皆様明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 新年ではあるけれども、暗雲立ちこめる世界情勢、悲惨な日本の政治、経済、医療という現状がある。政治も経済も医療もそれぞれが利権に走るばかりで、今年も明るい見通しを持つことはできないように感じる。総理大臣を筆頭にして全くやる気がないからね、今の日本人は。

 なんて書いていたら、新年早々震度7の能登半島地震、羽田空港でのJAL機接触炎上事故と天災や大事故が続く。弱り目に祟り目、岸田政権では仕方がないのかもしれない。これが奈良時代の昔なら、呪われているということで政権は倒され、遷都までもしたところだろう。

 などということは、今年も追々書いていくことにして、今回は宮沢賢治の童話「注文の多い料理店」を話のネタにすることに(前々回の記事でリクエストをいただきまして、それに乗ります)。宮沢賢治は1896年〈明治29年〉に出生し、1933年〈昭和8年〉に37歳という若さで亡くなっている。死因は肺炎らしい。全体的なイメージとしてとっても不思議な人に感じる。

 岩手県花巻市の生まれ育ちで、盛岡中学、盛岡高等農林学校を卒業した。結婚はしておらず、法華経の熱心な信者だったそうだ。東京に行くなどしていろいろ活動はしていたが、精神的にも身体的にも、安住の地を見つけることができないままに亡くなったように思える。東北の人にはそういう人が多いのだろうか。石川啄木も、太宰治も安住の地がなかったような気がする。

 「雨ニモマケズ」は私の大好きな作品。病死を覚悟していたときに書かれたようだけれど、読むと心が洗われるような気持ちになる。これをそっくり真似をして生きるのがいいとは思わないけれど、せめてその精神を少しは理解してはどうかと思う、政治家も、財界人も、医者も、マスメディアも。しかし、「きみい、雨ニモマケズじゃ腹の足しにはならんよ。青いね(嘲笑)」なんてふうに権力者も金持ちもしたり顔で言いそうだ。だから駄目なんですよ、今の日本人は。

 さて、「注文の多い料理店」はとっても奇妙な童話。青空文庫ですぐに読むことができて、短編なので読み終えるまでの時間もわずか。以下、ざっとこの童話の内容をご紹介してみる。

 

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 東京から鉄砲を担いで山奥に狩にやってきた若い2人の紳士が主人公。しかしちっとも獲物を見つけることができず、そうしているうちに道に迷ってしまい、猟師のガイドとははぐれ、東京から連れてきた猟犬2匹も死んでしまう。

 寒いし、腹も減ってきたし、どうしたものかと困っていると、山の中であるにもかかわらず、「山猫軒」という立派な西洋料理店に行き当たる。入って行くと、いろいろな注意書きというか、指示等がドアなどに書かれている。「肥ったお方や若いお方は、大歓迎いたします」「当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください」から始まって、鉄砲を置け、帽子と外套をとれ、金属類を外せ、クリームを顔や手足に塗れ、香水を振りかけろ、塩をもみ込め、など。

 2人の紳士は最初のうちは、客からの注文が多くて繁盛している店なのだろう、作法が厳しいのだろう、偉い人が集まる店に違いない、細かいところまでよく気がつくなどと、好意的に、ないしは自分たちの都合のいいように考えて指示に従っていた。

 しかし最後に、「塩をからだ中によくもみ込んでください。」との指示を読む段になってやっとおかしいと気がつく。そう、この店は客に料理を出す店ではなく、やってきた客を料理して食べてしまう店であると。

 2人の紳士は気づきはしたものの、為す術もなく震えて泣き出してしまう。しかし、その時、死んだと思っていた2匹の猟犬が吠えながらやってくる。そして、料理店にいた何者かを追いかける。ハッと気がつくと料理店は消えうせ、2人の持ち物は木の枝にかかったり、根もとに散らばったりしてた。

 はぐれてしまったガイドの猟師もやってきた。2人の紳士は無事に東京に帰ることができた。ただし、クリームを塗ったあとに恐怖のあまりにくしゃくしゃの紙屑のようになった顔は、元には戻らなかった。

 

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 出版されたのが1924年なので、今からちょうど100年ほど前になる。宮沢賢治はこの物語の発想をどこから得たのだろう。似たような民話でもあるのだろうか。テーマは "騙す" ことだから、100年前の日本も騙し・騙されが多かったのだろうか。とすると、大人しそうな顔はしていても、昔から日本人というのは油断ならない民族だったことになる。

 騙し・騙されといえば、「オレオレ詐欺」なんていうのもあるけれど、最近世界を舞台にした超巨大ペテン、超巨大いかさまに新型コロナ騒動があった。宮沢賢治の「注文の多い料理店」を読んでいると、自然に新型コロナ騒動のことが連想されてしまう。

 新型コロナ騒動は、驚くべきことに単なる風邪を道具にして人々の恐怖を煽った。その荒唐無稽さは信じられないくらいだけれども、「注文の多い料理店」では、2人の紳士が道に迷って困るところから始まる。一見自然なような気がするけれども、話の最後で死んだはずの犬がやってきたり、料理店が消え失せてしまうことから、この2人は最初の時点で既に化かされていた、あるいは催眠術にでもかけられていた、そんな感じがする。すっかり騙されて「新型コロナ怖い」と騒ぎ始めた多くの日本人と同じだ。

