この世ではいろいろなことが起きるのだけれど、生きている限り自分の身の振り方は自分で考えなければならない。その時々で生じる問題に対して、何を基準にどのように考えて判断したらいいか、自分の選択が全てであり、その結果は重大な事態を招くこともある。

 「そんなことが簡単に判断できたら、人生苦労はないよね」ということになるけれど、それゆえ、人は悩み、考え、苦しむといってもいいように思う。しかし、この点において私は、「日本人って、ホントひでえよな」と思う。アメリカ人もひどい連中だけれども、日本人は輪をかけてひどい。さすが、いつまでもアメリカの属国に甘んじているだけのことはあると思ってしまう。与党・野党、右翼・左翼の別なく、ごく一部の例外を除いてこぞって駄目みたいだ。

 そこまでは簡単なことであるけれど、では日本人のどこがどのように駄目であるのかを考えるのは難しい。けれども、そこを探っていかないことには、いつまでも2流国から抜け出せないことになる。私くらいの老人になれば大きな支障はないけれど、若い人はそれでは困るよね。先人のせいで自分たちに苦労が降りかかってくるようでは。

 大東亜戦争の敗戦なんて、今生きている日本人は全員腹を立ててもいいと思うな。「一体なんてことをしてくれたんだ、そのせいで日本はいまだにアメリカの属国から抜け出せないではないか」とね。まあ、でも、今の日本人が賢いわけでもないから、あまり先人のことを責めようとする気持ちにはならないのかな。

 私がこのブログを熱心に書き始めるようになったのは、新型コロナの問題があったためだけれど、それにしてもひどかったねえ。「日本人総狂い」というような状態になってしまった。そこまで馬鹿馬鹿しいことをよくできるものだというくらいに発狂してしまった。それも、総理大臣以下の日本政府、学者、医者、マスメディア、しまいにはノーベル賞学者まで狂ってしまった。上がそれだけ狂えば、下もそれ以上に狂う。私など、小樽市長選挙の投票所で、マスクをしていないからとストップをかけられたからね。マスクをしないのは非国民だから選挙権がないってことだよね。

 その頃の日本がいかに狂気に支配されていたかは、少し冷静な人ならば、山のようにたくさんの事実を指摘できるのではないかと思う。見ようによっては笑い話のようなものだけれど、それを大の大人が真面目な顔をして行っていたのだから、笑うに笑えない状態だった。経済的な損害を受けた人も多かっただろう。

 しかも、それは今でも続いていることであり、日本政府は自分たちの誤りを決して認めようとしない。引き続きワクチンを推奨して被害を広げている。医者もひどいものだ。もちろん真実に気がついた医者もいるけれど、いまだにワクチン打て、マスクしろなどと、祈祷師顔負けのような医者もたくさんいる。医者の質の低さときたら政治家以上だ。

 それで、話は最初に戻るけれども、一体日本人は何を考えてそこまで馬鹿馬鹿しいことを真面目な顔をしてできるのだろうか。これを考えることは難しくて、新型コロナ狂躁が始まって以来、私のテーマになっている。

 ある種の信仰なのだろうか、同調圧力なのだろうか、いじめ社会のせいだろうか、独裁政治なのだろうか、流行なのだろうか、マインド・コントロールなのだろうか、集団ヒステリーなのだろうか、民度や知能が低いのだろうか、奴隷根性のせいなのだろうか、思考回路が貧弱なのだろうか、などなどいろいろ考えては自分で否定し、また考えるということを繰り返してきた。

 それで、今回は「日本人は勝ち馬に乗ろうとする」のではないかと考えてみる。勝ち馬に乗るとは、「有利な方につく。勝った方に味方して便乗する。勝負事に勝った人、事業などで成功した者、力のある人の側について恩恵を受ける。」という意味になる。(デジタル大辞泉(小学館))

  "勝ち馬に乗る" という観点は、かなり日本人の本質に近づいているかもしれない。つまり、新型コロナやワクチンの問題に限らず、日本人は何かにつけて勝ち馬に乗りたがる人が8割くらいはいそうな気がする。

