今回は何を書いたのか分からないような記事になったので、「余談・放談」で。💦

 

 小樽も雪が積もって、完全に冬になりました。25日は天気予報どおりに最高気温がマイナス2.5 ℃という真冬日になり、雪も多いときには積雪が15cm位にまでなった。どうせ外れるだろうとバカにしていた天気予報がなぜかピッタリ。当たるときもあるってことだね。フフ。

 いよいよ本格的な冬到来といえなくもないけれど、といってもまだほんの序の口。今日(27日)は暖かいし、明日はもっと暖かいようだから雪は全部解けるかな。でも、30日にはまた真冬日になる予定。そうやって寒暖を繰り返しながら冬が深まっていき、私の体感では冬の盛りは1月中旬から下旬にかけて。その時期は天候も荒れ、JRや飛行機のダイヤが乱れがちなので要注意。

 赤字続きのJR北海道は、もうすっかりやる気を失っている。切り捨てたのが、時間短縮化と定時運行。おそらく国鉄の時代は至上命題だったのではないかと思うけれど、どうやら10分20分のために赤字を増やすことは意味がないと考えるようになったようだ。札幌ー函館間の特急列車など低速化して、かつてよりも40分以上時間がかかるようになっている。「そのうち新幹線も来るし、いいんじゃない?」といったところかな。とはいえ、新幹線が来たって、その新幹線も大赤字になるのだろうし、どうするのだろう。まあ、そのことで揉める頃に私は死んでるだろうから、直接は関係ないけれど。

 ところで、私のパソコンに昭和38年(1963年)の紅白歌合戦の動画がある。今から60年も前のものになる。翌年10月10日が東京オリンピックで日本全体が盛り上がっていたとき。視聴率も81.4%という数字が残っている。歴代最高かな。大変に懐かしくて、思わずジ〜ンとなってしまうくらい。出場者は今は亡くなった人が半分、いやもっと多いかもしれない。

 司会は宮田輝(42)と江利チエミ(26)。
 赤組トップバッターは弘田三枝子(16)、白組は田辺靖雄(18)。
 次は仲宗根美樹(19)と守屋浩(25)。守屋浩は後に本間千代子と結婚したのだねえ。8年ほどで離婚したらしい。


 その他、懐かしい人ばかりなのだけれど、アイ・ジョージ(30)などという人もいた。悪い噂があったようだけれども、現在90歳という。高石かつ枝(17)もいた。紅白出場はこの年のみ。三浦洸一(35)という人もいた。折り目正しい昔の日本人という感じを受けたけれど、現在95歳になるらしい。ご立派。

 後はどんな人がいたかな。初出場の人を挙げると、弘田三枝子、田辺靖雄のほかに、あの北島三郎(27)がいた。この後50回も紅白に出ている。立川澄人(34)は昭和らしい清潔さがあったような気がするけれど、56歳で早世している。ボニージャックスも初出場、4人いたメンバーの2人が亡くなったが、グループは存続しているらしい。

 ほかには、田端義男(44)も初出場。ギターを抱えながら歌う人だったけれど、ずいぶん年をとった人だなあと、子供心に思いながら見ていた。あと、畠山みどり(24)。村田英雄(34)を女にしたようなイメージ。北海道稚内市出身、士別高校卒だそうな。全然知らなかった。

 倍賞千恵子(22)も初出場。ウィキペディアには当時のカラー写真が載っているけれど、その若さに驚く。寅さんの映画を見すぎているせいかな。こりゃ「さくら」じゃなくてマドンナだなあ。次いで、三沢あけみ(18)。何ていうのだろうか、鉢巻のようなものをまいていた姿が頭に焼き付いている。舟木一夫(19)は今月22日の「茶飲み話」でご紹介した。

 初出場のご紹介はあと3人。梓みちよ(20)は「こんにちは赤ちゃん」を歌っていた。このときの梓みちよが私の理想的な女性イメージかな。それが大きな間違いで、以後苦労をしている。「二人でお酒を」や「メランコリー」から入れば誤解はなかったのかもしれないが、それでは結婚しなかったかもしれない。どう転んでもうまくいかないということか。

 初出場ラス前は伊東ゆかり(16)。伊東ゆかりは高校生の頃好きだったこともあり、以前に当ブログで記事を書いたことがある。この紅白の頃は16歳という若い女の子であっても、戦争の、あるいは敗戦の重みを背負いながら生きていたことが分かる。それが現在との大きな違いだね。

 初出場の最後は園まり(19)。美人ちゃんだった。でも、それほどファンでなかったのは癒やしを感じられるタイプではなかったせいだろうか。

 こうやって紹介して行くと切りがないので、あと2人。紅組のトリはいうまでもなく美空ひばり(26)。大スター。実は私は美空ひばりが嫌い。理由は男らしすぎるから。ということは女性ファンが多かったのだろうなあ。もちろん男らしいというのは見た目の雰囲気だけで、内面など知る由もない。ただ、とっても女らしい島倉千代子(25)と比べると、私が近寄って行きたくなるのは島倉千代子になる。

