これを書いているのは6月6日(火)。今日の小樽の最高気温は23.0℃ (13:09)、最低気温は10.4℃ (01:44)、今朝6時の天候は晴れ、東北東の風1.5m/h。天気予報だと今日夕方に小雨、明日も昼間は雨、明後日は一日中晴れ。

 今日は家庭菜園で植え込みをしてきた。私はナスの係なので、ナスの周りに支柱を立ててその周りをビニールで囲うようにした。しかし、これがなかなかうまくいかない。去年と同じ調子でやるつもりがなぜか思うようにならない。不思議だなあ。おまけに、バランスを崩して転んでしまい、せっかく立てた支柱を倒して折ってしまった。あいちゃま。

 ほぼ引き籠もりのような生活をしているから、あまりに慣れないことをして頭も体も付いて行けないといったところだね。ナスの苗は昨日ホーマックというホームセンターに買いに行った。1本217円で、4本で868円。家庭菜園でナスが採れ始める頃はスーパーでもナスが大安売り。868円も買ったらどれだけたくさんの量になるか分からないくらい。でもこれでも、売っている苗の中では一番安い苗。

 ガソリン代もかかるし、肥料だ、ビニールだ、支柱だ、ヒモだ、鋏だ、カッターだなどなど、そう考えると、家庭菜園もコストパフォーマンスは悪いのだけれど、そこはそれ。きれいな空気と、山間の景色と、蝉の鳴き声と、土と水と、これ以上ない新鮮な野菜と。そして、頭と体の老化防止。とっても幸せ、ということにしておこう。

 私は毎朝、9時くらいが多いかな、コーヒーを一杯飲む。210CCくらいだろうか。自家焙煎の豆を今は手挽きのコーヒーミルで粉にしていれる。もうすっかり習慣化しているせいだと思うのだけれど、飲んでもこれといった変化を感じられない。変化は感じられないけれども、おそらく飲まなかったら精神的にぼんやり、どんより鈍くなってしまうのだと思う。それにしても全然効かないなあ、焙煎間違っているのかなあなどとちょっと不安だった。

 ところが、この間、午後10時頃ブログを書いていて全然頭がピリッとしないものだから、コーヒーをいつもの量の3分の2くらいを飲んでみた。するとビックリ玉手箱、効くわ効くわ。目が覚めたのはもちろんだけれども、寝つけないというか、眠りに就いても熟睡できないまま朝に。つまり、毎朝飲むコーヒーは体の方が上手に対処して、さして変化を感じないようにしてくれているみたいだね。

 朝コーヒーを飲んで、何だか物足りないというときには、昼過ぎに紅茶を飲む。何の変哲もないティーバッグで。日東紅茶だったかな。50袋入りのお徳用の品。紅茶が好きということでもなく、手軽にカフェイン補給くらいのつもりなのだけれど、これを飲むとなぜか眠くなることが多い。理由は突き止めていない。眠くなれば眠ればいいという気楽な生活をしているので支障はないけれど、ちょっと不思議。

 お徳用で思い出したけれど、プリンターのインクを購入した。何日か前に印刷しようとしたら、シアンのみインク切れで、そうなると一切印刷できなくなる不親切設計。白黒でいいから印刷してほしいのだけれど、金儲けのためには顧客に迷惑とかけるという、今の日本政府のような商売を昔から続けている。あ、キヤノンのプリンターね。

 そこで、大容量タイプの5色マルチパックを購入したら、Amazonで6810円。まあ、もう慣れたけれども、いつものことながら高いね。本体のプリンターは確か1万8000円くらいで買ったと思う。それが、商売のやり方といえばやり方なのだけれど、常識からは外れている。新車を、例えばトヨタのクラウンを50万円で売るけれど、その代わり、ガソリンは1リッター1万円にするといったところかな。まるでアメリカの下品な商売そのまま。

 私が読ませていただいているブログに「よはなのブログ」というところがある。たまたま「「反戦!」シェルブールの雨傘~ ミシェル・ルグラン&羽田健太郎」という題で書かれていた。すっかり忘れていたけれど、この曲はとっても懐かしい。確か私の20歳の頃だったと思うけれど、テーマ曲の「if you go away」という歌が好きで、レコードを買って繰り返し何回も聞いたものだった。

 ダスティ・スプリングフィールドが有名だけれど、当時のは私は別の女性歌手のほうが好きで、でもそれが誰だったかちょっと探してみたけれど見つけられなかった。代わりにこれあたりがいいかなというのを見つけた。「シェルブールの雨傘」(Nicki Parrott )。明日の朝のコーヒーはこれを聞きながら。ふふ。

 それにしても、音楽もいいけれど、あの頃のフランス映画は良かったね。美しく見せることを考えながら撮影している。「シェルブールの雨傘(Les Parapluies de Cherbourg)」は1964年の映画。
カトリーヌ・ドヌーヴがきれいだったなあ。「男と女(Un homme et une femme 1966)」なんてのも、やっぱり音楽がいいし、映像もきれいだし、フランス映画だよね、やっぱり。

 それに比べてアメリカ映画の下品なこと。高校から大学時代にかけてフランス映画を何本か見ていた私が、最初にアメリカの超大作物を見たのが「タワーリング・インフェルノ(The Towering Inferno 1974)」 なんとも粗雑で粗野で、幼稚だねえ。以後アメリカ映画の超大作が映画界を席巻することになったけれども、私は映画から遠ざかることになった。

