今回は安倍政権のレームダック化がすでに始まっているという記事である。

新型コロナウイルスによる馬鹿騒ぎはご存知のとおりである。正直者で単純な私にとってはこれがどうしても理解できなかった。火事が起きて「火事だ!火事だ!」と騒ぐのであれば、何の不思議も感じない。しかし、どこを見ても火事が起きていないのに「火事だ!火事だ!」と騒ぐ人がいた場合には、それを理解できずに困ってしまう。狼少年の「狼だ!狼が来た!」は退屈しのぎだったようだが、今回の安倍総理や小池都知事の場合は退屈しのぎということではあるまい。

小池都知事の場合は、人間としてのレベルが低いだけに分かりやすい。しばらくの間沈黙を守っていたのはオリンピックを開催しようとしたからである。また、オリンピックが中止になって以降、そして現在も、一人東京だけが騒ぎ続けているのは、明らかに都知事選挙対策である。騒ぐと小池都知事への票が増えるのである。このくらい分かりやすく振る舞ってくれると、私としては頭が混乱しなくて助かる。後は、馬鹿な都民がどのくらい騙されるのか、面白がって見ていればよい。

では、安倍総理や日本政府の場合は、新型コロナウイルスでなぜあんなに意味もなく騒いだのか。この謎を解かないことには寝つきが悪くて困る。寝覚めも悪くて困る。

そんな折、このような報道がなされた。『「2021年前半開始」国民全員に接種 新型コロナワクチン巡る厚労省プラン』(6月2日毎日新聞)である。「やはり狙いはここと見るのが妥当だろうな」と思う。今回の新型コロナウイルス騒ぎの目的は、厚生労働省の勢力拡大である。総理も内閣も皆踊らされたのである。

いや、過去形ではない。現在も踊らされている最中である。第2波、第3波は必ず来ると言われていて、そのために莫大な税金をつぎ込もうとしているが、第2波、第3波が本当に来るかどうかは神のみぞ知るである。新型コロナウイルスが今秋以降も流行する可能性はある。しかし、流行しない可能性もあるからだ。

実は今回の新型コロナウイルス騒ぎは二番煎じである。一度目は2009年の新型インフルエンザの時である。この時も国を挙げて大騒ぎをし、ワクチンや薬剤や防護服の製造などに莫大な金を使った。法律まで制定した。その時も第2波がどうの、いやこれから来るのが本当の第一波だなど、でたらめが散々言われた。

 

結果何が起きたか。全部空騒ぎに終わり、現在では記憶にある人も少なくなった。2009年の日本における死者は全部で200人、致死率や妊婦重症化率は世界最低だったといわれている。しかし、医療関連業界は大袈裟な対策によって濡れ手で粟の大儲けをし、笑いが止まらなかった。

前回の経験があるだけに、今回厚生労働省はより大胆に安倍総理を脅し、そそのかし、政策を実行させてきた。それが現在も続いている。2009年よりもっと儲けようという腹づもりであり、実際にそれが成功している。厚生労働省の発言力も増し、国の命運を左右するような巨大省庁となった。

しかし、普通は人間というもの、いくら厚生労働省の役人といえども、ここまで大胆に嘘をつけるものではない。やりたい放題ができるものではない。少しは抑えがかかるものである。それなのにどうして今回は、厚生労働省がここまで横暴に振る舞うことができたのだろうか。その答えが安倍政権がすでにレームダック(足の不自由なアヒル)化しているということである。死に体なのである。

ご存知のように、安倍総理の任期は来年9月までである。ここからいろいろなことが派生する。まず、安倍総理に赤っ恥をかかせたところでさしたる影響がない。今後も総理大臣を続けるなら、部局の予算を削られたり、官僚がどこかに左遷されたりする心配があるが、もう安倍政権にそれだけの力はない。安倍総理が怒ろうが、喜ぼうがさしたる影響がなくなっているのである。また、安部総理自身も、自分に先がないことから、国の先行きに対して原則無関心である。

さらには、野党が政権交代できるような勢力を持っていないだけに、仮に政府が大失敗をしたところで大ごとにはならない。今の野党では、せいぜい負け犬の遠吠えしかできず、政策が失敗に終わろうが、不正が暴かれようが、有耶無耶にごまかせばそれで終わりである。

今回の新型コロナウイルス騒ぎの背景はそういうことである。

さて、厚生労働省以外の省庁は、厚生労働省がやりたい放題をしているのをしっかり見ている。そして、自分たちもと思う。それは自然な流れである。

法務省は、検事の黒川検事長の定年延長を図ろうと画策した。総務省は自殺者が出たことをこれ幸いと利用してネット検閲を強化しようとしている。農林水産省は「種苗法改正」を持ち出した。文科省は「9月入学制度」である。そして財務省は当然のことながらコロナウイルス特別税である。

いずれも拙速のそしりを免れない。なぜ拙速になるかといえば、それはもちろん「今がチャンスだ、それ行け!急げ!」と思うからである。政権に力がなくなった今こそ、官僚の檜舞台なのである。表面に出てきているだけでこれだけ思いつくということは、表面に出てこないものや、表面に出す必要のないもの、各種訓令や通達などについては、現在どのくらいのデタラメが行われているか分かったものではない。

すっかり甘く見られ、コケにされているような安倍総理であるが、一方的な被害者かというとそうでもないところがミソである。もともと安倍総理の政権運営の柱は既得権益の保護である。利権政治を打破しようとした素人集団である民主党政権がコケてしまったことを反省材料にして、安倍政権は既得権益を保護することで長期政権を成し遂げた。

分かりやすい例を挙げれば、新聞の消費税である。活字媒体の中でなぜ新聞だけが軽減税率なのか。そのようなことが既得権益の保護なのである。みんなで「まあまあ、なあなあ」の関係、お互いにこれまで同様「win-win」の関係を維持しようとするのが既得権益の保護である。あからさまに利権政治を行えば不評を買って、それこそ政権基盤を揺るがしかねないが、できるだけ目立たないようにして、関係者がそこそこいい思いをするのが狙いである。

アベノミクスが失敗した理由もそこにある。経済成長をしようと思えば新陳代謝が必要になるが、新陳代謝には痛みを伴う。安倍政権は既得権益を保護し、「あまり痛い思いはしないようにしよう」という方向性である。そうすることによって、深刻な争いを防ぎ、不満を抑えられる。しかし、その副作用として諸外国に比べると経済成長に遅れをとり、先進諸国の中で日本だけが置いて行かれるという状況になっている。

それでも安倍政権がしっかりしてうちはニラミを効かせて、少なくとも支持率を下げるようなことはさせなかったが、もう残り1年ほどになってくると、支持率など下がってもいいではないかということになる。安倍総理にとっても「これまでお世話になりました。置き土産に何がいいか、私の在職中にどんどん上げてください。できるだけ便宜を図ります。」ということになる。

それにしても野党が弱いということは、やはり国益を損する。これだけ安倍政権やその下にある官僚組織がやりたい放題をできるのは、かつてないほど野党が弱くなっている影響も大きい。政治家の良心に期待するなどというのは、お花畑脳の持ち主の思うことであり、現実的には暴走を抑止できるような「力」の存在を必要とするのである。国に軍隊が必要なのと同じことである。

もちろん、安倍政権に批判的な私ですら、今の野党を応援しようとは思わない。野党が日本の国益を大切に考えているようには思われないからである。マスコミはもちろん烏合の衆である。カラスの群れと大差ない。では、日本をどのようにしたら民主主義がうまく機能するような国にできるのだろうか。私ごときには解を見いだせない難問である。