本牧読書日記。城山三郎「官僚たちの夏」(新潮社)。

現在の「経済産業省」の前身は「通商産業省(通産省)」。戦後荒廃の日本経済を立て直した中核の官庁である。次第に経済が復活してきて、役割も統率的な立場から企業の自立・自主性を重んずる政策に重点が移ってきた。一方、1960年頃からは経済の国際化(自由化)が要求されるようになる。

しかし現実は基幹産業・重化学工業においてさえ過剰競争状態であり、官民協調で業界再編強化を図る必要が急務であった。省内でこうした「民族派」の筆頭官僚が本書の主人公・風越である。

彼が腐心・推進したのが「特定産業振興臨時措置法(特振法)」であった。

「民族派」に対抗したのが自由化を説く「国際派」。主唱者は風越と同期の玉木。

両派にはそれぞれ課長クラスのブレーンが付いていて様々な場面で互いの角逐が展開された。

色分けしてみれば民族派が情熱家・現実派であり、国際派がクールな正論派と言えるだろう。

風越には有名なモデルがいる。佐橋滋事務次官である。

「俺たちは国家に雇われている。大臣に雇われているわけじゃないんだ」と豪語し、大臣にもノー上着ノーネクタイ腕まくり姿で物申す(誇張伝説化してはいるだろうが)大立者である。


通産大臣(そして後の総理大臣)は、池田勇人、佐藤栄作、三木武夫の時代であった。

大臣は正論としては「国際派」。でも現実には「民族派」の言うことは分かるし無視できないといった立場にある。立場が一段上であれば事務次官と違ってすべてを「本音」で振る舞える訳ではない。それでも池田は元来が自由派寄りであり、かつては「中小企業が2、3社つぶれても……」の失言があった。「でも」というか「だからこそ」というべきか、「所得倍増計画」で立ち上がる日本経済と国民生活の礎石を築いた。佐藤はもう少し複雑。秘密めいた所があって(現に米国との密約が数々ある)当時の最長内閣であったが国民の人気は低かった。しかし、振り返ってみれば「歴史的に」大きな功績を残している。

吉田首相からの戦後日本の屋台骨「保守本流」であり大平・宮澤と続く系譜である。

最近宮澤の第一級資料「日録」が公開された。彼等には理想と現実のバランスの中の苦悩と工夫と「哲学」があった。これは野党は勿論、自民の二世議員には逆さにしても出てこない「知性」であり「歴史を見る眼」でもある。二世は「家業としての政治屋」即ち「当選」だけが主目的であって政策、特に必須な国策で国民には辛口の政策を推進しようとの意欲も能力もない。勇気と、情理を尽くした説得力がゼロなのだ。本書の主題ではないが政治家の「歴史的評価」についてつくづくと考えさせられる。

党人三木はもう少し好人物に見える。風越(佐橋)の「大臣に雇われているわけではない」の広言も相手が三木だから、そのままのセリフではなかったにしても佐橋の三木観が現れているのだろう。


「特振法」はスポンサー(推進団体)のない弱点が原因で国会で廃案になってしまった。

それは昭和38年(1963)の夏のことである。本書は週刊朝日連載を75年に刊行したものだが「官僚たちの夏」とはその時(63年)の夏を指すのだろう。

当時、僕は経済学部の4年生。ゼミは「日本工業論」。ゼミの討論では、自由化に晒されて日本工業は米国の下請化してしまうのではないかとの危機意識が常に存在していた。「1961」(3月ブログ)で米国旅行の大学生がフォードの大工場ラインにビックリした時からまだ2年後の頃である。

僕も学生ながらに本書と同じ時代の空気を吸っていたのである。

官民を問わず国民の統一意識は「国(民)を豊かに」であった。

懐古だけで書くわけではない。当時は無茶・無理も多々あったが、この気持ちだけは左右を問わず日本人の一致した目標であったと断言できる。これは再三繰り返すが小学生から抱いていた僕の「貧困こそ諸悪の根源」即ち幼いながらの「思想」とも相関する願いであった。

