このブログでしばしば書いているように、欧米は嘘ばかりついている。嘘をついて相手を騙すのは何といっても手間が省けるというか、苦労が少ないというか、損害も少ないというか、メリットがたくさんある。武力、軍事力で相手を制圧しようとすれば、金もかかれば、大掛かりな準備も必要になり、かつ、自分たちの損害も並大抵のものではなくなる。下手をすると逆に自分たちの方が負けてしまう。

 その点、嘘で相手を騙して思いどおりに操ることは、効果としては武力や軍事力で相手を制圧するのと同様でありながら、それほど金もかからず、準備も簡単で、人的・物的損害が少ない。うまくいかないようであれば簡単に中止ないしは休止できる。それゆえ、欧米はまず嘘(プロパガンダ)を使って侵略しようとする。

 きっと楽しいのだろうと思う。私はあまり嘘をつかない方だけれど、それでも若い頃は魚釣りが好きだった。考えてみれば魚釣りだって、嘘で魚を騙しているようなものだから、嘘をついて利益を得ること自体に人間は罪悪感を感じることはないようだ。大物を釣り上げたときはとびきり嬉しかったから。

 卑近な例を挙げればゴキブリもそうかな。「ゴキブリホイホイ」なんて罠でゴキブリを騙して捕まえ、ゴミに出して殺してしまう。その結果何を感じるかといえば、「ああ、スッキリした」くらいのもの。

 しかし、騙す相手が人間となってくると、しかも略奪をしたり殺したりするようになってくると、いくら何でもそれはないだろうという気がしてくる。人間同士でそんなことを始めると、それはいってみれば "共食い" であって、共食いというのは自己否定になってしまうからだ。

 それゆえ、欧米人は人種差別や民族差別、その他何かにつけて利用する相手を自分たちの仲間ではない、別物だとみなしたがる。今回イスラエルがガザのパレスチナ人に対してジェノサイドを行っているけれども、イスラエルのヨアフ・ガラント国防相は、敵対するパレスチナ人を "ヒト型動物" と表現したそうだ。

 そうやって、人を人と思わないようにすることで、大量虐殺を行っても「ああ、スッキリした」という感情に持っていけることになる。日本人もかつてアメリカから、原子爆弾や東京大空襲でのジェノサイドをされて、「ああ、スッキリした」と思われた側であって、将来的にもそのようなことが起きないとも限らない。

 ということで、今回のお題「女、子供、老人を矢面に」に入って行こうと思う。前回は「女の一生」ということで、成り上がりの女性の危険性を描いてみた。難しかったなあ。80歳くらいにもなればもう少し枯れた味を出しながら書けるようになるのかな。まだ若すぎると感じてしまった。他人から見ればもう十分に爺さんなのだけれど。

 女性をあれこれ記述するのは難しいけれど、今回は、成り上がりの女性を利用している側について考えてみたい。その前に、前回名前は出したけれども、一切触れなかった小池百合子のことを書いてみる。小池百合子という人、考えてみると全く正体が知られていないように感じる。つまり、背後関係が一切分からない。文春砲が炸裂していないところを見ると、CIAとつながっているのかな。

 CIAについて私は全くの無知で、何一つ情報を持っていない。でも、小池百合子については、あまりに怪しすぎて並の存在ではないように感じる。よく知られているのは学籍詐称で、公にされることはないのだろうけれど、カイロ大学卒業が真っ赤な嘘だという主張には頷けるところがある。

 政治家になってからの出世は物の見事にとんとん拍子で、とても自分一人でマネージメントしていたとは考えられない。党を渡り歩き、派閥を渡り歩きながらも大臣を歴任していたけれど、第1時安倍内閣の防衛大臣となってからの、守屋武昌事務次官とのバトルは目を引いた。何の前触れもなく突然事務次官にクビを言い渡したらしい。

 その足で小池百合子は訪米し、防衛大臣としては異例のチェイニー副大統領、アーミテージ元国務副長官、ゲーツ国防長官、ライス国務長官という大物4人と会談したという。おそらくこの時点ですでに、小池百合子はアメリカに支えられ、アメリカに忠誠を尽くす日本の政治家としての地位が固まっていたのだろう。

 そのことは、新型コロナ騒動でフルに発揮される。まあ、実に見事だった。安倍元総理の存在がかすむくらいに、コロナ騒動を煽りに煽った。三密、ソーシャルディスタンス、ロックダウン、ステイホームなど、聞き慣れない言葉を連発して自分のペースに持ち込んだ。まるで小池百合子劇場であり、総理大臣として日本に君臨しているかのようだった。彼女の人生の絶頂期だったに違いない。

 私は当時何も知らなかったから、口をぽかんと開けながら小池都知事の言うことを聞いていたものだ。そのうちアレッ?と思ったのは、小池百合子の言うことと、ビル・ゲイツの言うことが全く同じだったことだ。今考えてみると、小池百合子はファウチなどとも繋がっていたのだろう。もちろんその背後にはより大物のアメリカ政治家がいたはずだ。

