― 模諜枢教 ―

 

 広々とした堂閣、その一辺に壇上があり、壇上に置かれた背面の高い椅子にモ教主ファランが座っている。

 四方の壁は丹念に磨かれた黒檀で、天上に向かって尖っている。

 よく見ると壁は螺旋階段になっていて、天井へと続いているようで、燭台が少ないのはその階段から延びて吊るされた無数の角灯が、灯りを落としているからだ。

 そんな堂閣に、ファランの高笑いがよく響いた。

 

 「あなたがジェルミを気にかけるなんて・・・・・・」

 

 嫌味が含まれた言い方も、纏っている威圧感も以前と変わらない。

 長く伸びた衣の裾までもが威圧するように、玉座ともいうべき風格ある椅子の座面から、まるで水のように壇上の段差を流れ落ちている。

 威厳に満ちたその容姿は、いつもミニョを委縮させるのに十分だったが、数か月の旅がファランをどこか違って見せる。

 気高いと思っていたものが美しさの方を強く感じるし、母としてというよりも女としての印象を残す。

 ミニョはずっとギュッと手を握り締めていた手を解いた。

 かつては模諜枢教の教主というだけで縮こまっていたが、今はまっすぐに見る事もできる。

 

 「気にもなります。

 今回ばかりはモ教主も訊かれて困る話になるのですから。」

 

 ミニョはまっすぐにファランを見て、はっきりとそう言った。

 ミニョが何を知ってこの強気の発言をするのか分からないファランは、一瞬顔色を変える。

 ファランの知って、いつもどこか不安そうにオドオドとし不安そうに見上げていたからだ。

 だがそれもサッと戻していつもの口角だけを上げただけの笑顔を見せる。

 

 「水功の話の何が困ると言うの。」

 

 口は笑っているが、目は笑っていない。

 

 「水功が使えるようになったと知らせてきたのはジェルミなのよ。」

 

 (そんなこと分かっている。)  

 ミニョは目をモ教主から外さない。

 (こちらから切り出さずに済んでよかったくらい。) 

 自分を鼓舞するようにそう思う。

 

 「それで、閉じ込められると使えなくなると言うのは、あなたの作り話でしょう。」

 

 (もちろん嘘です。)

 心の中でそう呟きながらも、ミニョは顔を輝かせて「本当です。」と言う。

 

 「水は流れる動きの中から力を得るものです。

 そこにとどまっていると淀んでいく。

 淀んだ水に力は宿らない・・・・・・です。」

 「それが理由?」

 

 軽く首を傾けたファランにミニョは力強く頷いた。

 

 「ジェルミから私の力が戻った事は知らされても、どうして戻ったかまでは伝えられていないですよね。

 仕方ないんです、私も分からなかった事ですから。

 前に、ある事件から私は斐水門で隠されて育った事は話しました。

 あの時は悪戯が原因だと言いましたが、本当は私が修行もしていないのに水を操れた事が原因です。」

 

 これにはファランの顔つきが変わる。

 

 「なぜ隠したの。」

 「力を使えなくなって長く、記憶も曖昧で、なによりそんな話をしても信じてもらえないと思ったんです。」

 「どうすれば力が戻るか知っていたのに、言わなかったのね。」

 

 これには首を小さく横に振る。

 だが睨まれてミニョは両手も足して訴えた。

 

 「本当に知らなかったんです。

 ここから逃げて偶然縹炎に辿り着いた時は、まだ全く使えませんでした。

 斐水門に向かう途中でミナムになって、あっミナムになったのもジェルミから聞いていますよね。

 これも言っても信じてもらえないと思って・・・・・・

 えっとだから、力を取り戻したのは本当に偶然だったんです。」

 

 ミニョはジェルミが文に何を書いたかは知らなかったが、隠し事はしていないと思っている。

 

 「力を使えるようになったから、ここに戻って来たのね。」

 

 ファランはまた微笑んだが、ミニョはちょっとばかり引っ掛かった。

 

 (確かに力が使えるからテギョンから離れてもなんとかなると思ったのは事実だけど、この笑みは・・・・・・

 あれ、ジェルミからここに来た理由を聞いてない? えっ だけど、てぎょんさんが誰か知っているから縹炎宗に固執しているのよね。

 どうしよう、どうしよう、どう話せばいい?)