 大トリは三波春夫(40)。新潟県長岡市あたりの出身なんだね。"歌謡曲の衣装に初めて和服を使用した男性歌手"だそう。なるほど。私など、三波春夫の声は今でも頭の中で響かせることができるくらい焼き付いている。時代を作った人だったなあ。

 こうやって、60年も前の日本人を見ると、やっぱり今とは違った感じを受ける。どこが違うのだろうか。印象としては、"真面目でひたむき、純粋な人たち"というところかな。安心できる人たちで、とっても好感が持てる。

 敗戦から18年たっていたけれども、まだその影響が日本人全体に残っていたのかもしれない。傲慢さというか、尊大さというか、高慢というか、不遜というか、そのような雰囲気が出場者全員にほとんど感じられない。老人にも若者にも、デマ太郎のような生意気さが一切ない。

 自虐史観といわれるような、過度に自分を貶めるような認識を持つべきではないけれども、かといって、自国民を殺して平然としている現在の日本政府のような面の皮の厚さもどうかと思う。

 "真面目でひたむき、純粋な人たち"ということから連想するのは、職人かな。日本人はその多くが職人気質なのかもしれない。職人気質とは「自分の技能を信じて誇りとし、納得できるまで念入りに仕事をする実直な性質。」(デジタル大辞泉)とある。私なども、能力的に及ばないところは多々あるけれども、そういうのが大好きだ。

 今でも、日本そして日本人の長所、美点とされているところには、そのような職人気質が生きているように思う。しかし、そこにアメリカ文化が入り込んできて、日本文化と融合するならまだしも、侵し始めたことから日本は狂ってきた。

 アメリカには、真面目とか、良心とか、誠実とか、そういうものは一切ないからね。騙して殺すのが平気というか、得意というか、喜びというか、そんな連中が集まっている。そのようなすれっからしに、"真面目でひたむき、純粋な人たち"である日本人が交わったのが、明治維新以降の日本になる。はっきりいって勝負にならなかった。

 もちろん日本人も"うぶなネンネ"のままということではなく、それなりに狡さを身につけては来ている。しかし、米英は狡さにかけては本家本元、百戦錬磨の筋金入りだ。日本は歯が立たないままにコテンコテンにやられ続けて現在に至る。

 一番の悲劇は、政治家をはじめ日本人の多くが米英に騙され、操られ、身ぐるみはがされ、殺されるような酷い目に遭っているという認識のないことで、これ以上ないくらい米英の思う壺にははまっている。アメリカの手先になって日本を売り渡している政治家も少なくない。しかし、多くの日本人は気がつかないのだから当然対策も立たない。

 期待はロシア、中国、インド、イランなどの国になる。彼らは米英の手口の汚さをこれ以上ないくらいに知っている。気付いてしまえば、そうそう簡単に騙されるようなことはなくなる。勝負に勝てるかどうかは分からないけれども、米英の嘘に簡単に騙されるようなことはもうないだろう。

 そうやって考えると、今後は日本がいかにアメリカ離れをするかが最大の課題になる。だがしかし、上に書いたように、職人気質が多い日本人は嘘を見抜けない。これは職人の世界では嘘が通用せず、特に職人同士では嘘をついてもすぐ見破られてしまうためかな。口で何といおうと、腕(仕事ぶり)を見れば一目瞭然だからね。だから日本人は全体に嘘を嫌い、嘘をつかない習慣ができてきた。

 

そこまではいいのだけれど、みんなが嘘をつかないものだから、嘘に慣れておらず、騙されても気付かないということが起きるようになった。そんなところに、嘘や騙しが大得意なアメリカがやってきたのだから、もう為す術がなかったね。今に至ってもさほど改善されていない。

 私の場合にどのように嘘を見破っているかといえば、それは論理を使うことかな。嘘というのは必ずどこかで辻褄が合わなくなる。論理的な思考をする人はそこで気がつく。職人気質の日本人でも、論理に強い人なら心配ないのだけれど、職人には論理を嫌う人も多い。「理屈を言うな、体で覚えろ」などの感じかな。あるいは「理屈を覚えるのではなく、コツを覚えろ」というところかな。

 野球の解説者でも、野村監督や広岡監督のように論理の好きな人もいたけれど、「ここでエラーはいけません」「この場面、絶対に抑えたいですね」「ここはヒットが1本ほしいところです」などと、素人以下のことを言う人も多かった。野球がうまい下手とはまた別問題だった。残念なことに、日本人には野村監督や広岡監督のような人が他国に比べて少ない。

 まあ、難しいね。日本には1500年もの歴史があってその上でこうなのだから、100年や200年でどうにかなるということでもないのだろう。日本にふさわしい立ち位置は、準先進国、2流国というところなのかな。しかし、たとえ2流国であっても、アメリカにむざむざと騙されっぱなし、殺されっぱなしということは避けられるはずだ。やはり、まずは気がつくことだろうか。そして、気がつくだけなら何とかできるかもしれない。もっともアメリカは気付かせまいと必死になってプロパガンダを強めてきているから、やっぱり難しいのかな。