ビクトリア・ヌーランド国務次官が辞任(失脚?)したことで、アメリカはロシア・ウクライナ紛争から手を引くのではないかと噂されている。手を引くというのは実質的に戦争に負けたという意味になる。

 昔からアメリカは戦争の弱い国であり、ロシアは戦争の強い国だから、当然といえば当然のことになる。大東亜戦争でアメリカは日本に勝ったが、それは戦争の弱いもの同士で戦かったからで、強かったから勝ったのではない。

 アメリカが戦争に弱いことは、ベトナム戦争以降のアメリカの戦争を見れば分かる。満足に勝ちを収めたことがあっただろうか。北ベトナムなど、世界的なレベルで見れば弱小国家になるけれどもガチで戦って完敗してしまった。ベトナムが強かったのか? いやアメリカが弱かった。

 イラク戦争はフセイン大統領を死刑にして、一見すると勝利したかのように見えたが、表面上の戦争が終結したあともイラク国内の治安が安定せず、占領軍として駐留していたアメリカ及びイギリス軍は死傷者を出した。2011年にアメリが軍は手に負えなくなって完全撤退したが、あとに残ったのはまとまりのない治安の悪い国であり、何のための戦争だったのかさっぱり分からない結果を残した。

 

 今調べてみたら、イラクにはまだアメリカ軍がいた。まあ、なんとしつこいこと。一度完全撤退したあと、2500人ほどを再度駐留させたらしい。そして、現在の情勢では、アメリカ軍駐屯地が格好の攻撃目標になるかもしれないという。(「<米軍のイラク撤退論>弱腰か正面衝突か、板挟みのバイデン、イランの見立てと思惑とは」2024.2.20 Wedge ONLINE)

 

 記憶に新しいのは、アフガニスタン戦争。2001年から2021年まで、20年間も戦って負けている。アメリカが逃げ帰るときのみじめな敗走ぶりは世界的なニュースになった。わずか人口約3800万人、GDP世界109位の国にもアメリカは勝つことができない。

 弱いくせに喧嘩を吹っかける者がいたら、それは大馬鹿者であるけれども、とはいえアメリカは戦争立国の国だ。国を維持するためには、負けることが分かっていても戦争をやめることができない。それゆえ、負けても、負けても、次の戦争にとりかかる。

 なぜアメリカは戦争に弱いのだろうか。それは、戦意が弱いためだ。アメリカ軍は戦って勝とうとする気持ちが希薄だ。なぜ士気が高揚しないかといえば、それは、侵略戦争をすることが理由になる。人間、祖国を守らなければならないと思えば、実力以上の戦闘力を発揮できる。

 しかし、アメリカはプロパガンダとしては、しきりに正義が自分にあると吹聴するものの、兵隊一人一人は金儲けのための戦争であることを感じ取ってしまう。わざわざよその国に出かけていって、必要もない侵略戦争をさせられると思えば、戦って勝つよりも早く家に帰りたいと思うのが人情だ。戦おうとする気持ちが湧いてこない。ベトナム戦争も、イラク戦争も、アフガニスタン戦争も全てそうだ。

 

 あまりに戦争に弱いものだから、アメリカも嫌になってロシア・ウクライナ紛争では自分で戦うのをやめ、ウクライナに戦わせることにした。しかし、他人の都合で戦争をさせられるウクライナ兵の士気が上がるはずもない。結果は、ウクライナに戦える兵士がいなくなるほど負けてしまった。

 

 そんなアメリカがどうするかといえば、士気の弱さを補おうとして金と物に頼ろうとする。金で兵器や武器を購入し、金で兵隊を雇い戦おうとする。しかし、いくら金を投入して兵隊を雇っても、武器・弾薬を補充しても、やる気のない軍隊はさっぱり戦果を上げることができない。アメリカはもう、何十年間もそのようなことの繰り返しをしている。

