昨年末に気がついたが、Amazon prime videoにある浅丘ルリ子と小林旭の渡り鳥シリーズが、会員であれば無料で視聴できるようになっている。ヤッター。これで、 アマゾンプライムの会費も元が取れるというものだ。
早速3本ほど見たが、お気に入りの浅丘ルリ子ちゃんをたっぷり見ることができて嬉しい。なぜか知らないが、小林旭演じる流れ者が馬に乗って登場することもある。昭和30年代といえども、馬はもうそれほど一般的でなくなっていたはずだが。
馬に乗ったヒーローを慕うお嬢様役が浅丘ルリ子である。昔のお嬢様だから、いつも礼儀正しく小奇麗で、よい子的な主張をし、ヒーローを気づかい、控えめである。私は、この渡り鳥シリーズで浅丘ルリ子が登場すると、いつもドラえもんのしずかちゃんを思い出す。雰囲気、役どころが同じである。
ヒーローとヒロインの前には悪役が必ず立ちはだかる。これ以上ない典型的なワンパターンであり、水戸黄門や暴れん坊将軍、必殺仕事人などの時代劇と同様の流れである。
そういえば、馬に乗った流れ者といえば、シェーン(Shane)を思い出す。1953年のアメリカ西部劇である。ははあ、小林旭の渡り鳥シリーズはシェーンのパクリだなと思う。馬と、流れ者と、拳銃と、女性と、子供と、悪者という組み合わせである。もっとも、シェーンではイケメンの流れ者に恋するのが男の子のいる母親であり、ずいぶん大人向けの映画である。
渡り鳥シリーズでの小林旭は拳銃の名手ということになっているが、今見ると「えっ?」と思うことがある。拳銃を「バヒューン」と撃つと、相手の持っている拳銃がはじき飛ばされるというシーンが随所に出てくるのだ。あり得ない話だと思う。しかし、これは日本の独創ではなく、昔のアメリカ西部劇でもよく見られた。本当の名手ならできたのだろうか。おそらく無理だろうと思うが。
さて、渡り鳥シリーズを何本か見ているうちに、それらの主役は小林旭でも、浅丘ルリ子でも、宍戸錠でもなく、悪役であることに気がついた。金子信雄という役者が演じていることが多いが、悪役がいかに悪役に見えるかが映画の肝である。ヒーローもヒロインも刺身のつまのようなもので、悪役がしっかりしないことには存在価値がなくなる。シェーンにしても同様である。
と、ここまでが前振りである。悪役の大切さに触れた上で、世界の情勢、日本の情勢に飛躍する。飛躍しすぎかもしれないが。
私の知る範囲で世界の悪役は、第2次世界大戦前はドイツと日本だった。なかなかのはまり役である。憎々しいこと、不気味なことこの上ない。世界は、ドイツと日本を滅ぼすために一致団結して戦った。
ドイツと日本の悪役ぶりは堂に入ったもので、そのため、連合国側は全力で、必死になって戦うことができた。その上での勝利である。しかも、相手は無条件降伏である。これ以上ない勝利の美酒を味わうことができただろう。世の中、そんなにうまくいくことなどそうそうあるものではない。
戦後の世界の悪役はソ連だった。これまたなかなかの強敵だった。今私が考えると、ソ連という国は見上げた国だったと思う。国力という面では、とてもではないがアメリカの比ではなかったはずだ。それが、軍事力や宇宙開発競争で張り合ったのだから。
経済的には、食料さえ十分に行き届いていなかったくらいである。私は精神論など大嫌いであるが、人間はその気になれば短期的には相当無理が効くものらしく、そんな程度の国が食料など有り余っているアメリカに抵抗したのだ。もちろん、あくまで短期的にであり、ソ連に勝ち目がなかったのは大東亜戦争における日本と同じである。
超人的な頑張りを見せていたソ連だが、残念なことに1991年に崩壊してしまう。残念というのは、それ以降、世界は混迷を深めることになったからだ。
悪役がしっかり悪役としての役割を果たしていてくれれば、人々には迷いがなくなる。悪役に打ち勝とうと頑張る。連帯感が生じ、同盟国同士は仲が良くなる。一人ひとりが自分の仕事や役割を国のためであると感じ、生き甲斐まで生まれる。そうやって考えると、悪役の敵がいることはとっても健全なことなのである。
しかし、ソ連は崩壊してしまった。仕方なしにやっと見つけた敵が「テロ」だった。2001年に世界貿易センタービルなどに旅客機で特攻したときは(同時多発テロ)、新たな世界戦争の始まりかと思われた。
