○少し前に転んで何か所か傷を負ったことは書いた。中でも右手小指は擦りむいたところから血が出てそれなりに痛かった。それに対して私の対処法といえば、傷口を水道水で洗い流して、後は完全放置である。消毒薬も絆創膏も使わない。

○それに対して、どのようなことが起きているかといえば、傷が少しずつ治っていくのである。傷口が乾き、小豆色のかさぶたで覆われた。今は痒みがあり、間違って掻いてしまうと「イテッ」となるが、ここまで来るとさして気遣うこともなく、シャワーも普通に使うことができる。

○退屈な生活をしている老人だから思うことだが、人の体はずいぶん便利でうまくできているものだ。すごいと思う。フルオートで傷を修復し、元通りにしてしまうというのは、生物以外にできることではない。この仕組みを作るまで一体何億年かかったのだろうかと思う。傷を治すばかりではなく、自分を複製して増やしていく仕組みなども、生物の圧倒的な驚異である。おまけに、人間の場合はそれをすることで、「嬉しい」「気持ちいい」と感じるようにも作られている。芸が細かい。

○人間はそんな生物の仕組みに関して、その1%も理解していない。人知をはるかに超えている。私の直観では、おそらく人類はそのことを理解する前に滅亡するだろうと思う。生物を理解するためには、生物以上の存在にならなければ無理だろう。自分自身を計ることができないのは、ストップウオッチがストップウオッチを計れないのと同様である。もちろん人間は生物から脱することはできない。

○最初から話が広がり過ぎた。今日の話題は瑣末な「マスク」についてである。奇妙なものが流行したものだ。日本民族は、民族としてかなり下等な部類に入ると思っていいように思う。

○民族的な奇習で私がまず思い浮かべるのは、首長族である。すごいねえ。どう考えてもあり得ないように思う。一体何のメリットがあってあんなことするのだろうか。不思議以外の何物でもない。私の考えるところでは、おそらく首が長ければ長いほど美人なのだろうと思う。それゆえ、女性は首の長さを競ってああなったと考えるのが自然だろう。確かに首のほっそりした女の人は美しいが、だからといって物事には限度というものがある。

○似たようなものに、昔の中国の纏足がある。小さい頃から布で足を巻いて無理やり奇形にして小さくし、男性は足の小さな女性が美人でセクシーであると感じていたという。そんな足を見せられたら、私なら一瞬にして萎えてしまうが、当時の中国人男性はそうではなかったらしい。これについても、足が28cmもある女の人を見たら、私ではちょっと引くかもしれないが、小さいからといってことさら魅力的でもない。

○過去の日本で、類似したものを探そうとするとお歯黒だろうか。これも私にとっては理解不能なもので、明治末期までの既婚女性は、歯を黒くして眉を剃った(抜いた)という。そんな女性が今私の目の前に現れたら・・・逃げる。

○ただし、お歯黒についてはいくばくかの弁解もあるようで、昔は歯医者などなかったから、歯並びの矯正はもちろん、虫歯なども放置だった。そのため、ガタガタに抜けたりずれたりしている歯を目立たなくする意味合いがあったという。加えて、口腔内の悪臭・虫歯・歯周病に予防効果があったとされる。

○とすると、お歯黒は首を長くしたり、纏足にしたりするよりは若干意味があったことになるが、お歯黒の中心は既婚女性であり、男性がしていなかったことを考えると、ステータスシンボルや美容としての意味が中心だったのではないかと考えられる。お歯黒の風習をやめさせるために明治政府は明治3年に皇族・貴族に対してお歯黒禁止令を出し、完全になくなったのは昭和初期のことだというから、女性が嫌々していたことではなさそうである。化粧の一種と考えた方が腑に落ちる。

○さて、ここまでの話の流れからすると、当然のこととして「マスクは令和のお歯黒である」と言いたいのがお分かりだろう。昭和の初期に消滅したお歯黒が、100年の時を超えてマスクとして復活、再登場ということである。歴史というものは面白いものだ。また、お歯黒にいくばくかの言い訳があるように、マスクにも同程度の言い訳がある。

○マスクにしろお歯黒にしろ、その背景には隠すことを善しとする日本文化があるように思うがどうだろうか。その点は、欧米文化とは完全に逆の路線である。私なども、女の人が「イヤン」などと言ってどこかを隠したら、そこを覗き見たくなるから、確かに隠すことの効果自体は絶大である。

○日本女性の和服(着物)が典型的である。着物の着こなしは、体を棒状に見せるところが一番大切である。つまり、体の線を隠すのである。胸がないかのように、ウエストやヒップがないかのように見せる。しかも、肩から足先まで肌を完璧に隠す。男に鑑賞が許されているのは首から上のみである。

○その点、洋装は正反対である。女性は正装になればなるほど肌の露出が増え、体の線を強調する。イブニングドレスなど、ノースリーブで胸元や背中を露出させる。ウエストをキュッと絞り、胸やお尻の膨らみを大胆に見せる。足は隠すが、なんならチャイナドレスのようにスリットから覗かせてもいい。

