実は今回の記事は「伊藤貫氏の矛盾」という表題にしようと思っていた。というのも、どう考えても伊藤貫氏の論が矛盾しているように感じていたからだ。

 どこがどのように矛盾していたかを説明してみよう。まず、伊藤貫氏はアメリカが大変に悪徳な国であると主張する。そのことは、現在でもYouTubeにアップされている伊藤貫氏のいろいろな動画を視聴すると、誰にでも理解できるように思う。大変に分かりやすく、論理的で、具体例も用いて説明してくれるので説得力がある。アメリカの極悪非道ぶりがよく分かる。

 その一方で伊藤貫氏は、
1 アメリカは現実問題としては日本を守ってくれない。日本を守るために核の打ち合いをするつもりなどは全くない。
2 日本は核保有国3か国(中国、ロシア、北朝鮮)に周りを囲まれている。アメリカの助けを得られない日本は無力であり、それゆえ、日本は核武装をすることが必要である。そうでないと日本は遠からずして中国の属国にされる。

などと主張していたと私は受け止めている。

 上の「1」については私も全く同意見である。アメリカはプロパガンダの国だ。兵器一つとっても、実用性は二の次、三の次で、いかに相手をひるませるかに力点を置く。実用性でいえばロシアの兵器のほうが優秀であることは、今回のロシア・ウクライナ紛争で分かったように思う。

 これは、アメリカの社会システムが生んだ欠陥でもあるように思う。アメリカでは兵器一つとっても、いかにアメリカ政府、つまり、アメリカ国防総省・アメリカ軍に採用してもらうかが最重要課題になる。そのためには自社の兵器が他社よりも勝っていることを印象付けなければならない。

 そうすると、素人でも分かるような人目を引くような派手な性能を謳い文句にしようとする。武器で一番大切なことは、おそらく故障しないことや確実性だと思われるけれども、それでは売りになりにくい。どうでもいいような付帯機能をたくさん示すことや、実戦では使いにくくても高性能を見せて歓心を買おうとする。しかしそのようなことでは本当の意味で優れた武器は作れない。

 話がそれた。そんなプロパガンダの国アメリカは、日本への原爆投下によってデモンストレーションを行い世界中を怖がらせたが、では現実問題として今後も核兵器を使うかといえば、おそらくアメリカ本土を核攻撃でもされない限り核兵器を使うことはないだろう。アメリカの武器は核兵器に限らず、その本質はコケ脅しをするためのものだからだ。

 アメリカは段違いで世界一軍事力を保持していると周囲に思い込ませることによって、外交で相手をひるませ、要求を飲ませてきた。また、アメリカは常時といっていいほど戦争をしてきた国になるが、それも、世界一野蛮で恐ろしい国がアメリカであることを見せつける意味合いがある。

 そうやって、特に1991年のソ連崩壊後は我が物顔で振る舞ってきたのがアメリカであり、日本人が分かるようにいえば柄の悪いヤクザそっくりだ。これまで世界の国々は用心棒代や縄張り使用料を渋々アメリカに支払ってきた。一部は見せしめのために虐殺されてもきた。他国が嫌がるようなことを次々と行い、怖がらせることで利益を得ようとするアメリカは、反社会的といったらいいのか、反世界的とでもいうのか。

 そのような手の込んだことをしてアメリカが手にしてきたものは、自国の利益になる。そうやって金を、つまり富を独り占めしてきた。動機はそこにある。そこから考えても、アメリカが多大な損害を被ってまでも、同盟国のために犠牲を払うかといえばそんなことは絶対にありえない。

 次に「2」について考えてみる。日本は核兵器を持たず、隣国の中国、ロシア、北朝鮮は核兵器を持っている。そのような状況下で、アメリカの支援がないと、日本は中国、ロシア、北朝鮮から核の恫喝をされて、彼らの属国になるしか方法がなくなるのだろうか。

 いや、違う。世の中はそのような単純なものではない。大体において、核保有国は世界に8か国しかない(イスラエルを含めると9か国)。圧倒的に多くの国は核兵器を保有していない。ならば、核兵器を持たない国々は、核兵器のある国の属国にされて、嫌なことを無理強いされているのだろうか。

 日本は間違いなくアメリカの属国をしている。ドイツもそうかもしれない。しかし、世界の多くの国は、核兵器を持っていないからといって理不尽な扱いに甘んじているようなことはない。これは当然といえば当然のことで、核兵器は神ではないからだ。核兵器がなくても生きる道はいくらでもある。

