それにしても、ひどい男が総理大臣になったものだ。前回の記事では " めったに現われない愚鈍な宰相 " という表現をさせてもらったけれども、それでもまだぬる過ぎる。さらに貶めるような表現はないものだろうか。

 岸田総理が中学生からの「どうして総理大臣になったのか」という質問に対して、「一番権限の大きい人なので総理大臣を目指した」と返答したことも触れた。お分かりになるだろうか。答えとしては全くの0点になる。0点どころか、マイナス点をつけてやりたいくらいだ。

 岸田総理は要するに「偉くなりたかったから総理大臣を目指した」と答えたのだけれど、この答えがあり得ないくらいひどい理由は、なぜ偉くなろうと思ったのかその理由に触れていない点だ。おそらく、何も考えていないか、本音を隠しているかのどちらかだろうが、日頃の言動を見ている限り、頭の中がカラッポであるように感じる。

 何も考えておらず空虚そのもの。そして、質問をした中学生に対しても大変に不親切だ。出世を目指せといわれたって何の参考にもならない。何をするための出世なのかを示してやらなければ意味がない。総理大臣であれば、平和な日本を作りたかった、貧しい人を救いたかった、世界のリーダーになれるような国にしたかったなどの具体的な目標が出てこなくてはならない。

 考えてみれば、2年半ほど前の総理就任のときに、「特技は人の話をよく聞くこと」と語っているが、これも何の意味も持たない空虚な言葉だ。何について人の話を聞くのか、誰から聞くのか、そして聞いてどうするのかを言わなければ、単なる言葉の羅列に過ぎない。何も言っていないのと同じになる。

 その結果、総理就任以降何を聞いてきたかといえば、アメリカからの要求、財界からの要求、戦争を推進しようとする者たちからの要求を聞き入れる一方で、災害で死にそうになっている人々の話には聞く耳を持たなかった。

 そんな岸田総理が3月28日には珍しく、国民が喜ぶようなことを言った。最低最悪の予算を成立させて嬉しかったのだろう。そういう人だよね。何のために仕事をするかを考えることができず、仕事を処理することを目標にしてしまう。仕事の質は考慮に入らない。まるで派遣労働者だ。そうなのかもしれないなあ、「自分はアメリカから派遣された総理大臣である」としか思っていないのだろう。

 それで、どのようなことを言ったかといえば、「今年、物価上昇を上回る所得を必ず実現する」「来年以降に、物価上昇を上回る賃上げを必ず定着させる」という2点だった。これを聞いて私は笑い転げてしまった。

 なぜなら、2年半ほど前の総裁選で打ち出した「令和版所得倍増」政策はどこに行ってしまったのかと思ったからだ。そういう男なんですよ、彼は。虚言癖があると思っていい。「所得倍増」が「物価を上回る所得や賃上げ」にすり替わってしまった。要するに常に口からでまかせを言っているだけで、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たるだろう」くらいにしか思っていない。そのあまりの節操のなさには開いた口がふさがらない。

 ということで、日本は現在、そのような頭の中身がカラッポの総理大臣をトップに置いているのだけれど、これが岸田総理だけの問題であるのならばさほど深刻なことではない。しかし、こんな総理大臣しか選出できないくらいに自民党の人材が不足しているとしたら、さらに、日本人全体の頭の中がカラッポになっていて、岸田総理はそのうちの1人でしかないということであれば、日本の将来は暗いものになる。大丈夫なのだろうか、日本は。

 前回の記事でロシア・ウクライナ紛争に触れた際に、アメリカは金の力に頼って戦おうとしており、一方のロシアは正義に根ざした精神的な結びつきを持って戦っていると書いてみた。戦後一貫してアメリカナイズ(アメリカ化)してきた日本は、アメリカ同様の精神的に軽薄な国に堕落してしまったのではないだろうか。

 アメリカには哲学がない。いや「金がすべて」という哲学しか持っていない。金さえもうかれば他のことはどうでもいい。それゆえ、金もうけのために戦争をするということさえ生じる。これは大変な誤りであって、金もうけと、何十万人もの人の命を天秤にかけたときに、アメリカ人は金儲けの方を選択する。

 新型コロナ用ワクチンについても同様で、健康を維持できるという触れ込みで人を次々と殺し始めた。「金がすべて」であるアメリカ人にとっては、金儲けのためにワクチンで何十万人、何百万人もの人を殺すことは問題のないことらしい。

 それでもアメリカは「金がすべて」であるという、一貫した哲学を持っているだけまだいい。日本ときたら、その目茶苦茶なアメリカに尻尾を振ればいいという、これはもう哲学とは呼べない " 小手先の処世術 " しか持っていない。

 聞くところによると、今月10日に岸田総理は「NTT売却」というお土産を持って
国賓待遇で訪米するという。そりゃバイデンは喜ぶ。国賓待遇にするくらいに喜ぶ。そして岸田総理はバイデンに頭をなでられ、「良い子良い子」され、満面の笑みを浮かべるのだろう。よその国との交際費に莫大な支出をする分、国民の生活は貧しくなること必至だ。

 

 その上、バイデンからは一層の売国を促され、二つ返事で引き受けてくるに違いない。頭がカラッポの総理にできることはその程度だ。帰ってきたらまた " バイデン様からの御下命 " を言い出すから見ているといい。

