1 はじめに

2 大東亜戦争

3 敗戦とリアリズム

4 リアリズムの後退と新型コロナ
5 リアリズムを失った結果

6 おわりに

 

 

 


1 はじめに

○先日とあるブログのリコメントの中で、小松左京の「くだんのはは」というホラー短編小説を紹介していただいた。小松左京はもう何十年も読んでいないように思うが、若い頃には読みあさった作家である。

○すぐにAmazonからダウンロードして読んでみた。若い頃読んだ可能性はあると思うが全く覚えていない。文章はすらすらと読め、何の苦もなく頭に入ってくる。昔のなじみだったせいなのか、そもそも読みやすい文章なのか、どちらもあるだろう。

○ホラーに関しては全く怖くなかった。私は動画には弱くて、すぐに怖くなったり、泣きたくなったりするのだけれども、文章に関しては相当に抵抗力がある。文章を書いている人の情報が語句を通じて入ってくるせいではないかと思う。つまり、いくら怖いことが書いてあっても、作者は怖い人ではないと分かってしまうことが影響しているような気がする。若い頃は多読だったので、耳年増ならぬ、目年増、文章年増ということもあるかもしれない。

○「くだんのはは」は怖さに並行して描かれている、敗戦を間近に控えた日本社会の方に心を奪われた。ちょうど坂口安吾の「白痴」と共通するイメージである。最近は大東亜戦争当時の体験談等を見聞きするようなことがほとんどなくなってしまったので懐かしさを感じた。


2 大東亜戦争

○私は無論戦後生まれである。しかし、子供の頃は敗戦にまつわる話が日常的に身の回りにあった。父親は軍隊に行った人だったから、日本軍がいかに馬鹿げた戦い方をしていたかについてたまに聞かされた。例えば砂浜に穴を掘り、荷物を抱えて全力で走ってその穴に飛び込む訓練を毎日させられたと言っていた。それは、アメリカ軍の戦車部隊が上陸してきたときに、穴に潜んで上を通る戦車の腹(底の部分)に磁石付きの爆弾をくっつけるための訓練だったそうである。

○特攻隊に代表されるように、かつての日本軍は実に愚かな戦い方をした。特攻隊員が愚かだったのではない。特攻を指揮命令した上層部が愚かだったのである。すなわち、そのようなことをして戦争に勝てるのであれば多少なりとも作戦としての意味があるのだが、負けることがはっきり分かっていながら兵士に自爆攻撃をさせるのは、悔し紛れのヒステリーそのものである。

○そもそもは、精神主義や精神論を好む日本人の考え方が悪影響を及ぼしたのではないかとも思う。「心頭滅却すれば火もまた涼し」という誤った考え方である。宗教家や焼身自殺をしようとするような一部の人にとっては大切な概念かもしれないが、火傷をしても熱さを感じることができないようでは生命の維持に支障をきたす。人間はそのように作られていない。

○大東亜戦争で、日本の上層部は感情任せにデタラメを数多く行った。そもそも、勝てる見込みのない相手と喧嘩をしたのが間違いである。さらに、開戦をした後でも適当なところで手を打つべきであったができなかった。現在でもそうだが、磨くのであれば軍事力ではなく外交力である。軍事力も必要なのだが、戦争のしにくい現代にあっては、国を救うのは軍事力よりも外交力である。その外交力が日本は群を抜いて劣っている。


3 敗戦とリアリズム

○さて、散々デタラメな戦争をして敗戦となった結果、日本人は気がついた。何に気がついたかというと、いくら口先でもっともらしいことを言おうが、訓練や努力をしようが、国民が一丸となろうが、目的が正しかろうが、「精神一到何事か成らざらん」とばかりに精神を集中しようが、弱い者は戦いに負けるということである。これ以上ないくらいのリアリズムだった。

○おそらく、戦国時代の日本人はそのことを理解していたはずである。江戸時代に平和が続いていたときにも、武士はそのことを理解していたのではないかと思う。そうであったものが、明治になって、日清戦争、日露戦争と勝利を収めたことと、武士以外の「農工商」などの身分の者が政治や軍隊に加わるようになったことから、日本からリアリズムが失われたのだろう。このあたりは、私の勝手な解釈による司馬遼太郎の受け売りである。

○リアリズムは日本語にすると現実主義となるようだが、では現実主義とは何かといえば、「現実を最重視する態度。理想を追うことなく、現実の事態に即して事を処理しようとする立場。」(goo辞書)だそうである。私としては、科学主義、合理主義と近い言葉だと思っている。

○リアリズムは実際に生活していく上ではこれ以上ない常識である。「私は永遠に死なない」と思いたい人は思えばいいが、それを前提にするとうまく生きてはいけない。「世の中は全て金と運である」と思いたい人は思えばいいがそれでは道を踏み外す。希望、願望、信念、思想などと現実とは別物である。

