この3年間あまり、日本では一体何が起きているのかとずいぶん考えてきた。そして、今日の段階でたどり着いたのが、日本は"天皇式全体主義"国家であるという考え方になる。
まずは全体主義から説明してみよう。「精選版 日本国語大辞典」に分かりやすく書いてある。それによれば全体主義とは"個人は全体(国家、民族、階級など)の構成部分として初めて存在意義があると考え、国家権力が個人の私生活にまで干渉したり統制を加えたりする体制、あるいはそれを是認する思想。"とある。
全体主義の特徴がよく表現されている。そしてこれは、私とは正反対の考え方になる。この説明から考えると私は個人主義者であり、その個人主義とは、"全体(国家、民族、階級など)は個人の利益のために存在意義があると考え、国家権力は個人や個人の生活を守り、満足を与えるように尽力する体制、あるいはそれを是認する思想。"となる。
全体主義と個人主義は交わる部分もかなり多いが、そもそもの方向性が全く違う。そして、個人主義的な考え方は私の確信であり、信念でもある。人は、いや全ての動植物は、子を守り、育てるために存在している。その結果として国ができる。先に国があるのではない。それが真理であるはずだ。
このように考えると、私がマスクやワクチン接種に反対する理由が自分でもよく分かる。マスクやワクチン接種は全体主義的な政策だからだ。マスクについては「他の人が不安になる」「マナーである」などといわれた。全体主義そのものだ。ワクチンに関しても同様で、「老人を守る」「大切な人のために」などと宣伝された。全体主義的な考え方になる。
そして驚くべきことに、日本人は全体主義が大好きだ。そのように勧められてマスクをほぼ100%が使用し、ワクチンは80%が接種した。いずれも科学的に全く意味のないどころか害悪の大きな政策だったが、全体主義好きの日本人は一も二もなく従った。日本人はすっかり全体主義に馴染んでいる。馴染んでいるということは、日本は既に全体主義社会になっていると考えた方がいい。そう、日本は北朝鮮の親戚になっている。
まあ、つべこべ考えるまでもなく、ほぼ100%がマスクをかけて歩いている姿を見れば一目瞭然なのだけれどね。私は「これじゃまるで北朝鮮だなあ」と思いながら見ていたから。そして、全体主義などやっているから、いつまでたっても日本人の民度は低いままで成長しない。周りに合わせることしか考えず、あとのことは思考停止になる。このようなお粗末な状況では、今後日本から思慮深い人が表れることを期待するのは不可能といえる。
日本が全体主義であるという指摘に加えて、今回は 頭に"天皇式"をつけてみた。これを理解するのは今の日本人には至難のことかもしれない。天皇については、つい最近当ブログで"天皇制を考える"という記事を上げた。
内容的には、日本には天皇の権威が隅々まで張り巡らされており、その目に見えない権威というもので日本人が縛られていると書いた。多くの日本人は、それがあまりにも普通のことなので自分たちではそのことに気がつかない。ちょうど自分たちが仏教徒である自覚が日本人にないのと同じだ。
「もうこれで御陀仏か」は日本語として成立している。「Oh, my God」と同じだね。私自身も、自分がどのくらい仏教徒なのか、どのくらい染まっているのか(洗脳されているのか)理解できていないが、言葉からして染まっている。異教徒が観察すれば仏教徒であることは間違いないことだろう。
天皇制については、私は多くの日本人とは違ってほとんど毒されていない。なぜそうなったのかは自分では分からない。仏教の影響のほうが強いのかもしれない。私にとって天皇は縁もゆかりも利害関係もない存在であり、精神的に何の意味も持たない。好きでもなければ嫌いでもない。ある日突然天皇家という存在が消えてしまったところで、伝統が失われてしまったことへの残念さはあっても、それ以上の感情は湧いてきそうもない。だからといってネガティブな感情を持っているのでもない。天皇が存在することに何の不満もない。私にとってはそのくらい中立的な存在が天皇だ。
しかし、多くの日本人にとってはそうはいかない。日本は天皇が法律的のどのように定義されているかに無関係に、実質的に天皇を中心として営まれている。しかも、その傾向が徐々に強化されてきている。大変に危険なことだ。