 日本人には日本史上における戦国時代の記憶が残っているようで、武力信奉が強い。しかし、武力や軍事力というものは世の中を構成する一要素に過ぎない。武力信奉に似たようなものに学歴信奉や資格信奉がある。日本人は全体として単細胞のところがあり、つまり社会の複雑さを理解したがらないところがあり、東大卒や医師免許を信奉して疑わない。

 確かにそれらは使いようによっては大変に有利に働くものではあるのだけれども、では、学歴が低く、資格・免許を持たず、家柄や後ろ盾などを持たない人たちは悲惨な人生を送らなければならないかというと、そんなことはない。これといったアドバンテージを持たない人であっても立派な人はいくらでもいる。

 その反対に、学歴が高く、資格を持ち、地位があり、家柄が良く、資産家でありながら、全く無能という人も少なくない。最近の新型コロナ騒動やロシア・ウクライナ紛争では、そのような人たちの多くが真実に立脚した正しい主張をすることができず、そろって討ち死にという様相を見せた。

 もう一つ例を挙げよう。アメリカは中国を敵視している。日本人の中にも中国を嫌う人は多い。尖閣問題もある。しかも、中国は核保有国であり、日本には核兵器がない。となると、日本はいつも中国にいじめられて、おっかなびっくり国家運営をしているのだろうか。

 そうではないはずだ。というのも、日本の貿易相手国を見ると、輸出額においては2009年から、輸入額においては2002年から、中国が日本の最大の相手国になっているからだ。貿易における日本の一番のお得意様はアメリカではなく、ダントツで中国になっている。もちろんアメリカがテコ入れしてくれているので、日中貿易が成立しているということでもない。

 さらに現実を見れば、今回のロシア・ウクライナ紛争は、核兵器を持っているロシアと、核兵器のないウクライナとの戦いだった。では、ロシアはウクライナに対して核兵器を使用して、10分間で勝利を得たのだろうか。

 可能か不可能かといえば可能だったはずだ。しかし、ロシアは核兵器を使わなかった。いろいろなことを考えると、たとえ戦争になったとしても核兵器は簡単に使えるものではない。むしろ、核兵器を使う選択は非現実的であるとさえいえる。

 例えば、現在イスラエルがガザで核兵器を使ったらどうなるだろうか。滅びるのはパレスチナ国ではなく、イスラエルになるだろう。核兵器があるから強い、核兵器があるからしたいようにできる、核兵器があるから安心などというものではない。

 ぐちゃぐちゃと書いてしまったが、要するに核兵器は国が生き延びるための唯一の方法ではなく、大切なことは核兵器の有無よりも、国家としての総合戦略であるといえる。悲しいことに、現在のアメリカを中心とした欧米諸国は、その総合戦略においてBRICS等に見劣りするようになってしまった。力によって、あるいは恐怖によって世界を支配しようとしても、それは「I am OK, you are OK.」の世界に敗れてしまう。

 以上を踏まえて、改めて伊藤貫氏の話を振り返ると、現在の世界で飛び抜けて極悪非道であり、凶暴な国はアメリカになる。つまり、核兵器を使うとすれば、その可能性が一番高いのはアメリカといえる。世界のいくつかの国が核武装をしているのは、実質的にはアメリカからの核攻撃を避けるためだ。

 中国や、ロシアや、北朝鮮が日本に核攻撃をしても何のメリットもないが、アメリカからの核攻撃を防ぐことには有効であり、親米国以外の核武装はそのためのものであるといっていい。

 日本も同様であると私は思う。今後日本に核攻撃を仕掛けてくる国があるとすれば、その可能性が一番高いのはアメリカになる。前科があるばかりではない。国の姿勢として、構えとして、価値観として、核兵器を使うことに一番親和している国がアメリカだからだ。それだけ凶悪・凶暴・危険な国がアメリカであり、他の国はそこまでではない。

 よって、伊藤貫氏が従前述べていたような論で考えると、核武装をしないと遠からず中国の属国になるということはそれほど心配なことではなく、心配すべきは何かのはずみで日本がアメリカからの核攻撃を、再度受けることであるように思える。仮に日本に核武装が必要であるとすれば、それはアメリカから独立するため、あるいはアメリカから日本を守るためであるはずだ。

 そのあたりが私の伊藤貫氏の論から感じる矛盾になるのだけれども、今月の13日新しいYouTube動画が公開された。「【イスラエル・ハマス戦争状態③】日本のこれから|伊藤貫×室伏謙一」というもので、前回当ブログでご紹介したのがpart2であり、これはその続編、part3になる。

 ここで伊藤貫氏はこれまでとは違った論を展開したので驚いたのだけれども、私としては嬉しくもあり、その内容については次回ご紹介したい。