しかし、テロもいつの間にか下火になっている。特に、2011年にテロリストの象徴のような存在であったウサーマ・ビン・ラーディンがアメリカ海軍特殊部隊によって殺害されたことで、一時の勢いは削がれることになった。
次いで現れた悪役が、中国であるのはご存知のとおりである。中国の脅威を盛んに論じる人も少なくない。確かにそのとおりではあるが、私は中国が敵としては物足りないのではないかと感じる。
おそらく日本人なら何となく理解しているのではないかと思うが、中国は弱いのである。歴史の長い国であり、戦争というものが余り利益にならないことをよく知っている。そして、正面切ってのガチンコの戦いをできるだけ避けようとする。その分、裏で権謀術数によって利をかすめ取ろうとするのが中国である。
散々大きな口を叩くが、いざ両軍にらみ合って突撃となれば中国軍は逃げる。戦って殺し合っても損が大きいと思っているからである。かつての日本は瞬間湯沸かし器のようなもので、あっという間に沸騰して襲いかかっていったものだが、中国にはそのような単純で直情径行的なところはない。
威勢良く、人をバカにしたようなことを言って、攻めてくるのかと思いきやのらりくらりして陰でずるく立ち回る。こちらがそれに腹を立てて怒り出すと、こちらの顔色を見て一度逃げ、別の作戦を立てて見えないところでズルをする。賄賂やハニトラが大好きな国であるのもうなずける。
そんな国であるため、悪役は悪役だし敵は敵なのだが、もう一つ迫力がない。中国にできるのはせいぜい弱い者いじめであって、アメリカに刃向かうことなどできない。テロリストよりもまだ軟弱である。
しかし、それでは世界は困るのである。必死になって戦わなければならないような相手、憎んでも憎み切れないような悪役が欲しいのである。それによって人心はまとまり、国もまとまり、リーダーを中心に、一致団結して果敢に戦おうとする理想的な社会が出現するのだから。
さて、ここまできてようやく結論にさしかかる。新型コロナウイルスのことである。私はことによると新型コロナウイルスは、中国が敵であることの物足りなさを埋めるための一つの方策、ツールであるとする論も成り立つのではないかと思う。
世界の国々は、世界の人々は、これまでもそうであったように現在も敵が欲しいのである。これ以上ない悪役を待っているのである。しかし、理想的な敵がなかなか見つからない。中国に期待をかけても満足できるほどにはその役割を果たしてくれない。だから新型コロナウイルスなのである。
新型コロナウイルスで人がバタバタ死んでいってさえくれれば、国民の心は一つにまとまる。ワクチン開発に必死になる。医療は進歩する。科学も発展する。社会全体が見直されて効率的になる。人々は生と死の意味を真面目に考えるようになる。与えられた人生を大切にするようになる。お互いを思いやり、連帯するようになる。ある意味理想的な社会が出現する。
しかし、大変残念なことに、新型コロナウイルスは人をバタバタと殺してはくれない。バタバタどころか、インフルエンザよりも非力である。安倍前総理大臣や小池都知事などは、新型コロナウイルスに大いに期待したのだが、完全に期待外れだった。今ごろ慰謝料を請求したいくらいに思っていることだろう。
私に言わせると、そもそもウイルスに期待をかけたのが間違いである。筋が悪い。以前にも触れたが、ウイルスは生命体である。安倍前総理や小池都知事の期待に沿うよりも、生命体としての使命が優先する。数を増やし、多くの子孫を残すことが、彼らの最大かつ唯一の目的であり、人間がいくら哀願しようが優遇しようが、思いどおりにはなってくれない。
今後も人類は敵探しに奔走するだろう。強力な悪役が人間社会を繁栄させるための一番効果的な方法であるからだ。今回は無駄骨に終わったが、ウイルスもその候補であり続けるにちがいない。ビル・ゲイツというパトロンもいることだし。
しかし、ウイルスは役立たずであり、成功することはないだろうと私には思える。中国以下である。ウイルスを敵とするくらいなら、どこかでエイリアンでも探して連れてきた方が現実的であると言いたくなる。
という冗談はともかく、真面目に考え、知恵を寄せ合って、できるだけ長持ちするるような強力な敵(悪役)を新たに見つけるのが、今後の世界の一番大きな課題であるように思う。