 このままでは日本は衰退の一途をたどる。それを防ぐためには、つまり、岸田総理のようなトップが生まれてこないようにするためには、日本は日本なりの哲学を持つ必要があると私は思う。日本独自の精神性といってもいい。いつまでもアメリカの奴隷としていいなりになっているべきではない。

 ところが、日本は太古の昔から哲学の希薄な国だった。精神的な軸を持たない国だった。昔の人も、それではあまりに破廉恥であると感じたのだろう。何とかしようと仏教を取り入れ、広げようとしたのが聖徳太子(574〜622)の頃のようだ。

 それまでも宗教がなかったわけではないようだが、所詮未開民族用の原始宗教に過ぎず、役に立つものではなかった。だが、せっかく仏教を取り入れて先進国にしようとしたものの、結局のところは失敗に終わったと考えていいようだ。

 それは、明治になって日本が国家神道という「天皇教」を取り入れたことでも分かる。仏教はあっさり捨てることのできる程度にしか重んじられていなかった。そして、結果的に天皇教は大失敗だった。現在でも右翼は「天皇教」を理想とするようだけれども、天皇教は宗教としてはあまりに未熟であり、異端でもある。現人神などという存在は近代宗教としての普遍性を備えておらず、未開人や野蛮人向けの宗教になる。

 結局のところ、日本に根付いた宗教はなく、正月には神社で初詣に行き、クリスマスには「メリークリスマス」といってキリストの誕生を祝い、お盆には坊さんに経を唱えてもらうという、何ともいいようのない節操のない国になった。

 その結果が、史上最低ともいえる岸田総理の人格に反映されていると考えるのは、全く脈絡のない話ではないように思う。では、 " はしたない " 日本人が、もう少し理性を身につけるための何かいい方法はないだろうか。

 ふと思いついた。日本人にもっと " 道 " を求めさせるよう教育してはどうだろうか。 " 道 " で真っ先に思いつくのは武士道になる。司馬遼太郎は武士道が好きだったようで、日露戦争までの日本は正常だったが、昭和に入ってすっかり国が乱れてしまった原因の一つに、武士階級が日本を支配しなくなったことを挙げている。

 武士道は社会の支配者としての哲学・道徳を示しており、 " 切腹 " でも分かるように、大変な厳しさで自身をコントロールしようとしていた。裏金で私腹を肥やすなど、ないわけではなかったが、少なくとも認識上は絶対に許されないことであると皆が思っていた点で、現在の政治家とは大きな開きがある。

 なにも、武士道を日本に広げたらいいと言いたいのではない。広げたいのは " 道 " というか " 求道精神 " というかそのようなものだ。もともと日本人は " 道 " が大好きだ。柔剣道、弓道、茶道、華道、書道など、何にでも道を付けたがる。おそらく日本人なら、大工道、ラーメン道、サッカー道から始まって、しまいには色の道まで何となくニュアンスをくみ取れるのではないかと思う。

 ありのままの日本人が自然に好むことでありながら、戦後 " 道 " を求めようとする姿勢が徐々に希薄化してきた。アメリカナイズすることで求道精神が衰えた。一番はっきり分かるのが医者であり、あれだけ優秀な子たちを集めておきながら、今や「殺人集団」と化してしまった。ヤクザのような反社会的集団よりもずっと悪質といえる。 " 道 " を求めようとしなくなったためだ。

  " 道 " を軸として、新しい日本の精神を作ってはどうだろうか。日本国憲法を見ると分かるように、昔の法律にはかなり精神的な記述があった。しかし、現在の法律は単なる手続きや罰則を定めているだけのことが多く、法の精神をくみ取ることが難しくなっている。法では日本人の精神を培うことができない。

 日本は戦後一貫してアメリカの真似ばかりしてきたが、そのアメリカは人としての道を踏み外すことを何とも思わない国であり、その結果日本も、能登半島地震で死ぬ目に遭っている人がいるのに、総理大臣が一顧だにしない国になってしまった。ここを何とかしないことには日本は人でなしの国になってしまう。

 日本人は元々が道を求めることが大好きで、「いい仕事してますねえ」というセリフは、黙っていても一介の職人が道を求めることを示している。あらゆる分野でその精神を伸ばし、広げていけば、日本も素晴らしい国になっていけるように思うがどうだろう。

 手始めは医者たちかな。医師は必ず医学部を卒業している。医学部の教授連中は何をしているのだろうか。おそらく、人の命よりも病院経営や自分の金儲けの方が大切であると、非言語的な形で学生に教え込んでいるのだろう。さらに、医者として働き出すと、厚労省からも、製薬会社からも、病院の上司・同僚からも、医は算術であり、人の命や健康は二の次三の次であると教わっているに違いない。

 それではいけない。医師は " 医師道 " を極めるのが目標であると皆が教えてやるべきだ。それを医師としての大原則としたらいい。そして、医師ばかりではなく、政治家は政治道を、官僚は行政道を、商人は商人道を、職人は職人道を、それぞれが道を求める国にしたらいい。

 残念なことに、既存の宗教は日本人を救わない。日本人にフィットしていない。日本人に適しているのは、皆が、総理大臣までを含めて、「いい仕事してますねえ」といえる社会ではないかと思うのだがどうだろうか。