○よくまあここまで正反対の様式が存在するものだと驚くほどの、日本の着物と西洋のイブニングドレスの違いである。ことによると、日本人と欧米人では脳の構造がどこか違っているかもしれないとまで考えたくなってしまう。

○そんな日本人に、マスクは完全にフィットしたようである。一昨日もショッピングモールを歩いてきたが、相変わらずマスクをしていないのは私1人だった。日本人総狂い状態が終わる気配がどこにも感じられない。

 

○何と情けないことだろうか。昨年の7月13日、アメリカの大リーグでオールスターゲームが行われ、大谷翔平が勝ち投手になったが、その時点で既にスタジアムは満員の観客で埋まり、マスクをしている者は見る限り1人もいなかった。その後10か月もたつというのに、この日本の後進性。これは、そのまま国力の差として表れてしまう。

 

○確かに隠すのは日本文化であるともいえるが、そこには自信欠如、消極的、否定的、拒否的、閉鎖的、内向などの傾向がうかがわれる。これらの特質は、女性であればまだ許容してもいいような気がしないでもないが、男はダメである。

 

○男もマスクをしている今の日本は女性にも責任があるように思う。女性は仮に自分がマスクをしたとしても、男にマスクをさせてはいけない。コロナに怯えてマスクをしているような男ばかりでは、間違いなく国が滅びるからだ。そんな腑抜けた男は国にとって必要がない。それにしても、日本男児はチキンばかりだ。

○日本にマスクを導入したのは間違いなく、安倍ノバカボンである。世界中に広げようとしたが、当然のこととして世界からは拒否されて、今は日本だけで残っている。過去を振り返れば、今を遡ること300年以上前、徳川綱吉の発した生類憐れみの令に匹敵する愚かで馬鹿げた政策である。安倍ノバカボンは300年に1人の「たわけ者」である。

○マスクに感染防止の効果がないことはすでに多くの研究者が指摘しているとおりである。いや、効果がないばかりではなく弊害も大きい。私も何回も書いてきたが、能力の低い未開民族である日本人には伝わらない。どうせ伝わらないとは思うが改めて思いつくところを書いてみよう。

○まず、最大の罪悪はコミュニケーションの阻害である。そこには、人間社会を混乱させようとする悪意が働いているのかもしれない。顔の表情は、人と人が意思疎通を図る上での最大の道具、インターフェースである。スマホやパソコンのディスプレイに相当する。

○マスクの好きな人は、今スマホやパソコンの画面の半分をマスクしてみるといい。顔の半分をマスクで覆うことが、コミュニケーションをいかに阻害するかが実感できるはずである。このことはおそらく、日本全体の生産性の低下に結びつく。マスクをすることで、意思疎通が円滑に運ばなくなり、余計な手間が必要とされるからだ。ただでさえ意思疎通は難しい。伝わったはずだと思ったことが伝わっていなかったり、誤解されていることがままある。マスク越しではそれに輪がかかる。

○子供に対する被害はさらに甚大なものになる。なぜなら子供は言葉でコミュニケーションを取らないからだ。言葉ではなく、顔の表情で意思疎通を図る。そこを半分マスクされてふさがれては、視野が半分になったのと同じである。日本人はただでもコミュニケーションを取るのが下手であるが、それに輪をかけた日本人が量産されることになる。国力に響いてくる。

○次に、マスクは衛生上問題がある。マスクを使用中にそこで繁殖する雑菌ときたら、便所の床並みである。せめて2時間に1回は交換したいが、そんなことをしている人はいないだろう。不潔極まりない。マスクの素材や製造過程で使われる薬品に問題があるとの指摘もされている。

○そして何よりも呼吸が苦しい。マスクをしながらランニング中に亡くなった小学生がいた。例によって日本政府お得意の「死亡との因果関係が評価できない」と有耶無耶にされたようだが、マスクの無害が証明されたわけではない。大人と違って子供には大量の酸素が必要である。その口をふさぐというのだから狂気の沙汰である。ふさぐのなら安倍ノバカボンの口をふさぐべきである。

○そもそもマスクはウイルスを防ぐ効果を期待できない上に、弊害があるのだから何のためにしているのか理解不能である。百害あって一利なしのワクチンを日本人は打ちたがるが、それと同じことである。マスクをしている者は自分の無知をさらけ出している。

○不合理で無意味なことをする社会は生き残っていけない。淘汰されてしまう。マスクをするということは、日本人全体に合理性が欠けているということである。日本人一人一人の中に合理性が育っていない。1990年代を境に日本の国力は低下する一方だが無理もない。総理大臣が迷信を押し付けようとする国が発展するはずもない。

○人間の体は素晴らしく巧妙に出来上がっている。それは冒頭に書いた傷の治り方一つを見ても十分理解できる。人知の及ぶところではない。ウイルスに対する防御手段も通常の生活が可能なくらいの人であれば、既に体の中に十分備えている。そうやって人類は何十万年も生きながらえてきた。新型コロナなど屁の河童である。マスクなど今の自衛隊に竹槍を装備するようなものである。

○そのくらいのことは日本人も見抜いてほしいものだと思う。安倍ノバカボンがなぜマスクなどという迷信を持ち出してきたのかを少しは考えてほしい。アメリカに尻尾を振っただけの、単にそれだけことである。