 勝ち馬に乗ろうとすると、物事の本質を見極めようとしなくなるのだろうなあ。どちらが勝ちそうか、あるいは勝ちを収めたかばかりを気にする。その原因や理由はどうでもよくなり、ひたすら勝負の行方というか、勝勢ばかりを気にするようになる。

 まるで競馬で馬券を買おうとする人のようだ。馬券を買うのは自分の金だから、それなりには考え、検討する。競馬新聞を買ったり、テレビの解説者の話を聞いたりして熱心に予想する。

 ところが、その分析というのはお話にならないくらいに表面的なものでしかない。ある馬の調子がいいか悪いかなどは、調教師にしか分からないだろう。馬と騎手の相性もあるだろうし、走らせ方にもよるだろう。そのような肝腎なことを無視して勝手な期待だけで馬券を買うから、競馬は賭博であるとされる。

 もちろん自分の金を失いたくはないから、明らかに実力差があると思えるような馬には買いが集中する。ガチガチの堅いレースになる。その結果払戻金は少なくなるけれど、まれには番狂わせが起きて、万馬券を当てたと狂喜する人も出てくる。

 今回の新型コロナ騒動に狂った日本人は、まるで馬券を買う人と同じだったと思う。つまり、勝ち馬に乗ろうとした。新型コロナで勝ち馬に乗るとは何かといえば、コロナは怖いと騒いで、マスクをしたり、消毒をしたり、三密を避けたりなどの、数々の対策をすることだった。そして、極め付けがワクチン接種になる。

 なぜそれらのことを日本人は勝ち馬だと判断したのだろうか。それは競馬の予想程度のもので何の根拠もないのだが、政府が推奨するから、医者が打てというから、アメリカの製薬会社が製造した最新のワクチンだから程度のことで決めてしまった。

 確かに、政府や、医者や、学者や、マスメディアが推奨する、アメリカ開発の最新ワクチンとなれば、圧倒的な勝ち馬に見えるのも無理はない。対抗馬は名もない医者であったり、専門家ではない素人だったりしたのだから、勝負ははっきりしていているように感じられた。ガチガチに堅いレースのはずだった。

 これは、ロシア・ウクライナ紛争でも同じだった。ウクライナは弱くても、バックにはアメリカを始めとするNATO諸国が控えている。よもや負ける心配はないというのが、競馬の予想屋レベルの判断だった。しかし、結果は全く違って、アメリカ・NATO・ウクライナ連合が負けてしまった。博打気分で判断しようとするからそういうことになる。

 日本人はどうしてそうなのだろうか。やはり歴史の問題だろうか。日本人という民族はもともとがそうなのかもしれない。今から400年以上前の戦国時代は、下克上といわれるように、ルールも、正義もなしに、ただただ "勝った方が勝ち" というだけだったようにも見える。

 明治維新もそうだね。「勝てば官軍、負ければ賊軍」といわれているから。結果だけしか見ようとせず、理由も、妥当性も、正義も日本人は検討しようとしない。それは、大東亜戦争の敗戦にもいえることで、アメリカが勝った途端に日本人はほぼ全国民が日本を捨てて勝ち馬であるアメリカに乗った。愛国心も節操も皆無だけれど、それは "勝ち馬に乗る" という大原則があるためと考えると分かりやすい。それ以外のことはどうでもいいことらしい。

 

 考えてみれば、そもそも日本という国の成り立ちが、中国(隋や唐)という勝ち馬に乗ったところから始まったといえるかもしれない。そう考えると、根の深い問題になる。

 

 現在裏金問題が騒がれている自民党も考えているのは勝ち馬に乗ることのみ。第一は選挙で勝つことで、勝てばそれで万事解決と考える。何のために勝つのかということすら考えない。あるべき姿がどうであるのかなど、どうでもいいことらしい。"要するに勝ち馬に乗ればいいのだろう" と、国会議員でありながら次々と違法行為に手を染め、馬になってくれる者たちに金をばらまいた。その結果が現在のような見苦しい醜態になる。彼らの顔を見てごらん。「だって、勝つためにはしかたないじゃないか」と書いてある。

 医者にしても同じことだね。あの人たちは機を見るに敏な人たちだ。だから、勝ち馬に乗ろうとして医者になった。それだけなんだな。医者になってどうするべきかなど考えたことがない。中身カラッポ。そして、コロナ騒動に関しても、勝ち馬に乗ろうとして意味のない対策を国民に勧め、ワクチンを打ちまくった。勝ち馬に乗ろうとするあまりに、医学のことも患者の命のこともどうでもいいことになってしまう。

