今日は軽く映画の話で。![]()
とあるブログにおじゃましてリンクをクリックし、さらに別のリンクと進んでいくとサイモン & ガーファンクルにたどり着いた。久しぶりだったせいもあって、彼らのハーモニーが実に心地よく響いてきた。
サイモン & ガーファンクルと似たような歌声を他のグループで聞いたことがない。サイモン & ガーファンクルの歌声はサイモン & ガーファンクルでしか聞けないということなのだろう。
日本人が歌っても、サイモン & ガーファンクルのように美しいハーモニーにはならないような気がする。最近つくづく思うのだが、日本人は協調性に乏しく、お互いが仲の悪い民族である。老若を問わず演歌の独演会を目指している人がほとんどで、人と仲良く折り合って何かを成し遂げようとする気持ちが乏しいために、いつまでたっても日本にはサイモン & ガーファンクルが生まれないように思う。
ポール・サイモンとアート・ガーファンクルの二人を、見た目で判断すると私は圧倒的にポール・サイモンの方が好みである(背が低くてギターを弾いている方)。飄々としてオタクっぽい、好きでやっている感じがする、職人気質を思わせる、涼しい目が神経質に動く様が知能の高さを思わせる、没頭しているときにはこちらにちっとも注意を払ってくれそうもない。
二人ともヒゲを生やしていないのにユダヤ人だそうである。ユダヤ人のことは全く知らないのだが、数少ない有名人を見る限り、悪い奴らではなさそうだという気がする。というか、ひょとするとお友達になれやしないかという部分を感じさせる。そんな私はアメリカに行って、ユダヤ人に混じって暮らした方がフィットするのかも知れない。これは単なる想像で、実際問題として考えているのではないけれど。
さて、サイモン & ガーファンクルの曲を聴いているうちに、そういえば「卒業」という映画を見ていないことに気が付いた。私の若い頃大ヒットした映画であり、洋画を見る人なら全員見たのではないかと思う。当時の私にとってはキャサリン・ロスが魅力的で、あこがれのお姉様的存在であった。
であるにも関わらず、へそ曲がりの私は「卒業」を見なかった。人気爆発のアメリカ映画などろくなものではないというのが、若くて生意気な私の感じ方だった。実際にも、当時のアメリカ映画にはそういうところがあったかも知れない。フランス映画やイギリス映画と比べると、いわゆるヤンキーの作った深みのない映画が多かったような気がする。
しかし、あれだけ話題になった映画を見ないまま死んでいくのもなんだし、と思って先日GYAO!で視聴してみた。サイモン & ガーファンクルの歌はサウンドトラックとしても良かった。一方、映画自体の方はといえば、今だから見ていろいろ思うこともあるが、若いときの私なら馬鹿馬鹿しいと切り捨てたような気がする。やはり見なくて正解だったかもしれない。
ストーリーは、俗語というか隠語というかで言えば、親子丼の話である。ダスティン・ホフマン演じる、大学を出たばかりの可愛い男の子を熟女が誘惑して関係を持ち、その後ダスティン・ホフマンはその熟女の娘と結婚することになって終わりである。最後のシーン近くで、娘が別の男と結婚式を挙げている教会に駆けつけたダスティン・ホフマンが、教会の大きなガラスの仕切りを叩きつけて娘の名前を大声で呼ぶ場面が見せ場である。
ひどく単純というか、幼稚な映画である。ストーリーの必然性が感じられない。ストーリーに必然性がなくても、心理描写とか、複雑さとか、謎など、それをカバーするようなものがあれば紛れるのだが、そんなものも見当たらない。単純で未熟でお人よしのアメリカ人だけが浮かび上がるようなそんな映画である。
なぜ、美人マダムが若い男の子を誘惑するのか、若い男の子はなぜそんなに簡単に誘惑に乗るのか、なぜ若い男の子はマダムの娘を好きになるのか、なぜマダムは若い男の子と娘の交際を反対するのか、なぜ娘は若い男の子と母親の不倫を知った上でそんなに熱い恋仲になるのかなどなど、とにかく説明の足りない映画である。ひょっとしてコメディ?と思えなくもないが、それならもう少しコメディらしくしてほしいと感じてしまう。
当時のアメリカ、そしてアメリカ人はそんなに深刻に悩んでいなかったことが分かる。まだ大人になり切っておらず、元気で単純軽薄である。ただし、「卒業」は1967年に制作されており、この頃は古き良きアメリカが変質していく時代だった。冷戦拡大、宇宙開発競争、ケネディ大統領暗殺、ベトナム戦争、ビートルズ、ヒッピーなどが話題になった。それまでの、平和な白人中流社会が徐々に立ち行かなくなり始める時代だったのだろう。
それだけに、まとまりのある家族ではなく、夫婦、親子、男女関係がバラバラになっていく過程が描かれるようになったのではないかと思われる。ただし、そこにおける苦悩はまだレベルの浅い段階である。
アメリカもCSI(CSI科学捜査班 2000年〜2015年放送)になると、日本のドラマを見るのが馬鹿馬鹿しくなるくらいに成熟した複雑な描写ができるようになるのだが、まだ「卒業」の頃は文化レベルが低かった。
アメリカは昔と比べて文化が成熟し、現在はレベルの高い映画やドラマを作ることができるようになったが、さて日本はどうかと思って考えてみると、日本は徐々に文化レベルが低くなってきているのではないだろうか。
私は最近テレビドラマを見ることは全くなくなってしまった。レベルが下がったどころではなく、幼児的でお子様向けになったように思う。というか、まだ子供向けの戦隊物の方がドラマとしての成熟度が上ではないかと思うくらいである。
少し前に「半沢直樹」の倍返しが話題になった。日本人もここまで愚かで幼稚になったかと思う。元々が漫画(劇画)であって、漫画としてなら場末の食堂でラーメンをすすりながら、汁の染みついたページをめくってもいいかなと思うレベルである。おおよそテレビドラマとして大人相手に放映するようなものではない。
聞くところによると、最近のテレビ界はすっかり韓国人、朝鮮人に支配されてしまっており、報道はもちろん、ドラマに至るまで朝鮮人レベルのものしか作れなくなっているという話である。たしかに、NHKからして「まあ、朝鮮人ならこんなものか」というレベルになっている。
そうやって考えると、韓国人というのは、あるいは中国人も同じだが、自分たちが向上して周囲と対等になることを目標にするのではなく、周囲の足を引っ張って、優れたものを韓国人や中国人レベルまで引き下げることで相手に認められようとしているかのようである。
つまり、自分が貧乏なら相手も貧乏にしてしまえ、自分の頭が悪いのなら相手の頭も悪くしてしまえ、自分の食べている料理がまずいのなら相手の食べ物もまずくしてしまえ、それで対等になれる、そんな作戦である。悪貨は良貨を駆逐する。日本がどんどん落ちぶれていくわけである。とんでもない国が隣にあるものだ。
話がすっかり横道にそれた。要するに、言いたいのは「卒業」という映画が、音楽以外はそれほど見るに値しないものであること、ただし、日本のテレビは報道もドラマも、そんな「卒業」よりもはるかにレベルが低くなっていることを言いたかった。
ところで、「卒業」の主役はといえば、実質的には「ミセス・ロビンソン」(アン・バンクロフト(Anne Bancrof))である。高校生の頃はキャサリン・ロスお姉さまにあこがれた私だが、今見ると惹かれるのはだんぜんミセス・ロビンソンである。年は取りたくないというか、年を取れば取るなりの楽しみがあるというか。そうそう、今の若い人には信じられないかもしれないが、タバコを吸う女性はセクシーである。![]()
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