本牧読書日記。マアザ・メンギステ「影の王」(早川書房)。

本書は1971年生まれエチオピア出身の女性作家(7歳の時渡米)による長編小説である。

1935年ムッソリーニのイタリアはリビア、エリトリア、ソマリアに続いてエチオピアへ侵略した。第2次エチオピア戦争である(第1次は19世紀末にあり、エチオピアが勝利)。

これはナチス・ドイツに先駆けるファシズム戦争の開始でもあった。

ハイレ・セラシエ帝政下のエチオピアは身分差の激しい旧体制。奴隷に等しい家事労働に従事する人達も多数存在していた。両親を亡くした若い女性ヒルトもそうしたひとり。地方貴族のキダネ、アステル夫妻の下に厳しい労働に従事していた。彼女がアステルによる虐待を受ける場面から話は始まる。

この小説の特徴は多様な視点によって語られる複雑な構成にある。

太い本筋は、キダネが地元ゲリラ隊を編成してイタリア軍フチェッリ大佐に挑む、激しくかつ絶望的な戦いである。隊には妻・アステルも主人公ヒルトも女性兵士として参加する。古い銃しかなく、乏しい銃弾は使用済みを再整して使用するような有り様。次第に敵の武器を奪って神出鬼没の山中戦を展開していくが、圧倒的戦力差で劣勢は免れない。


捕らえられたエチオピア軍兵士は新設された収容所で過酷な取り調べを受けた後、絞首刑や崖から次々と突き落とされて惨めな死を遂げていく。

それらの姿を撮影していたのがイタリア軍兵士・従軍写真家のエットレ。

話は彼が撮った写真の数々にストーリー・テラーの役割を与えて展開していくのである。

このエットレも実はユダヤ家庭の出身者。それが明白になれば帰国送還されて強制収容所送りとなる。彼はフチェッリ大佐から命じられて「国勢調査」の用紙を兵士に配りながら彼自身も記入を迫られる立場となる(後に彼は戦いが終わっても帰国することなく終生をエチオピアで過ごす)。

こうした背景も複合構成されてこの小説は進行していく。

そして最大のエピソードは、本書題名の「影の王」である。


イタリア軍に首都・アディスアベバに迫られて、皇帝ハイレ・セラシエは急遽イギリスに亡命してしまう。突然の亡命に隊長キダネ以下は茫然自失。兵士達の意気喪失も免れ得ない。

そこで登場するのが「影の王」。ハイレ・セラシエに相貌がよく似た楽士・ムヌムを皇帝に仕立て、ヒルト、アステルの両女性にお付きの兵士の格好をさせて、戦場の随所、エチオピア兵を激励するような場面に登場させたのである。本書最高潮の場面(p.316)を転記する。

「ムヌムはふうと息をして目を閉じ、背筋を伸ばす。顎をあげ、咳払いをして、再び目を開く。するといつのまにか、ヒルトの見つめる先に皇帝があらせられるではないか。ヒルトは頭を垂れ、畏れ多い高貴な眼差しを避けるべく、うしろを向いた。さあヒルト、とキダネは谷にわたる声で続ける。皇帝をお守りしているのはだれか、しかと教えてやるがいい。女性も同じように、先頭に立ち、戦えるのだとみなに示してやるがいい。ヒルトはキダネと目を合わせずに、前に踏み出す。谷を見おろして物柔らかに語りはじめる。わたしは兵士、祝福されたエチオピアの娘、王のなかの王の名誉ある護衛だ。ライフルを手に取り、頭上に掲げる。その日、木々を揺らしたのは恐怖ではなく、高揚感だ。皇帝の民が絶叫したのは、毒の雨が降ったためではなく、言葉に尽くせぬ畏怖を感じたためだ。皇帝が手をあげて、愛する臣民を祝福すると、人びとは皇帝礼讃の数々の名称を叫んだ」。(「毒の雨」とはイタリア軍による激しい空襲を指すと思われる)。