戦後、天皇を日本の中心に据えることは否定された。その否定された天皇については、戦前の日本帝国憲法を見ると理解できる。
第1条大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第2条皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
第3条天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第4条天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
以下天皇に関してだけで第17条まである。
第1条からしてフィクションだ。ひどいもので、フィクションで国を治めていたことになる。そう書くと右翼は怒るだろうが、実体のある日本という国に、あからさまなフィクションを持ち込むべきでないのは当然のことだ。
逆に考えると、日本という国はフィクションなしでは治まらなかったのだろう。これは、聖徳太子の17条の憲法からもうかがわれる。その第1条は「和をもって尊しとなし、争うことなきを宗とせよ」となっている。第1条でそのようなことを明文化する必要を感じさせるほど、日本という国はまとまりが悪く、争いの多い国だったことが分かる。日本人の仲の悪さというのは、世界的に見ても並外れている。
明治憲法の第3条を見てもそれが分かる。「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」というのだからね。最初から神聖であると定義してしまい、だから従えという。何の合理性も、正当性も、科学的根拠もなしに、勝手にそうするというだけのことだ。統治方法がかつてのテレビ時代劇「水戸黄門」と同じになっている。「この紋所が目に入らぬか」でいきなり人々を支配しようとする。理屈も何もあったものではない。
日本の支配層というのは昔も今も、統治能力が低いに違いない。例えば今回の新型コロナ対策、ワクチン接種について、安倍元総理も菅前総理も岸田総理も、満足な説明のできたためしがない。総理大臣ともなれば、本来は人々が納得できるようなことを言わなくてはならないのだがそれができない。説明できないのであれば、そのようなことを行ってはならないがそれもできない。その結果デタラメをやる。
デタラメをやろうとすると、当然納得しない者が出てくる。そこを、和をもって尊しとなすだの、万世一系だの、神聖にして侵すべからずだの、この紋所が目に入らぬかだので、無理やり押し通そうとするのが日本の支配層だ。為政者が自分の実力ではなく権威にすがろうとする。
デタラメであることは支配層も自身で承知している。それ故全体主義が必要になる。なぜなら、正しい少数派の意見を踏み潰すためには、数の力で押し切るのが一番だからだ。本末転倒なのだが、それが現実に行われている。
最初に、天皇の権威を持ち出してきて、従えと無理強いをする。天皇様の勅令だから逆らうことは許されぬと無茶なことを要求する。それでも、間違ったことはなかなか浸透しないから、やはり天皇の権威を持ち出してきて、無理やり洗脳(プロパガンダ)を行い、間違った政策を多数派にしてしまう。大東亜戦争にもそうやって突入した。野党もマスコミも全面的に協力して恥じることがない。
今でも日本は全く変わっていない。特に、安倍元総理は天皇式全体主義を加速した。安倍元総理は実のところ安倍天皇心得だった。なぜかといえば、祖父の代からの与党自民党内にある強力な後ろ盾を利用できたからだ。安倍元総理が何もしなくても、上げ膳据え膳で事が運んでいく。安倍元総理自身は神輿に担がれていればいいというのが安倍政権だった。
安倍元総理が絶対権力者だったのではない。安倍天皇心得の持っていた権威を周囲の者が利用したことで力を得た。安倍元総理が現役で総理大臣をしていたときに、誰かが政治力を使って何かをしたいと思った場合には、安倍総理に近づくことが一番の方法だった。近づいて得るものは「安倍総理のお墨付き」である。
それは天皇の権威と同じようなもので、多くの人々がそのお墨付きの前にひれ伏す。結果的には強制力のようなものだが、感じられるイメージとしては友達の輪を広げていくようなものであり、「あなたも私も、殿のご威光を利用して美味しい思いをしましょうよ」というニュアンスになる。
