「そうか、根源的な問題はそこか」と思い当たった。もう現在の日本には政治家が必要なくなったのだ。

 最近よく聞くことに「小池都知事が公約を1つも実現してこなかった」というものがある。なぜそのようなことになったのだろうか。小池都知事が無能で嘘つきだからだろうか。それもある。しかし、一番の問題は、そもそもできないことを実現すると公約したことだ。その結果は当然のこととして公約が実現されない結果を招いた。

 それでは、できないことをなぜ公約にするのだろうか。その答えは、すでに政治家ができることは全部やってしまったために、それ以上に何かをしようとしても、無理なことばかりになってしまったことが原因として考えられる。

 東京とは全く無関係なところで暮らしている私から東京を見ると、東京はなぜこんなふざけた都知事ばかりが選ばれるのだろうかと疑問を抱く。私が知っているのは美濃部都知事くらいからで、彼もふざけた都知事だったようだ。その後、青島幸男、石原慎太郎、舛添要一、小池百合子と、みなさんふざけた政治家だった。美濃部都知事のあとに鈴木俊一という人がいたようだけれど、この人のことを私は全く知らない。案外ふざけた都知事ではなかったのかもしれない。

 では、なぜ東京都民はふざけた都知事を選ぶのかといえば、誰がなっても大差ないと知っているからだ。東京にはもう政治家のすることがなくなっており、都知事が誰であるかは問題となることではなくなっている。金があり、人もたくさんいて、開発も十分されており、施設や設備も整っている東京都にとって、必要とされているのは現状を維持できるようなメンテナンス程度しかない。

 誰がなっても大差ないとなれば面白いほうがいい。話題になったり、刺激を与えてくれたり、破廉恥なことをしてくれるなどのほうが面白い。そういう観点から都知事が選ばれてきたのだろう。テレビで芸人番組を見る感覚だ。

 一方政治家にしてみると、「できることは特にありません」ではやっていけない。「私が都知事になったらこんな素晴らしい東京になります」と訴えなくてはならない。そんなことはあり得ないのに、口ではそんなことを言うものだから公約は実現されないことになる。これは小池都知事ばかりではなく、誰がなっても同じことだ。

 そのようなことは、実は日本全体にも当てはまる。国会議員もこれ以上は仕事がない事態にぶつかっている。岸田総理を見れば誰にでもよく分かるはずだ。仕事がないのだからじっとしていればいいものを、財界の要望に応じて増税したり、アメリカの要望に応じて戦争の支援や海外の援助をしたりしている。つまり、しないことが問題なのではなく、余計なことをすることが問題になっている。することがないものだから、苦し紛れにいらぬことをする。「小人閑居して不善を為す」の代表例が岸田総理になる。

 能登半島地震への対応はなぜしなかったのだろうか。あれもおそらく、しなかったのではない。事情は分からないが岸田総理は前例を覆して、あえて救援や復興対策を行わないことを選択したと考えるほうが自然だ。周りがみんな救援、復興に協力しようと待ちかまえているときに、それを断つ決定をしたのだから。実に余計なことをするものだ。

 さらに考えを広げるならば、日本を含めた西側欧米諸国全体に政治家が不要になってきていることを指摘できる。もう、先進国と呼ばれるような国々では、政治家のすることがなくなっているのだ。

 しかし、政治家にとっては自分たちが不要になったとは認めたくない。第一に「おまんまの食い上げ」になってしまう、つまり失業してしまう。それでは格好がつかないし、裏金も入ってこなくなる。

 そこで、いろいろ画策するというか、陰謀を練るというか、余計なことを始めるようになった。私が政治に関心を持って観察するきっかけになった「新型コロナ騒動」はその代表例だ。新型コロナ騒動は政治家の失業を防ぐ対策といえる。

 安倍元総理は嬉しかっただろうねえ。小池都知事も嬉しかっただろうねえ。なにしろ自分の号令一下、全国民が、全都民が、ひれ伏さんばかりに一斉にマスクをかけたり、学校を休んだり、店を閉めたり、酒を出さなくなったりしたのだから。ここまで強大な権力を振るったのは、江戸幕府第5代将軍徳川綱吉以来ではないだろうか。「お犬様」に匹敵する。やるんだな日本人は、伝統的にそんな馬鹿馬鹿しいことを、大真面目な顔をして。

 話がそれた。世界の先進国と呼ばれるような国々では、政治家が行うような仕事がなくなってしまった。特に首相や大統領などと呼ばれるような国全体を管轄するような政治家であればあるほど、することがなくなってしまったものだから、それではならじと仕事を作り始めた。つまり失業対策だ。

 地球温暖化対策、新型コロナ騒動に加え、戦争もその1つだ。ロシア・ウクライナ紛争など、全く必要のない戦争をアメリカは仕掛けた。もちろん、戦争を行うことによって莫大な利益を上げるのはアメリカのいつもの手口であるけれども、同時にそれはアメリカの政治家が自分たちの存在感を示すための方便でもある。なにしろ、戦争も、戦争の準備も、政治家のすることだからね。政治家がいなければ、あるいは拒否すれば、戦争は起きない。

 私から見ると、現在のBRICSや、BRICSの下に参集している国々は、とっても健康的に見える。なぜだろうか。それは政治家にやることがあるせいだ。彼らの国はまだまだ貧しい。人間らしい生活をできない人、飢えに苦しむ人などがたくさんいる。病気だって嘘コロナ感染症とは違い、不衛生で栄養失調であるために罹患して死んでいく人がたくさんいる。