 アメリカ映画ってたった一つのことしか言っていないように感じる。それは"どうだ、すげえだろ"ということ。アメリカ人ってそれだけなんだよね。それを見せつければ他人が、あるいは世界がひれ伏すものだと思っている。脳内筋肉の単細胞。欠けているものは"美"の感覚なんだろうねえ。アメリカ人には"美"が理解ができないようだ。エロは理解できるみたいだけれど。野蛮人だからそもそも"美"という概念を持っていないのかな。だから日本の政治家とは相性がいいのかもしれない。似た者同士で。

 この3年余の間、新型コロナ騒動や、政治家、学者、医者、一般国民の言動をゆっくり見せてもらうことができた。たまたま退職して年金暮らしとなり、かといって頭も体も特に悪いところはないという状態だったから、幸運だったというか、不運だったというか。というのも、見ることのできたものは"美"どころか極めて醜悪なものだったから。

 新型コロナが騒がれてしばらくの間、私は、新型コロナが騒ぐほどの疾病ではなく、ワクチンはベネフィットよりもリスクの方が大きいことを理解することで、騒ぎは自然に消滅するものと思っていた。しかし、それは大きな間違いだったことに最近気がついてきて、ちょっと愕然としている。

 新型コロナが恐ろしい病気ではなく、ワクチンは百害あって一利なしであることを日本人に理解させることは、1000年前の人に、地球は丸い(球形)こと、地球は自転していること、地球は太陽の周りを回っていることなどを理解させようとするのに等しい。ちょっとやそっとじゃ無理なんだよね。多分あきらめた方がいいくらいだ。

 だから、コロナは恐い、ワクチンで助かると思っている人に対して、いくら丁寧に理由を説明しても納得させることはできない。おそらく、古今東西を問わず、多くの人々の理解力、思考力、知識などというものはその程度のものらしい。人間というものは、当たり前のことを、当たり前に理解できない人の方が多いと思わなければならない。

 医者や厚生労働省の役人になると、一般人よりは理解している人が増える。しかし、それとて一般人の10%が理解しているとすれば、医者や役人だと20%くらいになる程度のものだろう。だからこそ、日本は世界で一番ワクチンをたくさん打つ国になってしまった。

 欧米は日本よりいいようだけれども、それが欧米人の賢さの証明ということでもないのだろう。欧米人は、アメリカの製薬会社(ビッグファーマ)が新しく開発したワクチンであることや、ビル・ゲイツが資本家として発言権を持っていることを知っている。そして、かねてより、ビッグファーマやビル・ゲイツがあくどい商売をしているという知識も持っていた。欧米ではどちらも極悪であることが有名だからね。だから端から信用しない人たちも多かった。

 そこにいくと日本はガラパゴスで、日本政府も公明党もビル・ゲイツと大の仲良しらしい。日本政府はビル・ゲイツに勲章を渡し、ビル・ゲイツは公明党に感謝状を渡したという。日本政府の方は安倍元総理の行ったことだけれど、ビル・ゲイツに騙されたんだろうねえ。所詮役者が違う。ビル・ゲイツは世界を股にかけている大悪党なのだから。

 公明党の方は、おそらく情報を得ていないのだろうなあ。軽はずみに人気取りに走ったか、人助けと思ったか。しかし、信者をたくさん抱えているのだから、もう少し慎重にしてほしいように思う。ワクチンの害を主張していれば、今頃信者たちから称賛の嵐だったと思うよ。あ、余計なお世話か。

 ということで、コロナが無害な感染症であることを理解すること、ワクチンがベネフィットよりもリスクの方が大きいことを理解することは、多くの日本人にとって大変に難しいことで、ほとんどあきらめた方がいいくらいなのだけれど、それでも、敵は今後も同じようなことを繰り返して金を巻き上げようと狙っている。さすがに、この先2回も3回も騙されるのは考えてしまうよね。

 既に結果が出ているのだから、それを見てほしいものだと思う。新型コロナに感染して亡くなった人というのは、微々たるものでしかなく、そのほとんどは深刻な持病のあった人になる。ワクチンも、当初の触れ込みとは大違いで、打てば打つほど新型コロナに感染しやすくなる。副作用で死人もたくさん出る。そのような結果はもうはっきり出ているのだから、それを見ることが大切なんだけどなあ。

 とはいえ、敵もおめおめと負けを認めるわけにはいかないから、新型コロナの性質やワクチンの効果について、紛らわしい情報を出したり、隠蔽したりして、誤解している人の誤解をそのままにしておこうとしている。ファイザー社やモデルナ社に宣伝を許しているようだけれど、それって、かつてのオウム真理教のCMをテレビで流しているのと同じだからね。

 さらに総理大臣を始めとして政府、与野党、医者、マスコミが徒党を組んでいるものだから、まあ、いくら真実を訴えたところで、浸透していくことはない。この先、30年も50年もかかって、すこしずつ真実に気がつく人が増えていくのを待つという経過になるのだろう。

 ただし、欧米が真実を暴露することを私は少し期待している。マスクがそうだったね。欧米が外しているのを見て、日本は渋々ながらも腰を上げた。逆にいうと欧米が外さなければ日本は絶対に外さない。日本の後進性というのはそんなところにも表れる。

 ワクチンについても、欧米がスッキリ決着をつけてくれるとありがたい。彼らは日本人のようにうやむやにすることを好まないから。とはいえ、さすがにワクチンは犯罪としての規模が大きすぎるゆえに、欧米も時間がかかるだろう。まあ、私が生きている間は無理だろうとあきらめてはいる。それでも、真実というものは例え小さな芽であっても力を秘めている。真実に蓋をするのはそう簡単なことではない。少しずつでもいいから、その蓋が開いていってほしいものだと願っている。