― 西京の盛り場 ―

 

 テギョンとシヌは、数人の男たちに囲まれて薄暗い階段を

降りて行く。

 途中まで降りると、上からの声に交じって階下からも聞こえてくる歓声、ただし賭場とは違って丁や半でも大や小といった声でもなく、イケと叫んだりヤレとがなったりしている。

 さらに降りていくと、賭場と同じ熱気に加え汗の臭いが鼻を衝いた。

 その中に交じって感じる血の匂い、テギョンは変化を見せないが、シヌは目を凝らして人だかりを見据える。

 闘技場か、シヌは心の中でそう呟いた。

 闇賭場でなくても町中の片隅で鶏や犬を戦わせたりしているが、これほど盛況なのは初めてだと思うのと同時に気が付いた。

 戦っているのは鶏でも犬でもなく、人だ。

 シヌは目を細め嫌悪の顔だ。

 二人を囲んでいる男たちが人だかりを押しのけて前へ前へと進むのに合わせて、シヌとテギョンも押し出されるようにして前に出る。

 闇賭博とはいえ、縄と藁で仕切られた簡易ではない立派な闘技場だ。

 ただ異様に見えたのは、仕切られている片方にいるいかにも闘士らしい鍛えられた体格の男たちではなく、もう片方にいる痩せておどおどした男たちの方だ。

 中には初老と見える者もいるが、その目は異様にギラギラしているのだ。

 そしてその間には負けたのだろう男が、治療も受けずに転がっている。

 

 「これでは賭けにならない。」

 

 思わず漏らしたシヌの言葉にテギョンがわずかな反応を見せた。

 シヌはすぐさまテギョンに近づきその顔を覗き込む。

 表情は暗いが生気がないわけではない。

 だが相変わらずの陰った目は、何も見えていないかのように覗き込んだシヌにも瞳孔が収縮しない。

 シヌの胸中がざわつく、闇落ちした者特有にみられる感情のない目をしたテギョンに、この行動が悪霊によるものだと確信が深まったからだ。

 ただ悪霊と賭場が結びつかない。

 賭けをしに来た様子はなく、周りを囲んだ男たちについてきた理由も分からない。

 何よりここまで盛大になった闇賭場を、なぜ模諜の宗家は摘発しないのかといった疑念がますます大きくなる中、客の中から声が上がった。

 

 「十だ。」

 「十三。」

 

 客たちは楽しそうに歪んだ笑いを浮かべたまま、仕切りの中に立つ立派な体格の男に向かって口々に数を言い始めた。

 

 「八だ、八。 見ろよ、あの貧弱な体。

 うひゃっひゃひゃひゃ、八に決まってる。」

 

 太った男は対角の仕切り側に立つ痩せた男を指さして言った。

 その時クチャクチャと口に入った物を咀嚼しながら笑ったために、唾に交じって何だったかも分からなくなった物体が周りの者に飛びかかった。

 だが誰も文句は言わない、髪や肩についたそれを、チョイチョイと払い落とすだけで数を当てるのに夢中のようだ。

 

 「おいおい何を言ってる、あんなに瘦せこけた奴に八だ十だって本気かぁ。

 五、いや四だ。 俺は四に賭ける。」

 

 太った男よりも上背のある男は、着ている物も上等な物のようで周りには護衛のような取り巻きがいる。

 

 「あれは何をしているんだ。」

 

 シヌは取り囲んでいた男たちの中から、ここに一番馴染んでいなさそうな若い男を選んで訊ねた。

 その若い男は怪訝な顔をしてシヌを上から下まで見た後で、説明しようとシヌとの距離を詰めてくる。

 周りの歓声に聞こえないと思ったようで、シヌの耳近くで言う。

 

 「ここまで来たのに知らないのか?」

 

 男は耳の近くだというのに大きな声を出し、シヌは耳を庇って抑えなければならなかった。

 それから知らないと首を振ると、その手でテギョンを指さした。

 若い男はシヌをテギョンの付き添いか何かだと思ったようで、さっきよりも落とした声で説明し始める。

 

 「あれは何発で相手を沈められるかってのを当てるもので、例えばさっき言った四発なら四発目にどちらかが沈めば言った客が勝ち。

 と言ってもどう見たって勝つ方は決まっているが、それで客の中から出なかった数なら賭場の勝ちっていう、いたって簡単な仕組みだ。」

 (簡単? これはどうあっても賭場が勝つ仕組みじゃないか。)

