好季節が巡ってきました。今月の暦絵は「自分史」を中断して4月に読んだ本に関連して「晩春に想う」といたします。本牧徒然雑記。「5月暦絵・晩春に想う」。

①「時間はなぜあるのか?」後記。最初に前回書き残した部分を記します。

「時間論」には多くの人々が魅了されています。ある例をあげましょう。

元大森医師会・会長の川田彰得氏はある日、目黒駅のバス待ちで入った書店で偶々手にした「時間論」の本に夢中となり研究を重ね、遂に著書「時間論ノート」(ルネッサンス・アイ)まで上梓してしまいました。僕も本牧に転居した70歳以降「宗教(キリスト教)」「存在と時間」といったテーマに興味を持ち、本当にはわからないながらも、そこから離れることができません。

時間と関係の深い「記憶」についても加齢に伴いなぜ薄れていくのかとか、以前に会社の社史編集担当のS君が退職者へのヒアリングで「人の記憶は実に曖昧。数年間の出来事のズレは平気で間違っている。裁判で書証が大事ということがよくわかった」と述べていたのを思い出します。自分だって読書リストがなければどんな本を読んだか、あるいはこのブログがなければどんな内容だったか、記憶は殆ど抹消されていることでしょう。「時間論」ではこんなことが全部結びついてくるのです。

時間はどんどん過ぎ去る中で「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は絶対にないのです。

「今、ここ」を大事にしていくしかありません。つくづくとそんな事を感じます。


②変動定価(「中世の再発見」)。

「中世の再発見」で定価はあくまで需要と供給の変動によって生ずる「暫定価格」に過ぎないと書きました。20年間の「デフレ日本」に長年慣らされて、僕はすっかりこの事を忘れていました。

ウクライナ戦争を契機とする原材料価格上昇、コロナ脱却による需要拡大、日本では賃上げ気運……と、需要と供給曲線の交点が急速に上昇しています。

先月25日、高校友人(23年「12月暦絵」のI君)を自宅に招いた折、中華街「華正楼」で食事を共にしたのですが、飲んだ生ビールの価格高騰に驚きました。街は店内も街頭も客で溢れかえっています。きっと需要拡大によるものと思い込んでいました。ところがその後に見たTV「所さん事件ですよ」で生ビールの高騰は店で必要なボンベの炭酸ガスの供給が間に合わない、しかもそれは国内石油精製の減少(SDGsの影響)によるものだと知って改めて驚きました。「風が吹いて桶屋が儲かる」だったのです。

世の中ってこうした複雑な回り合わせで動いていくのですね。

引退してからは空間的にも時間的にも静かで閉ざされた世界。気が合う友達としか付き合わないし、自分と一致する意見や報道しか目を通さない(何とかバイアスというらしい)。精神が萎えてくるというか、世情に疎くなるというか、生ビールの件だって現役時代だったら飲食ですぐ知っていただろうに、そしてSDGsが石油業界のみならず鉄鋼業界など基幹産業に重大な影響を与えている実態に震撼とさせられるだろうに、今は「所さん」で知る情けなさ。ここに「引退後遺症」の一抹の寂しさを覚えるのです。

分かっていてもこの不甲斐なさがこうした瞬間に頭を持ち上げるのです。


③「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」(百人一首・百人の物語)。

「百人一首」の中の作者は阿倍仲麻呂。品格があって好きな一首です。

今日読み始めたのは安部龍太郎「ふりさけ見れば」・阿倍仲麻呂物語です。彼は中国人女性と結婚しましたが、帰国する際には離婚せざるを得ない立場にあります。彼も気の毒ですが夫人はもっと不幸。その運命を嘆じて彼女の叔父にあたる唐政府高官が詩を贈りました。「情人怨遥夜……」和訳では「恋する者には長い夜が怨めしく夜通し相手の事を思っている。灯火を消して月の光が満ちていくのをはかなみ、夜露がしとどにおりているのを知り、肌寒さを覚えて衣を羽織る。月の光を両手に満たしても恋しい人に贈るすべもなく、寝屋にもどって楽しかった頃を夢見ている」。

一人寝の夜を怨む心情を歌うこうした詩を「閨怨詩(けいえんし)」と呼ぶらしい。

そこでふと気づきました。「百人一首百人の物語」で書いた藤原道綱母「嘆きつつひとりぬるよの明くる間はいかに久しきものとかは知る」。この場合は浮気の夫ですが「閨怨詩」には違いありません。そして才女・道綱母は仲麻呂についての故事とこの詩を知っていたに違いないと……。

「函谷関」の故事を引いた百人一首・清少納言の教養は有名ですが、道綱母も負けず劣らずの教養女性であったと想像せざるを得ません。そしてその想像通りだったら、前に読んだ本の記憶が失せぬ間に関連本に出会った偶然に驚かざるを得ません。


④「しず心なく…」(「百人一首百人の物語」)。

遠縁の方ですが、尊敬するS氏が91歳で逝去されました。

長く海外を含めた金融界で重責を務められ、多くの方々から敬愛される力量と人格の本当の「紳士」でいらっしゃいました。

「久かたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」(紀友則)の想いがいたします。


この春も過ぎ去ろうとしています。

街路や公園のツツジは満開、ベランダの鉢植えハリエニシダも黄色い花をつけ始めました。

画像はいつもの「ベリー公のいとも豪華な時祷書」・5月暦絵です。

(4月30日作成5月1日掲載)。