 

 「えっと・・・・・・え~っと、このまま私がここを出たら、私もテ・・・・・・ファン宗主も二度と模諜には来ないと誓います。

 縹炎の税に関しては、ジェルミが見て知ってます。

 なぜファン・テギョンさんが宗主でないとならないのか、この先どのくらい時が必要かと言うような事ですが、私の言う事は信じられなくてもジェルミなら信じられますよね。」

 

 ミニョは十分にうまく話せていると思っていた。

 

 (埋めてまで消し去ろうとした子が生きていたのだから、責められると思うのは分かるけど、テギョンさんは知らないし気にしていない。

 荒立てなければ、テギョンさんが知って傷つく事も避けられる。)

 

 ミニョは一息つくように、ホーと息を吐きだした。

 

 

― 西京の宿 ―

 

 その頃テギョンは宿の食堂で夕餉を食べていた。

 ヘイがジフンの為に計らったのだ。

 その為さっきから何度も視線を送っているのに、ジフンはというと一向に切り出せないでいる。

 食べ終えたテギョンが席を立てば終わりなのにと、ヘイはさっさと言いなさいとばかりに睨みつけた。

 

 「ファ ファ・・・・・・ふぁ ふあ んです ね。」

 

 呼びかけるはずが、最初のファでテギョンの目がジフンに向けられたものだから、生唾を飲み込んで俯いてしまう。

 

 「モ教主相手に二人で話がつくと?」

 

 ため息交じりにヘイが助け舟を出す。

 

 「ファン宗主との話し合いに応じる約束を取り付ける事が目的だけど、ミニョが話して決着がつけば私たちは模諜枢教に行く必要はなくなる。」

 

 シヌはジフンとヘイを安心させようとしたが、逆にジフンの不安を煽ってしまう。

 模諜枢教に行かないなんて絶対にダメだと思うのは、ヘイとジフンだけだ。

 

 「だけど、問題がまったくなくなったわけじゃない。」

 

 ドンジュンが口を挟む。

 

 「ミニョから解決の知らせが来ても、ミニョが戻って来ないとか、ここからでは分からない事があるからね。」

 

 だがこれもジェルミが阻むと楽観視している。

 ミニョを守ると約束したのはジェルミだからだ。

 だからこそジフンの心配は最大に膨らんではじけ飛んだ。

 

 「ダッ ダメだ。

 ファファファン宗主を殺したのはモ教主だ!」

 

 力の限り叫んだジフンに、食堂にいた何人かの宿泊客が、ざわついてジフンを見る。

 

 「すみません、連れが酔ってしまって。」

 

 すかさずフニが両手をこすり合わせながら頭を下げると、ドンジュンも眉尻を下げて愛想笑いで頭を下げる。

 それでも宿泊客はモ教主の名に怪訝な顔をしてはいたが、酔客の戯言とその視線を戻していく。

 ジフンはまだ興奮して立っていたが、テギョンの方は何事もなかったように涼しい顔で座っている。 

 

 「場所を変えた方が・・・・・・」

 

 ドンジュンが真顔でシヌに耳打ちをする。

 テギョンは気付いていないようだが、ドンジュンはジフンの言った事の意味を理解したのだ。

 だがシヌから返された「どこにだ?」には答えられない。

 

 「ファン宗主は気付いてないみたいだけど、ジフンさんが言った事ってファン宗主の出 じ・・・・・・」

 

 言いかけたドンジュンは思わず口を塞いだ。

 小声だったが確認するように目だけでテギョンを伺い見るが、隠し通すべき事でもないと思っている。

 逆にシヌは推し量る様にジフンを見てから、少し考えて立ち上がるとその場を離れて店の者と話しに行く。

 この先、客を断ってくれと食堂を借り切ったのだ。

 

 (ファン宗主に限って聞いていないなどあり得ない。

 知っていた? いや、そうは見えなかった。

 ならやはり達観したという事か。)

 

 シヌにはテギョンがどのような修行をして悟りを得たのかまでは分からなかったが、これで終わるだろうかとの疑問を残していたし、疑問はジフンに対してもあったからだ。

 シヌが真剣な顔で座り直すとテギョンは出て行こうと立ち上がった。

 

 「モ モモモ モ教主が、ファ ファ ファン宗主の実母だ。」

 

