効果もなく、児戯に等しいことは常識人なら理解できること。

 でもまあ、比較をするなら南国の方がどう考えても暮らしやすいような気がする。ところが、文明が発達しているのは気候の悪いところであるという、分かるような、分からないような現象がある。ロンドンだって、パリだって、ベルリンだって、ニューヨークだって、モスクワだって、北京だって、「良いところにお住まいですねえ」という感じはないよね。

 どうしても、ハワイとか、カリブ海とか、地中海とか、東南アジアなんかの方が、気候としては過ごしやすいような気がする。少なくとも寒さに凍えるなんてことはなさそうだなあ。人はどうして、わざわざこんな北に来てしまったのだろうか。

 まあ、追い出されたのだろうねえ。「人が増え過ぎて食っていけないから出て行け」という理由で。そのせいで、アフリカのどこかにあったヌクヌクと生活できるような楽園を追い出され、北へ北へと逃げ延びたのだろう。行き着いた先は、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドあたりなのだろうな。聖書だって、楽園から追われる話が最初だよね。よく知らないけれど。

 しかし、追われた後で白人の逆襲が始まったのかもしれない。なにしろ、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドまで行ってしまうと、さらに北に逃げるといったってそれ以上の北はないから。地球の外に出るのは無理だから、それなら回れ右して南の方へ攻め込んでやれと、まあそういうことなんだろうな、きっと。

 しかし、元々は自分たちを追い出した強敵だ。そこに攻め込むのは並大抵のことではない。悪知恵を働かせるとともに強力な武器を開発して、世界一凶暴で悪賢い民族に自分たちを変えた。文明が発達したというのはそのようなことなんじゃないかな。その中でもアメリカ人というか、アングロサクソンというかが一番強く(悪く)なった。

 ビル・ゲイツなんかが、人口削減を主張しているなどといわれているけれども、それって、大昔に自分たちが楽園から追い出された恐怖が、遺伝子レベルで引き継がれているのではないだろうか。つまり、このまま地球の人口が増えていくと、「俺たちはまた追い出されるかもしれない」という恐怖だね。

 アメリカが、あれだけ他国の侵略に熱心になるのも、自分たちが追い出されはしないかという恐怖の裏返しなのかもしれない。アフリカ黒人を奴隷にしたのも、アメリカインディアンを滅ぼして建国したのも、全部過去の意趣返しなのかもしれない。そうでもなきゃ、人間なかなかあそこまで残虐にはなれないような気もする。

 人口削減論なんて真っ赤な嘘なんだよね。率直に表現すると、「お前たちを滅ぼして俺たちが生き延びる」という意味だと思うよ。正直にありのままを言えないものだから「人口削減論」なんてきれい事でごまかそうとする。

 白人は北の果てまで追われたものだから、どうしてもそのような考え方になってしまうし、彼らが食料のことを必要以上に気にするのも、食い物がないから出て行けといわれた大昔の記憶が残っているせいだろう。食い物の恨みは恐ろしいからね。今は同じ理由を使って他人種を追い出しにかかっている。所詮そんな単純なレベルだよ、アングロサクソン人なんて。

 その点、日本人は逆コースをいっているような気もする。まず、東京は少しばかり南すぎるというか、温かすぎる。今はすっかりぬるま湯に浸かって、アッパラパーになってしまった小池都知事が以前、「ずっと " ぬるま湯 " で来た日本ですから」と口にしたことがあったけれど、確かに世界の文明国と比べると日本は南にありすぎる。

 その結果どうなるかといえば、どうしても「ぼのぼの」化してしまう。「キティちゃん」化といってもいい。欧米はもっと深刻というか、大人っぽいというか、凶悪というか、もっともらしいよね。「ぼのぼの」や「キティちゃん」には余り価値を置かない。聞いた話によると、欧米の美人ちゃんに向かって「かわいい」と言うのは失礼なんだってね。

 欧米人で日本を妙に好む人がいるけれど、その場合は逆に「かわいい」が価値を持つ世界を気に入っているためではないかと思う。人間、重厚長大ばかりではやはり疲れるのだろう。緊張、競争、戦闘、深刻、食うか食われるか、そんなものばかりが目に付く欧米社会は生活しづらいよね。

 そうやって考えていって、では日本は、誰しもが心の安らぎを覚える理想的な国なのかといえば、決してそうではないのがこれまた面白いところ。北海道人がそれを一番よく分かっているのではないだろうか。

 というのも、北海道には故郷を追われて嫌々北海道に渡ってきた人が少なからずいるからね。それは、私の祖父母あたりの世代になるけれども。北海道人には本州人を怖がる人がとっても多い。東京など「生き馬の目を抜く」ところだと思っている人がたくさんいる。きっと温かい故郷から追い出されて、こんな北の最果てで、凍死しそうな北海道へ仕方なく来たという祖父母たちの記憶が伝わっているせいのように思う。白人たちと似たところがあるね。

 確かに北海道人を見ていると、本州人を怖がるのも無理はないように思う。北海道人は総じて " のほほん " としているから。もちろん、中には奇人、変人、悪人がいるのはどこの世界も同じでだけれどね。と思って、北海道出身の悪人を挙げようと思ったらとりあえず見つけられない。二階俊弘や森喜朗みたいな悪者がいないかと思ったけれど、いないんじゃないだろうか。鈴木宗男あたりが候補だったように思うけれど、失脚して、今ではすっかり善人になったように見える。

 話がそれた。本州から追い出されてやってきた北海道人から見ると、本州人の特徴は " いじめ " のうまさではないだろうか。国会なんか見ていてもそう思うけれど、本質的な議論なんてどうでもいいみたいだ。つまり、いかに日本という国を価値ある国にするか、いかに国民のための政治をするかなどという、基本的、根本的なことはどこかに行ってしまっている。

 そして、お互いの足の引っ張り合い、潰しあい、嫌がらせ、罠にかけるなどといったことで、生存競争を勝ち抜こうとする。北海道人の出る幕はない。逃げ出すに限ると思ってしまう。のほほん、うっかり、ぼんやり、開けっ広げが北海道人の特徴だからね。

 それでも、自然が厳しいからそういう面では鍛えられている。冬にうっかりぼんやり外に出てしまったら、凍死してしまうからね。生死にかかわるような基本的なことは外さないように思う。本州人はそこが弱いものだから、国の危機などそっちのけにして、仲間内でつまらない争いを延々と続けてしまう。昔からそうだね。

 北海道に首都を持ってきたらいいとまでは言わないけれど、せめて仙台くらいには北上するべきだと思うよ。アメリカが、フロリダやカリフォルニアの気候のいいところには首都を置かず、アメリカの外れに近いワシントン
D.C.にして、アメリカ一の大都会もニューヨークなんて外れにしていることを考えると、少なくとも首都は仙台くらいの方がいい。盛岡ならもっといい。そうすると日本人も、少しはピリッとするのではないだろうか。

 東京なんていうヌクヌクしたところで政治をしていると、小池都知事の言うように、いつまでたっても日本はぬるま湯に浸かりっ放しで、大切な問題など放置したまま仲間内での見苦しい争い、足の引っ張り合いを繰り返しているばかりだからね。「小池都知事 VS 蓮舫」なんて、究極の低レベルの争いでしょ? そのようなことをしている限り、日本は衰退していくばかりになる。

 今回の記事は「茶飲み話」で書き始めたのだけれど、どうも話が煮詰まってしまったので表題を変えてアップしました。悪しからずお許しのほどを。