 ましてや、生活の便利さ、文化的な恵み、適切な労働条件、福利厚生など、政治家が必要とされる仕事は多い。そして、何よりもまず、アメリカからの侵略を防ぐという国の存亡に関わる大仕事がある。先進国以外の政治家には十分存在意義があり、国民から必要とされている。

 それに引き換え、日本の政治家がいかに無駄なことしかしていないか、岸田総理を見ればよく分かる。国民がより豊かに、より自由に、人生を謳歌できる日本を作ろうと尽力するのであれば許せるけれども、増税等によって国民負担を増やし、経済政策には失敗し、財界やアメリカを儲けさせることばかりに腐心している。挙げ句の果てには私腹を肥やすための裏金作りに熱心であり、政財界の癒着も甚だしい。

 そんなろくでもない国会議員に投入される国の予算はいくらかと言えば、官房機密費など公開されていないものを除いても、国会議員全体で1500億円を超えるという(政党助成金や秘書給与を含む)。国会議員は714人だから、1人当たり2億円を超える税金が使われている。私たちは、国会議員1人に1年間につき2億円以上を支払っていることになるが、それに見合うリターンを受けているだろうか。

 今後も明るい見通しは持てない。ワクチンに関しては、相変わらず安全性の検証されていないものを打ち続ける予定であるといい、犠牲者は増える一方になる。SDGs、ムーンショット計画なども、政治家の失業を防ぎ、特権階級をさらに裕福にしようとする策略であり、それによって国民の生活が豊かになることはない。

 度々話題になる憲法改正にしたところで、国民の権利を奪い、政治家の思いどおりに利益を得られる日本にしたいということが狙いになる。一体私たちはどのようにしたらいいのだろうか。黙って権力者たちの奴隷になるしか方法はないのだろうか。

 実は日本には金がだぶついている。それも、金持ちのところで金がだぶついている。大企業、政治家、医者などだ。人間不思議なもので、必要以上の金を手にした者たちは、ますます強欲になり、貪欲になり、ズルいことを行い、法律違反までして金を手に入れようとする。

 政治家の所得は多過ぎる。なぜ多いかといえば、「政治には金がかかる、政策の研究もしなければならない、秘書を雇って情報を手に入れたり法律の構想を練らなければならない、にもかかわらず収入が不足するために贈収賄事件などが起きる。」などといったことがまことしやかに言われ、政治家の所得を増やした経緯があるからだ。その結果どうなったか。政治家はますます金に卑しく、汚くなり、昨今の裏金騒動が持ち上がった。

 医者は大切な職業だ。私たちの命を預けなければならないときもある。それゆえ、医者が無条件で高給であることを私たちは許容してきた。「いいではないか、お医者様だもの」くらいの感覚だった。しかし、そのような甘い考えは今回の新型コロナ用ワクチンで根底から覆された。多くの医者が患者等の命など軽視して、儲けに走ったからだ。医者は私たちから見れば金持ちで、特権階級といってもいいくらいだ。ところが、それが良心的な仕事をするということには繋がらない。それどころか、金のためには患者を殺しても平気な顔をしている。

 企業の場合も同罪になる。私はよくは知らないが、企業の経営は大変なことだろうと思う。海外との取引では為替レートの変動で経営が安定しなくなる。いざというときのためにある程度の余裕は必要だ。また、法人税が高過ぎるのも日本の企業の繁栄を阻害するだろう。

 それゆえ、消費税額は増えても、法人税額を増やさないのも無理はないのかと思ってきた。おまけに、日本の企業は全体的に見れば世界の中で衰退傾向にある。もっと保護をしなければならないのかとさえ感じる。

 ところがどうも実態は違うようだ。企業の内部留保金は昨年末で約555兆円という巨額に膨らんでいる。いくら何でもため込み過ぎだ。その半分でも従業員の給料に回せば、日本は明るい社会になるだろう。おまけに、政治家や医者の例を見ると、人間というもの、金持ちになればなるほど金に汚く、あこぎになる。企業とて同じだろう。内部留保金を使っていかに政治家を買収するか、利権に食い込むかなどのことばかり考えているに違いない。

 そんな状況を踏まえると、なるほど山本太郎の言うように消費税は廃止にするほうがいいと感じる。それで税収が不足するようなら、累進課税を強化すればいい。高収入者の負担が増えるのは気の毒な気もするが、そもそも、高収入者というのは金を稼ぐ才覚のある連中で、税率が高くなったからとへこたれるような者たちではない。脱税でも、贈賄でも平気で行って自分の取り分を確保するだろう。大体において、収入がなくて自殺する者はいくらでもいるだろうが、税率が高いからと自殺する者など聞いたことがない。

 政治家も、財界人も、医者も、身銭を切らせて国民の面倒を見させるくらいでちょうどいい。そうすると、政治家も、金持ちも、医者も、国民を見たときに「こいつらは俺たちが助けてやっているおかげで、そこそこ食っていける」と感じることができ、国民に対する愛着が湧いてくる。

 今の岸田総理のように、自分がのうのうと暮らすために、国民から過酷な税金を巻き上げようとする場合には国民が敵に見えてくる。「1000円や2000円でガタガタ抜かすんじゃねえ」と政治家の方が不満を持つようになる。

 政治家も、財界人も、医者も、もっと国民のために働かせてやる必要がある。もっと国民のために血を流させなくてはならない。「艱難汝を玉にす」ということわざがある。特権階級には艱難が必要なのだ。それで初めて私のような貧乏人との釣り合いが取れる。庶民の気持ちを察しようとする心構えができてくる。人間とはそんな程度のものだ。