そうやって日本が一つにまとまってしまったものだから、史上最長・最悪の政権が続くことになってしまった。国中がそんなことをしていては、物質的にも精神的にも成長していくはずがない。結果はここ10年間の日本人と経済状況を見れば否応なく分かってしまう。
最近東京新聞にこのような記事が載せられた。"「賃金上がらず予想外」アベノミクス指南役・浜田宏一氏証言 トリクルダウン起こせず…「望ましくない方向」"(2023.3.14)
トリクルダウンとは"富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が浸透する、という考え方"らしい。当初アベノミクスはこれを狙っていたが、失敗に終わったというのが、当時内閣官房参与を務めた浜田宏一米エール大学名誉教授(87)の感想である。
なぜ失敗に終わったのだろうか。それは安倍内閣が 天皇式全体主義を推進していたからだ。身近な例を挙げれば、北朝鮮になる。以前北朝鮮の国民が飢餓状態になり、人道的支援をどのように行うかについて話題になったことがある。
なぜなら、北朝鮮に対して単純に人道支援を行っては、物資が全部権力者たちに吸い取られてしまい、飢えている北朝鮮国民に行き渡らないからだ。それでは人道支援の意味がなくなってしまう。どうしたらいいだろうということになった。
アベノミクスはこれをやってしまった。企業は儲けを溜め込むばかりで労働者に賃金として支払おうとしなかった。天皇式全体主義はそのようなものである。つまり、安倍天皇心得に近い者ほど多くの富を手に入れられるが、彼らに吸い取られてしまい、末端まで行き渡ることは決してない。しかし、利益を得られる権力者たちが強力であるために、底辺の者たちが逆らうことは許されない。現在の日本はそうなっている。
ところで、現在の欧米の状況が興味深い。あれだけ欧米の謳い文句だった"自由と民主主義"が影を潜め、全体主義を志向し始めたからだ。"あのアメリカが・・・"と信じられない気持ちになる。自由に何でもありの国だったはずが、いつの間にか国民の権利を自由に制限する国になってしまった。そして全体主義まっしぐらである。
ただし、欧米は天皇式全体主義ではなく、寡頭制(オリガーキー)全体主義だ。天皇式全体主義は、全責任を天皇に預けて側近たちがほしいままに私利私欲を満たすものだ。もちろん、側近になればなるほど意のままになる。
それに対して欧米の寡頭制全体主義は、少数の者による共同統治となる。そこには天皇とその側近というような絶対的な差はない。現在日本が欧米と接近しているのは、全体主義という共通点を接着剤としているのかもしれない。
また、欧米の寡頭制全体主義は共産主義と融合しやすい。一握りの特権階級とその他多くの貧乏人という構造の共産主義である。スーパーリッチ対一般国民と考えても良い。スーパーリッチ対しては共産主義を機能させず、大多数の一般国民が、つまり貧乏人が共産主義社会で生活することになる。
その点、日本の天皇式全体主義は、天皇だけが別格の存在となるが、あとは天皇の側近になるほど権力を行使でき、それが底辺までなだらかに続く富士山型になる。階層はあるのだが、区切りがはっきりしない構造であり、そのため日本には身分制がないとまで言い出す人が出てくる。穏やかといえるかもしれないが、ないというのは誤りだ。考えようによっては巧妙ともいえる。
現在憲法改正が検討されているというが、今回の憲法改正は日本をより全体主義の国へと変えるためのものになる。緊急事態条項は全体主義への強力なブースターになるものであり、そして、天皇を元首とする案にも、全体主義を強化しようとする意図が明確に存在している。私は全体主義を好まない。北朝鮮のような国は嫌いだからだ。
現在は欧米が全体主義化していることから、そのような方向性が打ち出されているのだろうが、日本を戦前に戻していいことなど何一つない。また大東亜戦争に突入しようとするだけのことだ。今度の敵は中国になるのだろうか。しかし、ワクチンを打ってたくさんの人が殺されても何も感じない愚鈍な日本人に、そんなことを言っても通じるはずがないかな。
