どうも私は「金と権力」が気になるらしく、これまで金と権力を表題に用いた記事を4回書いている。内容はすっかり忘れている。

1 医者は金と権力の亡者(2020-11-26 )
2 目的は「金と権力」(2022-02-17)
3 金と権力(2022-07-08)
4 金と権力(2023-05-16)


 私自身は金と権力とはほぼ無縁の、しがないサラリーマン生活を送ってきた。しかも色男でもないという、いってみれば三重苦を背負っているような人間になる。なぜここで"色男"が飛び出すかといえば、「色男金と力はなかりけり」という川柳があるからだ。

 高校時代には夏目漱石に親しんだけれども、夏目漱石は金満実業家や権力者を嫌い、かつ軽蔑していた。そのような思想は日本や東洋においてはことさら珍しいものではないと感じられる。例えば小乗仏教においては"解脱"を最高の境地とする。"悟り"と言い換えてもいい。

 それは「煩悩の束縛から解きはなたれて自主的自由を得ること」(デジタル大辞泉)であるという。また、「インド思想一般において、解脱は、現世、迷いの世界、輪廻(りんね)などの苦しみから解き放された理想的な心の境地と考えられ、この解脱を得ることが人生最大の目的とされた。」(日本大百科全書(ニッポニカ))とある。どこまでも欲望を追い求める西洋思想とは大きく違う点になる。

 私は実家の宗教が曹洞宗でもあり、若い頃から解脱には関心があったが、「金と権力」を得たいと考えたことはなかった。むしろ金と権力を得たいと考えることやそのために行動することは卑しいことであるという頭があった。今でもそう感じている。

 しかし、「言うは易く行うは難し」の言葉のように、解脱を頭に置きながらも政治家や実業家や医者になって威張り散らし、妾の一人二人持てるくらいの身分になったら、どんなに気分がいいことだろうと思わないわけでもない。とはいえ、そこは凡人の悲しさ。とてもではないがそれだけの甲斐性はなく、進む道は解脱方向しか見えない。

 そんなことを考えている昔は若かったはずの私も、すっかり老人になって旧時代の遺物と化してきた。今の若い人はそんな事は考えないのかもしれない。その代表例が、時代の最先端を進む岸田文雄総理になる。今年の3月、中学生から「なぜ首相を目指したのか」と問われ、「日本の社会で一番権限の大きい人なので」と答えたという。(「岸田首相「日本で一番権限大きい人なので首相目指した」 中学生の質問に」2023.3.11 FNNプライムオンライン)

 驚くなあ、こりゃ旧時代の遺物どころか世紀の愚物だね。人間、馬鹿になろうと思ったところで、ここまでの馬鹿にはなかなかなれるものではない。一体岸田総理はどこの国の人なのだろうか。日本人でないことだけは確かだ。東洋思想全てを投げ棄てている。

 日本で一番の権力を身に付けてどうしたいのかといえば、この記事には「やりたいと思うことを実現する、やめてほしいと思うことをやめてもらう」とダメ押しが書いてある。LGBT法案を民主主義のルールに逆らってまで何の説明もなく成立させる、国民が嫌がる実質的な増税を何の説明もなく次から次へと行う、ウクライナに対して支援を行って戦争を長引かせる。

 どうやらそんなことが、岸田総理のやりたいと思うことらしい。基本的な価値観が歪んでいる。人間として必要な知識や教養が欠落している。どうしてそんな人間になってしまったのだろうか。

 一つは、色男であることを指摘できる。上で書いた「色男金と力はなかりけり」の色男になる。安倍元総理がこんなことを言っていた。 「【安倍晋三】安倍元総理の同期で一番の男前は○○。一番人柄がいいのは○○」(2022.07.08 岩田温の切り抜き部屋)

 岸田総理が色男であるのはいいとして、では、金と力はどうなのだろうか。岸田総理の父は東大法学部から通商産業省のエリート官僚となり、52歳で退官後衆議院議員に5回当選している。その地盤を受け継いだのが、父親よりは出来の悪い岸田文雄現総理であり、何の苦労もなく衆議院議員当選10回を数えている。

 また、岸田総理の祖父正記も不動産業と百貨店の経営者であり、衆議院議員に昭和3年から7回当選している。岸田文雄総理は三世議員になる。

 岸田総理の妻である裕子夫人は、これまた地元の旧家・資産家の娘であるらしい。(「岸田裕子夫人の実家は地元で有名な資産家?広島屈指っぷりがスゴイ」2023.4.19 テテヨカ)


 こうやって、岸田総理の家系などを見ていると、安倍元総理ほどではないものの、金も力も生まれながらにして備わっていたことが分かる。私のような、どこの馬の骨かわからないような者とは、雲泥の差があるというか、比較すること自体がおこがましい。

 しかし、世の中うまく行かないもので、あるいは考えようによってはよく出来たもので、色男に金と力という、すべてが揃っている岸田総理には、能力が欠けている。人格も低い。なるほど色男に金と力を与えるとこんなことになるのかという飛び切りの見本になっており、頭の天辺から足のつま先まで全部がすっかりバカ殿として出来上がっている。

 ジョン・スチュアート・ミルは「満足した豚であるより、不満足な人間である方がよく、満足した馬鹿であるより不満足なソクラテスである方がよい。」と記したという。私は岸田総理が満足した豚であるなどと、そんな失礼なことを言うつもりは全くないが、満足した馬鹿であるとは思っている。

 "艱難汝を玉にす(かんなんなんじをたまにす)"という言葉がある。「人は困難に直面し、苦しみ悩みながら克服していくことでりっぱな人間になっていく。」(ことわざを知る辞典)という意味になる。元々はフランスのことわざであり、「Vent au visage rend l’homme sage」(顔に当たる風が人を賢くする)から派生した言葉だという。

 岸田総理の場合は生まれてこの方あまりにも順風満帆であり、何の苦労もなく総理大臣にまでなってしまった残念な人としか考えられない。言葉の軽さ、嘘の多さ、共感性の乏しさ、理解力の不足、協調性のなさ、貧乏人に対する冷たさ、庶民感覚のなさ、強い者への媚びへつらい、クルクル変わる方針など、苦労人の対極にいる人といえる。

 しかしまあ、岸田総理一人を責めるのは酷というものかもしれない。岸田総理が一人で総理大臣になったのではなく、選んだ人がいるのだからその者たちにも責任がある。それは国民ではない。ほとんどの日本国民は、総理を選ぶことに関与していない。

 では、岸田総理を選んだのは誰か。それは自民党になる。そこにおいて、若手議員はともかくとして、多くの自民党議員は岸田総理がこれ以上ないくらいのアホであることをよく知っていたはずだ。よく知っていて自民党総裁に選んだ。

 これが何を意味するかといえば、自民党には岸田総理以上の人材がすでにいなくなっているか、あるいは、岸田総理の無能力さを自民党が見抜けなかったのかのどちらかだろう。いずれにしたところで、現在の自民党は政権担当能力を失っている。

 と、ここまでは何の戸惑いもなく書き進めることができたけれども、問題は多くの日本人、多くの日本国民になる。そこで私は考えあぐねる。なにしろ、80%が新型コロナ用殺人ワクチンを打つという無自覚低能の国民である。子を見れば親が分かる、親を見れば子が分かる。同様に総理大臣を見れば国民が分かり、国民を見れば総理大臣が分かる。この因果を断ち切ることは難しい。

※近場の温泉で一泊してきます。1回お休みして次回は12日頃にアップします。よろしくお願いします。😊