戦争は男性の経験を中心に語られるのが常である。

しかし本書では専ら前線で戦うヒルトとアステルの女性兵士を中心に語られている。

訳者の巻末説明では、世界は女性作家によるこうした傾向が顕著であるという(ジェンダー平等の影響だろう)。そういえば特にロシア、東欧では戦争に翻弄される女性の物語が多い。そうした分野でノーベル賞受賞の女性作家がいた。当ブログでも、ヒット作品「同志少女よ、敵を撃て」(22年11月)は旧ソ連女性狙撃兵の物語だったし、「赤い十字」(23年1月)は銃後で翻弄される旧ソ連出征兵士の妻の運命であった。本書もその傾向の一冊であろう。

しかしブッカー賞候補のこの作品の水準は高いし密度がある。完成に推敲を重ね9年間を要したという立派な文章である。本書のどこをめくっても特異な文体で全554頁ギッシリと詰まっている。

正直いって僕は疲れきってしまった。

5月最終週に「無痛文明論」を読んでいたのだが、煩雑な論理展開についていけず全400頁の半分もいかずに挫折した。諦めて図書館に返し、代わりに借りたのが朝日書評で知ったこの本。何か羊羮に喉が詰まって返したら今度はぼた餅に出会ったような気分で、すっかり消化不良に陥ってしまった。

著者、訳者(粟飯原文子・法政大教授)共に立派な女性文学者なのに申し訳ないが、疲れた。

物語は約40年後の1974年、預かっていた多数の写真を返すために年老いたヒルトがアディスアベバ駅でエットレを待つエピローグで終わる。本来ならエチオピアコーヒーみたいな余韻を楽しむべきだが、残念ながらその余裕がなかった。

但し表紙を始め所々に織り込まれる写真はどれも魅力的であった。


最後に自らの癒しのため「徒然雑記」の小文を添付します。

「初夏雑感」(続)。

読書では疲れましたが部屋の整理もはかどり、音楽世界にますます浸かっています。

自室のFM放送で「ながら聴き」。TVでは録画の「プライム・シアター」。今週はR・シュトラウス「ばらの騎士」(びわ湖ホール)とネトレプコの16年東京公演。……僕好みが続く。

「ばらの騎士」では30歳頃だったか、夫婦でカラヤン(彼は映像化に非常に熱心だった)制作の映画を見たことがある。侯爵夫人のエリザベート・シュヴァルツコップフは忘れることができない。歳と共に衰えていく美の魅力(よくある芸術美だが)の役柄。彼女としても最高の歌唱と演技の姿だっただろう。

今回は全員日本人歌手。やはり脳裡にはシュヴァルツコップフが浮かんでしまうが、もともとオペレッタ的な要素もある作品なのでおおいに楽しめた。

ネトレプコの東京公演があったとは知らなかった。モスクワの大きな広場での熱唱と大観衆の「ブラボー」のTVを見たことがある。それとは少々違って落ち着いているが、声量豊かでエンターテイナーとしても立派なものだ。彼女を一番初めに知ったのは正月のNHKオペラ・アワーで、まだ若い頃のネトレプコ。際だった個性と魅力があった。それから既に30年以上は経ったことだろう。

こうした昔話は一度書いたものが多いと思う。同じ話の繰り返しは老害のひとつだ。

でも、気候は清々しく、本人はまるで「後期高齢・青春期」の気分なのです。


最近ツバメの姿が少なくなったのは寂しい。以前は本牧通りでもスイスイと飛ぶ姿を見た。

「ツバメのひみつ」(ブログ20年7月)を思い出す。毎年同じ巣には同じカップルが飛来すると思いがちだがその確率は極めて小さいとか、燕尾の長い「イケメン・ツバメ」はもてるので浮気が多い、そうでないツバメは「イクメン」になるとか、面白い話の本であった。

今日の夫婦散歩の本牧山頂公園ではしきりにウグイスの声。バラが花盛り。

レストハウスでいつもの瓶コーラ。150円が突如200円になっていました。