○大東亜戦争の敗戦によって、日本人は一時的にそのことに気がついた。御託を並べても無駄であり、目的に合わせて合理的、科学的な態度をとらなければ意味がないと悟ったのである。それが戦後の日本の復興や、高度成長に結びついた。その頃の日本はリアリズムに溢れており、精神主義は廃れたかに思われた。当時はホンダも、トヨタも、SONYも、松下も、こぞってリアリズムであった。


4 リアリズムの後退と新型コロナ

○しかし、時は流れた。日本軍のアホな戦い方を経験した世代はほぼ死に絶えた。それを伝え聞いたことのある私の世代ももはや老人である。そうなるとどうなったかというと、面白いことにリアリズムが後退してしまった。そして、精神主義が幅を利かせるようになってきたのである。

○昨年来の新型コロナウイルス騒動はその表れといえる。架空のこと、つまり嘘に基づいて全てが成り立っている。既に御存知の方も多いことかと思うが、新型コロナウイルスは日本には被害を及ぼしていない。それは、昨年の超過死亡が一昨年よりも減っていることからも科学的に明らかである。

○しかし、新型コロナウイルス騒動、つまり新型コロナ詐欺は新型コロナウイルスが極めて恐ろしい疾病であるという虚構に基づいて進められた。そこにはリアリズムのかけらもない。そして、日本がリアリズムをなくすると、まるで大東亜戦争の昔に戻ったかのようになるのは国民性に違いない。日本の悪い面が大東亜戦争時と同じように出ている。

○新型コロナ特措法(新型インフルエンザ等対策特別措置法)は、昔でいえば「国家総動員法」であり、各種自粛要請などは国民精神総動員運動である。国民のほぼ全員がそれに乗り、やれマスクだ、やれイベント中止だ、やれ外出禁止だ、やれ営業禁止だ、やれ酒類提供禁止だ、やれワクチン接種だなどと踊った。戦時中の隣組(となりぐみ)は今回、マスク警察、自粛警察に名前を変えた。私のようにノーマスク、ノーワクチンで緊急事態宣言中にふらふら旅行して歩くなどの者は、まるで非国民であるかのような雰囲気になった。

○そもそも、新型コロナ詐欺が詐欺ではなくて、本当に恐ろしい感染症の流行であったならば、国が音頭を取らずとも、法律を制定しなくとも、日本人は自然に自粛をし、活動を控える。いくら間抜けな日本人とはいっても命は惜しいからだ。しかし、そんなリアリズムは今の日本にはなくなった。


5 リアリズムを失った結果

○今や日本人は、嘘を嘘とも思えず、嘘に踊らされ、マスクをし、自粛をし、百害あって一利なしのワクチンを行列を作って我先にと打つのである。かわいそうに、ワクチンの副反応で子供まで殺してしまった。子供を殺すことがかわいそうと思う心のリアリズムさえ失ってしまった。

○新型コロナウイルス騒動は世界的なものである。アメリカの仕組んだ詐欺である。その詐欺を日本に招き入れたのは安倍元総理である。私は安倍元総理は日本の永久戦犯ともいえる存在であると思っている。悪名高い鳩山由紀夫元総理などは軽く吹っ飛んでしまうくらいの、戦後最悪の総理大臣である。祖父が草葉の陰で泣いていることだろう。安倍元総理の政治を一言で言えば「政治ごっこ」だった。政治はリアリズムを失った「ごっこ」ではうまく運ばない。

○河野太郎、西村康稔、菅義偉、小池百合子などの各氏は皆リアリズムを捨て去った政治家である。尾身茂会長、8割おじさん、忽那賢志の各氏などはリアリズムを捨て去った専門家である。いずれも一文の価値もない。日本を誤った方向に導いた戦犯たちである。

○忘れてならないのはマスコミである。大東亜戦争時に朝日新聞をはじめとしたマスコミが戦争を煽ったのと同様に、今回は新型コロナ詐欺を煽った。不思議なもので、まるで水を得た魚のように嬉々として嘘を垂れ流している。マスコミは本来的に嘘をつきたいという願望を持つ業種なのだろう。芸能人が拍手喝采を浴びたいと思うのが自然であるように、マスコミは嘘を垂れ流して視聴者・読者を扇動しようとするのが自然なのである。


6 おわりに

○さて今後の日本はどうなるのだろうか。信じられないことだが、日本政府は引き続き新型コロナウイルス騒動を煽り、国民に自粛をさせ、ワクチン接種を促し、日本を衰退させ、国民を苦しめ、あるいは殺し、暮らしにくい国に変貌させようと画策している。

○YouTubeに上がっているこの動画を見るとそのことが一目瞭然である。「解除後の感染対策の継続のお願い」(2021.9.30 内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室)という動画である。ここにリアリズムを失った馬鹿の見本がいる。嘘つきの見本でもある。あるいは、私欲のために魂を売った悪人の見本である。もっと言えばアメリカのスパイでもある。動画を見ると不快に思う人が多いと思うが、本人に成り代わってお詫びを申し上げる。