 去ろうとするテギョンの背中に向かってジフンが言う。

 ジフンの望み通りテギョンの足は止まったが、その背中は驚いていない、むしろどうでもいいって顔で振り返ったからジフンは引き攣ったように身を縮こめる。

 その少し前には、ジフンは言いましたよって顔でヘイを見ていたのだが、振り返ったテギョンの顔に恐れおののいたのだ。

 

 「テギョン、落ち着いて。」

 

 咄嗟に出た言葉にテギョンは言ったシヌを見る。

 ファン宗主と呼ぶのかテギョンと呼ぶのか、はっきり決めろと思ってか、それとも落ち着いていると言いたいからか、とにもかくにも呆れた顔だ。

 それから面倒そうに息を吐いて椅子を引いた。

 

 「俺を捨てた親だ、今更知って何が変わる。」

 

 数日ぶりに口を開いたテギョンはシヌを見て言うと、その目をジフンに動かした。

 ジフンはその返答にますます驚いて固まっている。

 自分を捨てて埋めた親が分かれば、恨まないはずがないと思っていたからだが、向けられたのは目だけではない。

 

 「それより気になる事がある。」

 

 低い声はまっすぐにジフンに向けられていて、まるで肉食獣に睨まれた草食動物のように目が離せない。

 

 「それをいつ、どこで知った。」

 

 テギョンの声に威圧も脅威もないが、その淡々とした響きにジフンは生唾をのみ込んだ。

 

 

― 模諜枢教 ―

 

 ミニョは堂閣にある螺旋階段を上っていた。

 模諜枢教教主以外に上った者はいないという、堂閣の最上階へと続く螺旋階段、その最初の一段はファランが座っていた椅子の後ろの壁に作られていて、一尺(30cm)ほどの板は上に行くほどに少しづつ広くなっていく。

 それでこの堂閣が四角錐に見えたのかと思うミニョは、果てしなく続く階段をファランと共に上って、やっとの思いで到達した部屋を見回した。

 下の広い部屋とは違い、小さな部屋の四方の壁には大きな窓と引き戸がある。

 中央に置かれた一脚の椅子も下で見たいかにも玉座という椅子とは違って座面はさして広くはない。

 

 「何故ここに連れて来たんですか。

 ここは、ジェルミさえ入れない場所ですよね。」

 

 ミニョはただ不思議そうに訊く。

 

 「ここからは模諜の都が見えるの。

 あなたもその目で見れば分かると思って。」

 

 ファランは四方の窓を順に開けていく。

 さっきまで暗い階段を上ってきたミニョは、外の光の眩しさに目を細めた。

 

 「美しいでしょう、この模諜の都は。」

 

 この言葉に窓辺に移動したミニョは、そこから見える模諜を見る。

 歴史ある都らしく趣のある建物に、ただコクリと頷いた。

 

 「この美しい都を燃やすことはできない。」

 

 そうでしょうとミニョを見たファランは、また階段を降りていく。

 

 (えっ これだけの為にここに上がって来たの。)

 

 ミニョは目を丸くして思う。

 ここまで上るのに何百段もの階段を上ったのだ。

 最初は幅も狭く手すりもない段に、落ちるんじゃないかと怖くて、両手で壁に張り付くようにして上ったし、十分に段の幅が広くなる頃には、足は疲れ息が上がり汗が滲んだ。

 そうして辿り着いた場所だ。

 ミニョは疲労が増したように感じながらもファランに続いて下りていく。

 最初はただの階段が、少しずつ幅が狭くなるにつれ下階が見えて来る。

 その途端この螺旋階段はただの堂閣の螺旋階段ではなく、天上と奈落を結ぶ階段へと変わっていた。

 

 (これを毎日上って下りるの。)

 

 ミニョは壁に手をついて、仰ぎ見るように最上階を振り返り、泣きそうな顔で逃げ出したい気持ちを抑えていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

肝心の話にまで進まなかった。えーん

 

そんな中、表現に困ったのが模諜枢教の堂閣です。

イメージは四角柱の中に四角錐(ピラミッド)がある、

なのですが、ピラミッドの石段と違ってひたすらに壁が続く暗い部屋です。

強くなったミニョですが、

ファランにではなくこの堂閣に圧迫されるミニョが必要だったの。

 

文章に入れられなかったのだけど、

最初のファランが笑う前には、

仏閣と共通する静寂やら荘厳さがあって

無言の神々しい威圧感があるんですが、

そこに響くファランの高笑い、なんです。

  

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