 そんなのが日本人だけれども、世の中は面白いもので「盛者必衰」なんだよね。あれだけ常勝だった勝ち馬のアメリカが衰えてきて、勝ち馬とはいえなくなってきた。そうすると、アメリカが勝ち馬であることを前提として、それに便乗して生きてきた自民党政権は歯車が狂ってきた。

 この先アメリカは世界の中で相対的に衰退していく。それは、アメリカがどのようにあがいたところで避けることのできない既定路線になる。国の数でも、人口でも、経済力でも、軍事力でも、アメリカ及び西側先進諸国と呼ばれている国々は、BRICSやグローバルサウスと呼ばれる、非米諸国に劣るようになってきた。

 そこを何とか挽回しようと、苦し紛れにデタラメをやり始めたのが現在のアメリカであり、非米諸国はますますアメリカと距離を置いて結束を強め始めた。つらいね、日本は。勝ち馬に乗ることしか能のないのが日本であり、アメリカという勝ち馬乗ることしか考えてこなかったために、変わっていく時代に対応することができない。

 よって、何もしないまま、従前どおり、前例どおりにダラダラと時間を潰すのみになっている。大東亜戦争敗戦前の日本みたいなもので、勝ち目がないことは誰の目から見ても明らかなのに、誰一人として日本全体のことを考えられず、敗戦処理すら満足にできない。今の日本政府はそのような状態にある。

 国民も国民で、勝ち馬に乗ることにしか目を向けないから、考え直すことができない。自分の身の回りで強そうなものといえば、やはり日本政府であり、医者であり、アメリカであるからと、マスメディアから流されるプロパガンダを無抵抗で受け入れる。

 この先、仮に中国がアメリカに勝ったとすると、今まで中国を毛嫌いしていた日本人も、勝ち馬に乗ろうとして手の平を返したように「中国は素晴らしい」「中国を見習うべきだ」などと言い始め、日本は中国一色になるのだろうなあ。敗戦後一夜にして "鬼畜米英" だったはずのアメリカ一色になったように。そこまで軽薄な存在が日本人であると考えていいように思う。情けない。

 どうして日本人はもう少し大人になることができないのだろうか。勝ち馬に乗ろうとして乗れている間は平和かもしれないけれど、「おごれる者も久しからず」であることを知るべきだよね。勝ち馬がいつまでも勝ち続けるなどあり得ない。

 そして、大切なことは勝ち馬に乗ることではなく、尻馬に乗ることでもなく、自分の力で走ることであり、自分の力で勝つことなんだよね。日本人は、老若男女を問わず、あまりにも自主独立の精神に欠けている。人間としての矜持が低すぎる。

 そんな日本人が、まずしなければならないことは、嘘をやめること、隠蔽しないこと、真実を語ることになる。今やアメリカも日本も、頭の天辺から足の爪先まで嘘だらけになっている。それが否定されるべきなのは、道徳的な意味合いからばかりではない。最終的に嘘というものは弱くて、真実に負けてしまうものであるからだ。

 真実は強くてね。いつでも、誰の前にも、その姿を見せている。素直で理性的な人間にはそれがいつも見えるから迷うことがない。それに比べて、嘘は私欲のためにその真実を都合のいいように歪めたものだから、矛盾を含み、一貫性がなく、人の心が変わると変化する。

 今回のワクチンも嘘だらけだから、10年かかるか30年かかるか分からないけれど、最後には必ずバレてしまい、真実が勝利を収めることになる。

 日本人は勝ち馬に乗ろうとすることにしか興味を持たない。つまり、目先の打算だけで生きようとする。物事の本質がどこにあるのか、長い目で見てどのように評価されるのか、人間として正しいことなのか、どうあるべきなのか、人々が幸せになれるのか、そんな広い視野を持って考えることが必要だ。今の自民党のようにごまかし、ごまかしで追っていくようでは成功はおぼつかない。誰も幸せになれない。


 今回の表題は「愛は勝つ」(KAN)から思いついた。