 2人が「困った、困った」「どうしていいか分からない」というときに、都合よく西洋料理店が出現する。「コロナ怖い」と騙されたあとに、都合よくワクチンが登場するのと同じ筋書きになる。そして、多くの日本人がワクチンに飛びついたのと同様に、この2人も喜び勇んで西洋料理店に入っていく。

 ここで傑作なのは、この西洋料理店が次々と2人に対して注文をつける、つまり要求を突きつけることだ。私の感覚だと、人を騙そうとするのであればあれしろ、これしろなどと言わず、できるだけうまい話だけを吹き込んで穏便に、波風立たないように事を運びそうなものだけれど、そのようなストーリーにはなっていない。

 ここで私は、「振り込め詐欺」を思い出す。おいしいことを言って金を騙し取るだけではなく、わざわざATMのあるところまで行かせて、被害者にATMを操作させて金を振り込ませる。図々しいにも程があるのだが、ひょっとするとこの図々しさも手口の一部かもしれない。

 というのも、指示を出してそれを実行させることは、それだけで主従関係が生じるからだ。お願いをしようが脅そうが、一方の指示のとおりに行動することは、その場の支配権を片方が握ったことになる。振り込め詐欺の犯人はそれを利用して、自分の支配権を強める方向であれこれ指示を出すのだろう。被害者の方はその分犯人の支配から逃れにくくなる。

 新型コロナ用ワクチンでも、そのようなことがたくさん行われた。まずは、ワクチンの予約から始まったのかな。あんな使い物にならない不良品が、もったいをつけて各国政府に高値で売りつけられた。政府が共犯でないとすれば、それだけで政府のワクチン会社に対する立場は弱くなる。まるで「売っていただく」という雰囲気になってしまった。検査はPCRを使え、マスク、パーティション、ソーシャルディスタンス、営業禁止なども要求された。

 その他にも数多くの注文がつけられた。マイナス70℃で保管しろとか、解凍後は5日間で使い切れとか、1回目接種後3週間後に2回目を打て、などの注文がついた。今となってみれば、感染を防ぐこともできなければ、重症化予防にもならないワクチンなど、ゴミ箱に捨てるのが一番良かった。そこをさもさも貴重品であり、腫れ物に触るような配慮が必要であると指示された。

 日本人は真面目の上に馬鹿がつくような民族だから、たかが風邪のワクチンを後生大事に取り扱った。そうやって取り扱いながら、ワクチン接種の片棒を担ぎ、自分を参加させ、飲み込まれていった。政治家も、官僚も、医者も、マスメディアも。

 そのような意味では、医者が一番やられたのかもしれない。「ああやって打て」「こうやっては打つな」などいろいろ注文がつけられ、それをお利口さん医師ほど忠実に守っているうちに、知らず知らずのうちにワクチン推進の一派に組み込まれていった。医者も被害者といえば被害者の部分もある。ただし、医師を名乗っている以上はそれでは失格だ。お粗末すぎる。日本の多くの医師には医師としての資格、あるいは実力が事実上ない。

 「注文の多い料理店」では、騙される人間が2人であることも興味深い。つまり、集団で騙される。人間は、騙されるにしても、騙されないにしても、1人で決めて1人で実行するというのは心細いものだ。集団になることで気が大きくなり、大胆になる。1人であれば、もっと早く不安になって引き返したかもしれないが、2人いるがゆえに進んでいった。

 これに対してはすでにいい言葉があって、「赤信号みんなで渡れば怖くない」になる。なんでも、ツービート(ビートたけしとビートきよし)の漫才で登場した言葉だそうだ。ふ〜ん。新型コロナ用ワクチンではこのことも大いに利用された。人を騙すのには大勢一緒の方がはるかに効率がいいということが分かった。集団詐欺、集団ペテンといっていい。最終的に日本人の8割が毒ワクチンを接種したという。

 さて、「注文の多い料理店」では、死んだと思っていた猟犬が突如現われることによって、被害者の2人が救われる。考えてみれば、この若い紳士2人はハンティングをしに山奥にやってきただけで、特に悪いことをしていたのではない。それが何の脈絡もなく被害者になってしまう。これもワクチンの被害者と同じだ。

 ただし、コロナ用ワクチンではいまだに犬が飛び込んできて、助けてくれるようなことにはなっていない。これだけ善悪がはっきりしていて、膨大な被害の生じていることに対し、政治家も、官僚も、医者も、マスメディアも、ごく少数の者を除いて基本的には知らん顔をしている。それどころか、日本ではこの先ワクチン政策が推進される方向に動いている。

 すっかり悪人が支配するようになってしまった日本。この先どこに向かって行くのだろうか。童話のように一挙に解決とは行かないどころか、今以上に悲惨な事態が起きても不思議ではない。

 そうそう、私が「注文の多い料理店」を "予言の書" と感じたのは、最終的に2人の紳士に後遺症が残ったことだ。「くしゃくしゃの紙屑のようになった顔は元には戻らなかった」というから、それじゃまるでワクチン後遺症だと思ったわけ。日本という国では、そういうことが起きても不思議はないのかもしれない。100年前の童話に書かれているくらいなのだから。

 こんな調子ででたらめをしていると、そのうち、地震や事故どころではなく、それこそ "日本沈没" になるかもしれない。というのはいくら何でも神懸かりすぎているけれども。そういえば、筒井康隆の短編に「日本以外全部沈没」(1974)というのがあった。小松左京の「日本沈没」をパロディ化したもので、あのような短編を笑いながら読んでいられた時代が懐かしい。