 そんなアメリカ軍に負けず劣らず弱いのが日本軍(自衛隊)になる。ところが不思議なことに、大抵の日本人は日本軍が戦争に弱いとは思っていない。なんといううぬぼれ屋であることか。

 確かに「自分の国はいい国だ」「自分の国は優れている」と思いたいのは、人の自然な気持ちではある。だからそれは責められるようなことではないけれども、そのような趣旨の意見は慎重に吟味しなければならない。「本当に本当か?」と。

 さらに日本の場合は、戦後GHQが自虐史観を植え付けようとしたことから問題が複雑になっており、日本に対して否定的な意見に関しても、それが眉唾物であるかもしれない可能性が多分にある。そして、どうせならうぬぼれていた方が気分が良いというのが今の日本人の姿勢なのかもしれない。

 大抵のことはうぬぼれていても、それほど致命的な問題を生じることはないけれども、こと戦争に関することでうぬぼれていては生死にかかわってくる。きちんと分析して自国の戦力を把握しておかなければたくさんの命が失われてしまう。かつての日本のように。

 日本人が日本は戦争の弱い国ではない、あるいは強い国だと誤解している理由は、過去に元寇(蒙古襲来)を防いだことや、日清戦争、日露戦争が影響しているのではないかと思う。いずれも大国相手の戦争を乗り切った。しかし、だから日本は戦争が強いと思うのは大きな間違いになる。

 まず元寇については、日本が軍事力で撃退しており、早い話が防衛戦争に勝ったことになる。では、なぜ勝てたかというと、モンゴル帝国の得意技は何といっても騎兵戦(騎馬戦)だった。そして、海を越えてやってきたモンゴル軍は、馬を十分活用できなかったために日本に負けた。あの時代、海に囲まれた日本と戦おうとするモンゴルの方が無理筋だった。

 次いで、日清戦争の場合は、今調べてみたところ私のこれまでの想像とは違っており、イギリスなどの欧米列強にそそのかされたとはどこにも書いていない。確かに、朝鮮半島に関しては663年の白村江の戦い、1592年及び1597年の朝鮮出兵、1873年の征韓論などがあり、日本が朝鮮半島を侵略しようとする意図は古くから継続して見られていた。日本には日本なりに日清戦争を行う理由がないわけではなかった。

 しかし、日清戦争の前の日本が、イギリスを無視して日清戦争を始めることができたとは思われない。イギリスはアヘン戦争後に清国に利権を持っていたし、明治維新以降、日本はイギリスに頭が上がらなかったはずなのだから。

 

 そう思って探してみたらやっぱりありました。「イギリスへ協力する条件として、陸奥は条約改正を提案」「清に利権を持っていたイギリスでしたが、ロシアの清進出に危機感を募らせていました。」(「陸奥宗光はなぜ条約改正できたのか?領事裁判権と治外法権の違いも説明」2019.8.3歴史上の人物.com)

 つまり、日本がイギリスと結んでいた不平等条約の改正と日清戦争とは、交換条件だったことになる。そして、日清戦争におけるイギリス側の目的は、ロシアのアジア進出を防ぐためだったことも理解できる。

 日清戦争は、ほぼ日本の完勝だったが、これは日本軍が強かったというよりも、清国が弱過ぎるためだったようだ。清国の軍隊、あるいは政治体制はまだ近代化されておらず、勝負にならなかったらしい。ここでも、日本が強かったのではなく、相手が弱かったのが勝因だった。

 さて、日清戦争後、ロシアが一段と勢力を東アジアに伸ばしてきて、日本はイギリスとの関係を深めていく。1902年には日英同盟が締結され、1904年に日露戦争が始まる。日露戦争において、日本は全面的にイギリスのバックアップを受けた。だから勝つことができた。