 

 シヌは眉を潜めてそう思う。

 

 「だけど、あの男とこっちの男では、身体からして随分と差があるじゃないか。

 どうして一発って言う客がいないんだ。」

 「それは空振りも含まれるからさ。

 痩せてる奴らも命がけで逃げ回るから、最初の一、二発は当たらないんだよ。

 疲れてくると掠るだろ、どう追い詰めるか、どう逃げながら反撃するかってのが見どころの賭けってわけだ。」

 (命がけって・・・・・・こんな賭けは許されてない。)

 

 シヌは思わず拳を握りしめる。

 たとえここが模諜だとしても、国の法でこれはご法度だからだ。

 シヌは今すぐ声を上げて中止を叫びたかった。

 この賭けだけでここにいる全員を捕らえることができる。

 だが、まだ全容が見えてない、風林ならいざ知らず模諜の西京の都だ。

 管轄の宗家に知らせるにしても、詳しく知っておくべきだと湧きあがった怒りを抑え込んでシヌは男に訊く。

 

 「あの痩せた男がこれに出るって言うのは、それだけ報酬がいいって事か。」

 

 シヌはかけ金について訊き出そうとする。

 

 「報酬? 違う違う、どっちも客であることは間違ってないが、鍛えている方の男は金を払って参加しているのさ。

 賭けられた数字より少ない数で倒せれば、払った金の倍額が貰える。

 そうは言ってもあいつらは金が目的じゃない、合法的に人を殴るのを楽しむために金を払ってるんだ。」

 

 若い男は人でなしだって顔で言ったが、シヌは何が合法だと思う。

 

 「こっちの痩せた方は、金を返せなくなった博打の常習者だ。

 ここに来るまでに金に換えれるものは全部売っぱらった奴らだ。

 それこそ女房も子も借金の形に売ったのに、まだ博打がしたいっていうどうしようもない奴らだ。

 結局、残った売れるものは自分の命ってわけだ。

 運良く生き延びられても、イカれてしまうか寝たきりになるかだ。

 そうは分かってても、まともに働いて返そうって奴はあの中にはいない。

 一発逆転を賭けて勝てたら、ここでの借金がチャラになるとやって来たのさ。」

 「だけど、・・・・・・これは違法だ。 なぜ宗家が取り締まらない?」

 「宗家? 宗家の奴らならここに何人もいるぞ。」

 

 それを聞いたシヌは眉を吊り上げ、言った男は身体の向きを変えてシヌの前で腕を組んだ。

 

 「おまえ、どこから来た。」

 

 男が吼えるようにそう言うと、テギョンの周りの男たちも二人に向きを変える。

 空気が一気にざわついた。

 そのざわめきが、仕切りの内側からではなく客側から起こったことに今まさに殴り倒そうと息巻いていた男から罵声が飛ぶ。

 注目を集めたきゃここに来いというのだ。

 しかしそんな事にテギョンが動じるはずがない。

 だから、このまま誰もやり合おうとさえしなければ、問題は起こらないとシヌは考える。

 シヌが一番恐れているのはテギョンの剣が火を噴くことで、この場所で出火すればここにいる者は逃げ惑うことになるからだ。

 それだけではない、上へ上へと伸びる火が賭場にいる者たちを巻き込み、酔客に舞姫たちも炎と煙に焼かれる事になる。

 瞬時にそう考えたシヌは、テギョンに向かって「落ち着け。」と声をかけた。

 聞こえているのかいないのか、テギョンは反応もしなければ身構えもしない。

 

 「テギョン。 テギョン。」

 

 二度、三度とシヌは声をかけるが、テギョンの様子は変わらない。

 シヌはテギョンを諦めて、向かい合っている相手に言う。

 

 「ここは西京で至る所から旅人や商人の訪れる都、それがどこからくれば問題なんだ。」

 

 シヌはできる限り穏やかな声で場を収めようとする。

 

 「どこからだって構わない。」

 

 聞こえてきたのは低くて太い声だ。

 シヌはすぐにその声のした方に顔を向ける。

 荒くれ者にも無頼漢にも見えないその男は、模諜風の上等な衣で年長者らしく髭をたっぷりと蓄えている。

 

 「構わないなら何が問題だ。」

 

 落ち着いた声で返しながらもシヌはその男が何者かを探ろうとする。

 その一方でシヌの意識は全方向にも向けられていた。

 このような賭場を開くくらいだ、後ろからの闇討ちも得意だろうからだ。

 