 小池百合子の話はそのくらいにして、欧米の「女、子供、老人を矢面に」する戦略について書いてみよう。「人間の盾」という言葉がある。「交戦中、軍事目標の内部または周囲に民間人(主として女性や乳幼児、病人、高齢者などの非戦闘員)がいることを相手側に知らせ、以って攻撃を思いとどまらせようとすること。」(航空軍事用語辞典)という意味だそうだ。

 よくまあ、そんなことを考え出すものだ。戦争中に敵の兵隊を殺そうとして、銃や大砲を撃ち合っているときに、ふと気がつくと狙っているところに「女性や乳幼児、病人、高齢者」がいたら、普通の人であれば戸惑う。できれば殺したくないと思う。
 
 そうやって時間稼ぎをしている間に、攻撃の準備をしたり、防御を強くしたり、逃げ出したりしようとする。もちろん、人間の盾に使われる人たちがどうなろうと知ったことではない。ロシア・ウクライナ紛争でウクライナが人間の盾を使い、イスラエル・ハマス戦争では、ハマスの人間の盾を完全に無視してイスラエルが攻撃して多数殺したようだ。

 というように、人間の盾は戦争の行方を左右するほどの影響力があるものではないけれど、それでも、一瞬ひるむ、攻撃の手が緩むという効果はありそうだ。

 この人間の盾を政治に転用したようなことを欧米はしきりにやりたがる。政敵からの攻撃の手を緩め、同情を集め、自陣営を売り込もうとしてのことになる。一番有名なのはスウェーデンのグレタ・トゥーンベリかな。女子芸人の環境活動家といえるような人で、15歳の時に国連で演説するなどしている。

 女の子となれば、誰も正面から攻撃したいとは思わない。「よちよち、いい子だね」で終わらせたいと思う。そこが利用する側としては狙い目で、過激なことを言わせて自分たちのペースに巻き込もうとする。

 もっと劇的なものに、1990年の「ナイラ証言」がある。ナイラという15歳の少女がアメリカの人権委員会で、「イラク軍兵士がクウェートの病院から保育器に入った新生児を取り出して放置し、死に至らしめた」とその経緯を涙ながらに語ったというものだ。この証言によってアメリカ国民のイラク憎しの世論が盛り上がり、アメリカは湾岸戦争に踏み込んでいくことになった。

 ところが後に調べてみると、ナイラなどという少女は存在しなかった。証言した少女はアメリカ大使の娘であり、反イラク扇動キャンペーンのための、まるっきり捏造されたプロパガンダであったことが判明する。しかし、戦争被害を取り戻せるはずもない。アメリカという国はそこまでひどい嘘をつくという好例になる。

 使うのは女の子が一番効果的なのだろう。男の子では、人々の感情を揺さぶるような演技ができないというか、嘘はつけないだろうから。その点、グレタ・トゥーンベリにしても、ナイラにしても、迫真の演技を見せたのは女の子ならではだろう。

 少女の次に効果的なのが女性になる。女の人同士だと騙されることは少ないのかもしれないけれど、男はアホだから完璧に騙される。私など、小池百合子が防衛大臣をしていたときには、なんて美人なのだろうと "ポケーッ" として見ていたものだ。男なんてそんなものだよね。基本的になぜか女性を信じるようにできている。

 それが狙い目で、ビクトリア・ヌーランド、ヒラリー・クリントン、ナンシー・ペロシ、小池百合子、上川陽子などに対しては、男ではできないような大胆なこと、残酷なことなどをさせようとする。女の人がしたことであれば、世間は男と比べると優しく、甘い反応を見せることが分かってのことだ。

 その次に使えるのが老人だろうと、私はバイデン大統領を見ていて思った。バイデンのような醜い老人を見て、あるいは頭も体もヨボヨボの老人を見て、人は近づきたいとは思わず、すぐに関係を切りたいと思う。話一つでも、満足に通じないだろうと思うから。

 バイデンはしばしば転んで見せたり、人のいないところに握手の手を差し伸べたりして、自分がモウロク爺であることを強調する。あれは作戦ではないかと私は疑っている。けがもせずに上手に転ぶからで、芸人顔負けだ。

 そんな老人は放っておかれる。無視される。それが狙いだろうと思う。裏ではしっかりパレスチナ人ジェノサイドの指示を出しているはずだが、誰もバイデンに立ち入りたくないから批判しようと思わない。これはもちろん私の想像に過ぎないけれど、可能性はあるだろうと思っている。

 その逆がトランプ元大統領。しっかり憎まれ役をするからね。少なくともその点は立派。私なども、自分がリーダーに立ったときには、女、子供、老人を先頭にしようとは思わない。自分が先頭に立つ。実際問題、現役の時はそうしてきたつもり。たいしたことはできなかったけれども。

 その点、今の自民党を見ていると滑稽だね。大臣を含めた国会議員の偉い先生たちが、何とか自分の責任を逃れようと、「知らなかった」「秘書のせい」などと言って汲々としている。重症だなあと思って見ている。そんなことだから日本は落ちぶれるばかりだ。

 政治家ばかりではなく、一人一人の日本人が常識というか、わきまえというか、道理というか、自覚というか、そんなものを持てるようにならない限り、日本という国が立ち直ることはできないように思う。日本には武士道があり、西洋には騎士道があったはずだけれど、そもそもそんなものは存在していなかったのだろうか。それとも廃れてしまったのだろうか。