○一昨日はヨモギを摘んできて草餅を作ってみた。ヨモギを茹でたまではOK。問題はそれをすり潰す作業。我が家にはなぜかフードプロセッサーがない。仕方がないので、ミキサーに水を入れて回し、それを絞った。餅つき機もないので、ホームベーカリーを使う(もち米4合)。
○結果的には大成功。ちゃんと草餅ができた。しかし、ヨモギを入れすぎたために、まるで芳香剤を食べているのかというくらいヨモギの臭いで満ち溢れた餅となってしまった。ネットで調べてみたら毒ではないというのでまあよし。考えようによってはどこにも売っていない贅沢な一品。
○フードプロセッサーがないのには懲りて、Amazonでポチッとしてしまった。ずいぶん高い草餅になってしまった。まあ、ヨモギをペースト状にするのにばかり使用するのではないからいいことにしよう。
○さて、話は本題に移ります。といっても、今日は何がどのように本題になるかまだよく分かっていないけど・・。まあそれはそれとして、古今東西を問わず、人間というものは不思議というか、説明のつかないことをするもの。どんなことを思いつくかな。例えばピラミッド、例えば奈良の大仏、例えば月面着陸、例えば東京スカイツリー。
○それらがなぜ不思議で説明がつかないかといえば、意味がないから。あるいは必要がないから。ピラミッドって何かの意味があるのだろうか、奈良の大仏にしても、月面着陸にしても、東京スカイツリーにしても同じ。何かの役に立つのだろうか。
○なぜ意味がないと分かるのかといえば、後が続かないからかな。ピラミッドが本当に意味があって必要なものであったならば、世界中にピラミッドができたはずだよね。以下、奈良の大仏にしても、月面着陸にしても、東京スカイツリーにしても同じ。何かの役に立ったり、必要だったりするのであれば、今でも世界各地で同じものが作られ、あるいは行われているはず。
○一番分かりやすいのが月面着陸かな。アメリカのアポロ宇宙船が1969年から1972年までの間、6回にわたり人間を月面に運んだという。(実は人間は月に行っておらず、地球上で撮影された捏造であるという陰謀論もあるけど、ここでは実際に行われたものとして話を進めます。)
○必要がないことをしたものだから、1972年以降は一度も人間が月面着陸をしたことはない。当然といえば当然で、莫大な金がかかる。加えて、一歩間違えば人命が失われる。映像で流れたから記憶されている人も多いと思うけれども、1986年にはアメリカのスペースシャトルが打ち上げ直後に大爆発を起こし、乗組員7名全員が死亡している。さらには、人間が月面に行ったからといって、具体的には何も得るものがない。
○特に必要もなく、莫大な金がかかるばかりで、リスクも高いとなれば、そんなことは行われなくなる。当然というか、自然というか。その一方で、無人の人工衛星の打ち上げは現在もしきりに行われている。意味があり、必要だからね。GPS衛星、気象衛星、放送衛星、科学衛星、偵察衛星など、人間の生活に重要な役割を果たすものになっている。
○そこで、次の疑問が生じる。なぜ必要がなく、意味もないピラミッドや、奈良の大仏や、東京スカイツリーが作られ、月面着陸行われたのだろうか。同様のことは人類の歴史をたどれば数えきれないくらいたくさんあるはず。
○必要がなく意味もないと書いたけれど、それらをする人たちというのは、必要性や意味を感じたから行ったに違いない。それは一体どんな必要性、どんな意味なのだろうか。すぐ思いつくのが競争、つまり”勝つ”ということ。人間は勝つということがとにかく大好きで、大好きでたまらないようだ。勝つことが嫌いな人は私を含めて世の中にいないだろうねえ。
○あまりに常識的で当然すぎることだけれども、人々が勝つことを追い求めるのは命に関係するからかな。それだけじゃないね。金が儲かるし、威張れるし、男も女も異性にモテるし、いいことだらけ。人間、勝ち続けている限りは絶好調。何一つ問題は生じない。
○だから、人々はいかにして勝つかでしのぎを削ることになるのだけれども、これは良いことでもあり悪いことでもあるように思う。良いことは、人々が勝とうとして競争し、一所懸命に工夫し、頑張り、最善を尽くすこと。社会全体に活気が生まれるとともに、さまざまなドラマが展開される。また、目標を追求する過程において、新しい発見がなされたり、人間的な成熟が図られたりもする。