 「・・・・・・どこの宗家だ。」

 

 (やはりそれか。)

 

 シヌは心の中で独り言ちた。

 実際ここまでよく追及されなかったなと思うほどだ。

 というのも、シヌほど宗家然とした者はいないと言っても過言ではないほどに、立ち居振る舞いすべてに品格が滲んでいる。 

 涼やかな顔立ちに毅然とした態度、纏う空気からは清潔感が漂い、たとえお決まりの宗家の衣を着ていなくても、どこからどう見ても宗家の者に見える。

 だからこそどこを通っても誰もがシヌを二度見して、ある者は眉を潜めある者は目を瞬いた。

 それほどにここにいる誰とも違って一人だけ浮いているのだ。

 だがその疑問を打ち消したのは、テギョンの纏う空気だった。

 深い深い漆黒の闇を引き連れているかのような存在感は、恐怖よりも畏怖を抱かせる。

 この状況でさえピクリとも動かない様子は尋常でない者に見える。

 シヌはテギョンの様子に安堵しながら返答する事を躊躇った。

 たっぷりと蓄えた髭に手をやるこの男は、宗家らしく振舞ってはいるが元来の軽薄さが見え隠れしている。

 地方宗家、西京宗家の者だろうと推測したからこそ躊躇ったのは、風林堂が模諜の宗家とは対立関係にあることが理由だ。

 それに風林堂の名を出せば縹炎宗の名もおのずと出てしまう。

 ここで縹炎の名が出ることは面倒が増えるだけの気がしてテギョンのように黙秘を決め込むかと頭を過る。

 ただし過っただけでこれが解決策にならない事にはすぐに気が付いた。

 どうあっても彼らは力づくという選択を選ぶだろうからだ。

 シヌが考えていた間はそれほど長くはなかったが、待ち切れないように男がシヌに近づいてきた。

 警戒するシヌの視界の端でテギョンの身体がユラリと揺れる。

 次の瞬間、テギョンの周りを囲んでいた男たちがドサッと音を立てて崩れ落ちた。

 

 (剣を抜いたのか?)

 

 シヌの目がテギョンの剣を追いかける。

 剣に血が付いていないことを確認しながら、シヌの身体は襲ってきた男が振り下ろした棒をかいくぐっていた。

 集まった男たちは誰もが喧嘩慣れしているようだがシヌの相手ではない。

 次々と振り下ろされる拳に棒に槌の類を、ヒョイヒョイと軽くかわしはするがシヌが手を出さないでいたのは、シヌが宗家の者だからだ。

 だがテギョンは違う。

 シヌが相手の疲れを誘うことを目的に軽くいなしているのに対して、テギョンは躊躇うことなく数人まとめて叩きのめしていく。

 まるで獰猛な獣が獲物とじゃれているかのように、嬉々としてたのしんでいて、一歩たりと後退はしない。

 じりじりと詰め寄ったかと思うと、右に左にと素早い足さばきで相手を翻弄し、背後からも剣を振るう。

 まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だ。

 客だった者も、賭場の者も関係ない。

 逃げ惑い怖気づく者も。金をやるから助けてくれと言う者もテギョンは容赦しなかった。

 

 シヌが充満している血の匂いに気づいた時には、ほとんどの者が腕や足、肩などを刺されるか切られるか、折られるかして動けなくなっていた。

 うめき声が床から聞こえてくる。

 

 「テギョン。」

 

 止めようとシヌが名を呼ぶ。

 だがテギョンに止める気はない。

 魔人、狂人、どのように形容するべきか、最後の一人を床に叩き伏せてなお、テギョンは何もなかったように立っていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

いや、終わりが前話と同じところになってしまった。

(つまりちっとも進んでないガーン

この後テギョンがしゃべったりと、

もうちょっとこの場面が続くんだけど、

前話での模諜枢教からのお迎えとの絡みもあって、

模諜に向けて出発するので、

モ教主とテギョンの対峙ももうすぐです。

 

そんなまったりの私のブログも、

本日、13周年です。クラッカー

いや~生まれたばかりの子が、

小学校を卒業するほどの年数ですよ。

その割にちっとも進歩のない文章力なんですが、

よくここまで続けてこられたなと、

これもひとえに読んでくださる方がいるからです。

長くなっていますが、折り返しはとうに過ぎて、

締めに向けて走ってる、はずなのです。滝汗

なので、もうしばらくお付き合いくださいませ。

 

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