本牧徒然雑記。「1961」(続)  ・僕と古きよきアメリカ。

著者の父親の米国旅行の1961年・秋、僕は大学2年生。そして僕の息子は1971年生まれ。

即ち著者父子と当方父子の年代はほぼ30年間隔のピッタリの同年代世代なのです。

大学生時代、クラスでも企業廻りをして寄付を募り米国・メキシコ?に出掛けたグループがありました。僕達世代のアメリカへの関心は物心ついて以来、実に大きいものだったのです。

このブログの自分史・小学校時代の思い出話でもそうした部分に触れています。

ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」の時代の横浜少年物語です。

米軍「フライヤーズ・ジム」でのクリスマス・イベント、街に流れる「センチメンタル・ジャーニー」「カモナ・マイハウス」。横浜の中心部は全部米軍接収。横須賀線には「進駐軍専用車輌」……。

因みに現在の自分は本牧の米軍住宅地跡の再開発地区に住んでいます。地元の方の話ではかつて一緒に野球を楽しんだアメリカ少年の何人かはその後ベトナムで戦死したそうです。

ミッキーマウスからブロンディ(実際金網越しに見る「ハウス」には洗濯物を干すブロンディみたいな主婦の姿があった)、西部劇、ターザン映画。「花嫁の父」を見てアメリカの家庭は皆ああいった家庭なんだと刷り込まれました。どこを向いてもそこら中が「アメリカ」だったのです。

小学校図書館で読んだ、ラッキーな日本少年がアメリカ大陸横断鉄道に乗っての旅物語には、文字通り心臓が高鳴る興奮を覚えました。

中学・高校生となれば、ゲーリー・クーパー、ヘンリー・フォンダ、ウィリアム・ホールデン、グレース・ケリー、ジューン・アリスン……と続く、豊かで公正・親切・善意に満ち満ちた「アメリカン・ライフ」の人々。豊かであるが決して派手なセレブばかりではない。着実な「中間階層」の人々です。

典型はTV「パパは何でも知っている」でしょう。

豊かさと秩序。「「最大多数の最大幸福」は「中間階級市民層の厚み」に具体化されている」は近代歴史上の「法則」といって過言ではありません。習近平でさえ「共同富裕」を口にしています。

歴史上その厚みを最も典型的に実現させたのは近代西ヨーロッパと20世紀アメリカだったし、形は違って少々貧弱だけれど、ある時期の日本でもありました。そこには我々世代の生活があり、老後はその残力を頼りに生活しているのです。戦後日本人が「アメリカと見た夢」は、この「厚い中間階層」だったと端的にイメージできるのではないでしょうか?


今や「格差と分断社会・アメリカ」。

でも「アメリカン・ライフ」のイメージは全て過去のことでしょうか?

僕には決してそうではないと思いたい部分が非常に強いのです。

乏しいながら実経験でも「善きアメリカ」を垣間見た記憶が残っています。

2004年・05年と2回、妻と2人でフィラデルフィアを短期間訪れたことがあります。

その折の①市内の歴史遺産「カーペンターズホール」での建築士会員・男女数人のグループ。

②「ロッキーの階段」で有名な市内美術館でのガイドの婦人。

③郊外の「バーンズ美術館」と周囲の緑の濃い高・中級住宅地。

④乗り継ぎシカゴへの飛行機で隣席の若い女性教師。がそれらの記憶です。

①と②はボランティア・ガイドです。彼等の英語の全てが分かった訳ではありませんが、ゆっくりはっきり話してくれるユーモアとグッド・センスと誠実さに溢れるその人柄はよく理解できました。

④はクリスマス休暇で故郷・シカゴ近接の町に帰る、丁度中学時代のフルブライト交換教師ミス・ホイットマンを思い出させるような女教師。機中、授業準備か何かでアルファベットの駒を並べていて落としたので、一緒に探したことから小一時間会話しました。埼玉県の女子高で1年間教えたことがあるとのことでした。そういえば「中西部出身」。律儀な真面目さと一種の素朴さを感じました。

20年前のこの「よきアメリカ」に今は既に「古き」がついてしまったのでしょうか?

僕はそう思いたくないのです。全国民に占める割合は小さくなったかも知れませんが、健全にその伝統と地盤は生きているはずです。「良識的共和党員」だって絶滅した訳ではないでしょう。


2年前の終戦記念日に宮澤縦一「傷魂」(22年8月ブログ)を読んだことがあります。

敗戦直前のフィリピン戦線。隊はバラバラとなり召集兵の著者は山中をさ迷う敗残の身。渇きと空腹、負傷・絶望で自決の手榴弾は不発。そこをアメリカ兵に発見されました。彼等は数人がかりで暑熱の山越えで汗だくになりながら著者を収容所病院まで運び、著者は故国の地を踏むことができたのです。

このアメリカ兵の行為がなければ、音楽評論家・宮澤縦一は存在しなかったでしょう。

これが日本兵対瀕死の中国兵だったらどうでしょうか?容易に想像することができます。

幼児からの記憶と経験・知識がアメリカへの好意に繋がっているのです。

僕は終生のアメリカ人の友人でいたいと願っています。

画像は「バーンズ・コレクション」のアルバート・C・バーンズ(デ・キリコ画)。

薬業で財を成し美術品収集、「バーンズ財団」設立。

彼も典型的な「アメリカ人」でしょう。