実際にその願いは実現していった。

先日テレビの「70年代サブカル」を見ていたら意識調査で「自分は中流である」が90%だったという。ちょっと信じられないし90%は誇大である。しかし経済成長の初期の満足の度合いは実に大きい。後に感じることになる「幸福感の逓減」がないのである。最初に三種の電化製品やエアコンなしの自動車を持ち、60㎡の団地部屋に入居できた時はその後のどのような喜びにも勝る幸福感に浸れるのである。

そうした70年代以降の準備期間だった「60年代」。本書はその時代の日本、即ち昭和という時代の日本を通産省幹部を役者として描いた傑作のドラマであり小説であると表現してよいだろう。


風越は一旦は玉木に事務次官の席を先行される。しかしその後任者として辣腕を振るう。そして引き際がきれい。しかるべき地位の申し出を断り小さな事務所を構えて後輩の応援者となる。

時代はいよいよ日米経済摩擦の時代となり、繊維産業から最初の火花が散る。

風越の後任はかつての腹心・庭野である。p.167「「アメリカの繊維業界自体がどれだけの合理化の努力をしたか。なぜ日本の繊維だけが犠牲にならねばならぬのか。弱い者に泣き寝入りさせるなら、政治も行政も要らぬではないか」と終始正論で押した。省内の首脳とぶつかり外務省と衝突した。話さえまとめればメリットになるという官僚的感覚を許せなかった」。

しかし対米繊維規制は、佐藤総理が沖縄返還と引きかえに約束してきたといわれ、宮澤通産大臣に「日米百年の大計のため涙をのめ」と説得されたという。風越はその庭野を外部からハラハラした眼で見つめる。しかし通産省はもう彼等の時代ではなくなっていたのだ。本書は最終章「冬また冬」で終る。

そして今や「官僚たちの夏」から61年目の夏を迎えようとしているのである。


僕は同世代の会社員だったら一度は読んだことがあるだろう城山三郎を初めて読みました。

実は予定していた「ふりさけ見れば(上・下)」を読み終えるのに時間がかかって、今週のブログに間に合わないため、急遽ピンチヒッターとして図書館の棚から見つけたのが本書でした。

自分でも不思議ですが、幾分は今の世相に対する反発が潜在してたのかも知れません。

何か自分のふるさととしての「昭和」に戻りたい気分だったのでしょう。

その意味では充分満足した本でした。

でも冷静に言って、我々世代は本当に「戦後日本の繁栄」を築き上げたのでしょうか?

確かにその一員ではありましたが本当に苦しかった時代を乗り越えた主役は父親や叔父の世代。青春や若い父親時代を戦時に費やし戦後は昼夜を分かたず「国を豊かに」することに邁進したのです。

彼等は後輩に豊かで平和な日本を残してくれました。

そして充分その恩恵に浴した我々世代は一体何を後輩に残すことができるのでしょうか。

はっきりと残しそうなのは世界一の「借金」です。

先日の「天声人語」を引用します。「他人をねちねちと諭すのは中高年の男性に多く、世直し型や過去自慢型、上から目線型などに分かれるそうだ」。

これは「カスハラ」に絡めての表現で、僕は絶対にカスハラはしていないつもりですが、いずれにしても現実は「中高年」ならぬ「超高年」。「上から目線」を超えて「何様目線」なのでしょう。

このブログだってその傾向を我ながら否定できません。

次世代に借金を残してどこの「何様」なのでしょうか。

一方TVで見る薄っぺらな若者たちの姿。やがてはタトゥ日本人も画面に現れるでしょう。

彼等に何かを言いたいし、それを今後もゼロにすることはできないと思います。

でも結局は彼等の自覚を待つしかないのです。

彼等も大人になるにつれてそれなりに落ち着いてくることを期待するのですが、もっと我々が気づかなければならないことは「まともな若者」が何倍も多く存在していること。

静かな「まとも」は年寄りの眼につかない。これは昔も今も変わらない現象です。

そうした「まともな若者」が将来の日本を支えていってくれるだろうと確信したい。

そんなことも考えつつ、この初めての城山三郎を読み終えました。