 例えば、日本海軍の旗艦であった最新鋭の戦艦「三笠」はイギリス製だった。当時の日本円で約1200万円、国家予算の4%だったという。日本の現在の国家予算を300兆円とすると12兆円に相当する。アメリカの原子力空母よりもはるかに高価だ。これによってイギリスは大変な利益を上げたが、しかし、日本は単に軍艦を買っただけではなく、陰に陽にイギリスの支援を受けている。それがなければ、日露戦争に勝利することは不可能だった。

 日露戦争には一応勝ったことになってはいるが、完勝ではなかった。確かにバルチック艦隊は殲滅したものの、大陸の陸上戦は日本が不利であり、何より兵力も武器弾薬も底を尽き、戦争を続けることが難しいような状態にまでなった。そこで、英米の強力な外交力がフルに発揮されて、何とか有利な条件で戦争を終わらせてもらったというのが日露戦争の実態になる。

 つまり、日露戦争というものは、英米の力を借りて勝たせてもらった戦争であり、日本軍が強かったのではない。もちろん、現在のウクライナは英米をバックにつけても負けたから、そういう意味では日本はウクライナよりは強かったことになるが、自分たちの力で勝ったと思うのは間違いになる。そして、日露戦争で一番儲かったのはイギリスになる。

 時は流れて、大東亜戦争(日米戦争)が起きる。ここで、日本は日本軍がいかに弱いかを知ることになる。どれだけ大本営発表でごまかそうとしても、すっかりバレてしまったというか、化けの皮が剥がれてしまった。日本軍は弱い。

 日本軍の弱さの原因はアメリカとは正反対になる。アメリカは上述のように、戦意・士気の乏しさを物量でカバーする戦い方をする。日本はその正反対であり、物量の乏しさを戦意・士気で補おうとする。これは大東亜戦争を少し知っている人であれば痛感することだろう。

 日本にはとにかく物がない。食料もなければ、兵器、武器、弾薬、燃料などもない。また生産力も乏しく、すぐには補充がきかない。ゆえに、精神論が幅を利かせてくる。「精神一到何事かならざらん」というわけだ。

・進め一億火の玉だ
・切り詰めて 米英陣を突き崩せ
・一億抜刀 米英打倒
・心磨けば 皇国が光る
・出せ 三千年の底力
・燈管・防火・防毒で・日本の空は鉄壁だ!
・一寸待て 捨てる紙屑もう一度
・勝ち抜く戦費に 負けるな貯蓄
・不平言ふまい 三度の食事
・もう一段 暮しを下げて もう一艦

 ああ、日本は何という貧乏な国だろうか。強調されるのは精神論ばかりだ。なにしろ、竹槍で戦うという話が真面目に持ち上がるくらい日本には物(武器弾薬燃料食料など)がなかった。

 竹槍で戦争に勝てないのは小学生にでも分かる。しかし、総理大臣にも、日本軍の大将にもそれが分からない。というか、分かりたくない。分かりたくないのは戦争をしたいからで、戦争をしたいから本来はできない戦争をしてしまう。そして、物がないから精神・気力で頑張れと無茶振りをする。それが日本軍の戦い方になる。ひどいものだ。弱くて当たり前。

 私は、現在でも何かにつけて、日本には旧日本軍の悪しき伝統が脈々と息づいていることを感じ取る。サラリーマンとして働いていたときも、人間関係や仕事の進め方で、いかにも日本人らしい貧乏根性に突き当たった。他にも、原発の維持管理や爆発後の処理の仕方についても、まるで融通の利かない、硬直した対応が目立った。

 そして、今年の能登半島地震。日本政府は海外には腐るほどの資金援助をしておきながら、日本国内に対しては金も物も人も出そうとしなかった。その冷たさは、武器も食料も補給せずに、精神論を強調して死ぬまで戦わせようとする旧日本軍そのままだ。ゾッとする。

 そして、そんな日本が現在突きつけられている問題は、英米が応援をするから中国と戦え、そして日露戦争のように勝利しろというものではないかと私はひそかに疑っている。あんな男が総理大臣をしていると何を始めるか分かったものではない。日本に未来はあるだろうか。