○もちろん良いことばかりではない。勝ち負けは誰にでも分かる明確な指標であり、誰もが勝者目指して殺到する。すると、競争が激しくなりすぎてしまう。例えば、アメリカ人に対して「あなたはアメリカの大統領になってみたいですか」とアンケートしたら、圧倒的多数が「YES」で答えそうだよね。しかし、アメリカの大統領のポストは1つしかない。倍率が高すぎる。
○そうすると、ズルをしてでも勝ちたいという人間がたくさん出てきてしまう。実際、アメリカの大統領選挙などは、賄賂から、替え玉投票から、票数の捏造から、殺人までなんでも行われていると思っていいだろうねえ。しかも、犯罪まで犯してこれ以上ない激烈な競争を行った結果はどうなるかといえば、勝者はたったの一人。他は全員敗者。
○そうなると、せっかくの競争も逆効果になってしまう。社会に厭世気分が生まれ、人々がやる気をなくし、あきらめ、僻み、ひねくれ、嫉妬し、被害者意識を持ち、恨み、疑い、復讐を狙うなどのネガティブな感情が蔓延してしまう。
○月面着陸が捏造であるという話が出てくるのも、あまりにも見事な勝利だったものだから、何か汚い手を使ったのではないかと疑いが生じるのは、アメリカ文明を知っていれば自然なことかもしれない。それくらい、アメリカには、嘘や捏造が横行している。そうそう、新型コロナ騒動や、ロシア・ウクライナ紛争なども、もちろん嘘とやらせと捏造だよね。
○私などは弱い人間なものだから、勝負は最初からあきらめている。勝てない競争に参加するくらい馬鹿馬鹿しいことはないと思ってしまう。勝てると分かっている勝負なら大いに参加したいところだけれど、私のために負けてくれるという人は詐欺師くらいしかいない。そんな私は「人間失格」かというとそうでもないのだから世の中は妙味がある。
○勝負をしたがらない小心者が生きる方法は何かといえば、それは生産、製作、創造といった世界に入ることのような気がする。長年しがないサラリーマン生活を続けてきただけの私が大それた哲学などを追っても意味がないが、そんな中で一つ頭にあったことは、いいものを作りたいということだった。いいものを作るということは、勝負とはかなり距離のある世界で、しかも意味があることのように思う。それなしで世界は成立しない。
○日本人は総じてそのような性質を色濃く持つ民族ではないだろうか。剣道、柔道、弓道などの武道は殺し合いを連想させる恐ろしい世界。真剣勝負をしていて、次の瞬間には自分の首が宙を飛んでいるようなところだからね。つまりこれ以上ない勝負の世界ということになる。でも、日本人はそこに道を求める。勝負の世界から離れようとする。
○茶道、書道、華道などにも道が付く。できるだけ無意味な競争を避け、生産、製作、創造といった世界を求めようとする心の働きではないかと思う。上述のように、勝負にこだわり過ぎることは弊害が大きすぎる。日本の戦国時代のように、親が子を、子が親を襲う世界になってしまう。今のアメリカのように、平気で嘘をつき、相手を騙す世界になってしまう。
○アメリカ文明は若く未熟な文明。それがゆえに単純明快で力を持つに至った。何といっても勝負へのこだわりがすごい。徹底して勝ちにこだわる。勝つためには手段を選ばない。不道徳であろうが、残酷であろうが、法律に反していようが、戦争であろうが何でもやる。
○そんなアメリカ文明を積極的に日本に招き入れたのが安倍元総理だね。勝負が好きで、自分が勝つことが好きだから。私のように食われる心配をしなくていい立場にいるものだから、門戸を大きく開放してアメリカという悪魔を呼び寄せた。貧乏生活にも無縁の人だから、貧富の差も大歓迎となる。アメリカの思うがままに日本を荒らす許可を与えた。
○安倍元総理以外にも、私が当ブログでよく名前を挙げる菅義偉、岸田文雄、河野太郎、西村康稔、小池百合子、尾身茂、8割おじさんなどは、いずれも勝負好きの人間たちだね。勝負が好きなあまりに道を外してしまう。特に河野太郎などは、いまだにデマを飛ばしていて悪びれる様子がない。他の面々も大同小異の悪人たちといったところ。
○親鸞聖人は「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」との言葉を残した。彼らはこれ以上ない悪人たちなのだから、もはや仏にすがるしかないだろうと思う。是非とも出家をお勧めする。仏門の世界も、ある意味生産を行う世界。汚れた勝負の世界から足を洗った方が、自分のためであり日本のためにもなる。小池百合子などには「尼寺へ行け」とお勧めしたい。
