本牧読書日記。堀田江理「1961」・アメリカと見た夢  (岩波書店)。

1961年、世界の断トツリーダーとして自信溢れるアメリカをバスで横断した4人の日本人大学生がいた。彼等は成蹊高校の同級生を中心に慶・早が3人・東大1人のグループ。10月から12月にかけて交通手段はグレイハウンドの長距離バス。「99ドルで90日間」の若者向け乗り放題チケットとユースホステル宿泊の節約旅行である。とはいえ、その頃から流行りだした「何でも見てやろう」式の無計画旅行ではない。名目は日本外政学会企画の、大統領の弟・ロバート・ケネディ司法長官を訪問することにあった。

米国側からも大統領肝いりの平和部隊政策の一環として歓迎される旅である。

メンバーはエリート層の子弟達。そのひとり・著者の父親は堀田姓、後の住友銀行ニューヨーク支店長。その父親・著者の祖父は住銀のあの堀田庄三氏である。旅の地ならしと後援をしてくれたのはあるメンバーの父親・細野氏。戦前のILO日本代表であり戦後来日したロバート・ケネディとも親しかった。

だから、この旅は海外旅行自由化以前のエリート子弟のグランド・ツァーだったともいえる。

メンバーの中の2人は旅の日記をつけていた。

それから60余年。

著者は父親の転勤に伴い高校から米国に学び、プリンストン大・歴史学部卒・博士。オックスフォード大などで教壇に立ち、現在はニューヨークに住む家庭人であると共に著作活動を続けている。

今回のコロナ在宅期間中に父親世代の旅行日記を再精査し執筆したのが本書である。

当時の旅行記は勿論だが、それを上回って興味を引くのは国際事情、特に日米の変化を身をもって体験した著者が、そこから得た思想・歴史観を発揮して書いた本書が他に類を見ない好著であるということである。年が明けて3ヶ月、それぞれに味の濃い読書に恵まれた中でも本書は白眉であった。

今回は図書館本であるが、半年に一回位まとめて求める購入本のリストに入れる予定である。


旅行ルートはサンフランシスコ・ソルトレイクシティー・カンザスシティからシカゴ・デトロイト・ボストン・ニューヨーク・フィラデルフィア・ワシントンが前半の往路。西部から豊かで余裕たっぷりの中西部を横断して世界の中心地・東部首都圏に至るアメリカのメインストリートである。

大学を訪問したり学生達とディスカッションもする。最晩年のトルーマンに面会という奇跡にも恵まれる。「良くも悪くも米国第二の都市・シカゴ」でシアーズで買い物をしたり、在留日本人に歓待されたりする(度々親切な日米両国の家庭で歓待されるが、その多くは父親達の縁と計らいである)。

そしてまだ錆ひとつないデトロイトではフォードの工場ラインを見学している。

彼等は彼の地への憧れだけの盲目とはなっていない。しっかり見るところは見、感じるべきところは要点をとらえて感じ考えている。主目的の司法長官面会はマニュアル通りに終わる形式であった。

正式な行事よりも、彼等が感じた「アメリカ」こそが何物にも替えがたく、その後の人生を貫く素地になったのだろう。鉄は熱い内に打たれたのである。

こうした前半の旅に比して後半はテネシー・アラバマからニューオーリンズ・テキサス(ヒューストン・エルパソ)・アリゾナ・ロスアンゼルスと、人種差別にまみれたアメリカの裏面・裏街道を進む。

彼等も「話には聞いていたけれど……」の驚きと戸惑いを隠せない。

ちょうどこの時期は糊塗的に処理されてきたアメリカ社会の表面加工膜が「公民権運動」で剥がれ破られ始めた時代である。世界史的には共産勢力に対抗しての「世界の警察・アメリカ」の軍事力もヴェトナム戦の泥沼に足を突っ込む暫く前、「キューバ危機」「U2機事件」があったり、今から振り返れば米国の頂点の先にまた次の頂点が現れる時代の終わりの始まりの時期であった。

だから、旅行記の10年後に生まれた著者の半生は外では湾岸戦争やイスラムとの闘争、最近では中国、ロシアとの敵対、内には人種・ジェンダー・貧富など様々な差別・格差と人権闘争に明け暮れる、少なくともそうした観点を常に頭と心の中に留めて身構えなければならない実に「面倒臭い国・社会」に化したアメリカである。国内ドメスティック・オンリーの僕なんかとても対処できないし生き抜いていくことができない社会である(尤も元々が僕が生きていけない本格的競争社会であるのだが……)。


日米に通じ最高学府と研究生活を経験した著者の筆は想像以上に厚く豊かである。

そして「実際的」。その例は多数あげることが出来るけれど、例えば「シカゴ」。p.75~84「第二都市病」「アメリカン・スタンダード」で衰退都市、しかしそこに表れる多面性、背後には中西部が有する米国の一つの「典型性」が、東海岸の都会人とは違う形で作家F・スコット・フィッツジェラルドを通して語られる。僕はかつて読んだ岩波新書「アメリカ合衆国史(1~4)」(21年12月ブログ)や「11の国のアメリカ史(上・下)」(岩波書店)を思い出す。「エドワード・ホッパー」(青土社・19年11月)もアメリカの一面であろう。しかし著者が親達の旅行記にかぶせるようにして描く現代(こちらの方がかつての若者の行動記録よりずっと重要だろう)は、全く変容した「アメリカ」である。「実際的な」アメリカから抽出された場面の数々であり、理解ができない程に混乱に満ちた舞台なのである。

先週の朝日新聞書評に中野博文「暴力とポピュリズムのアメリカ史」(岩波新書)があった。

恐らく大統領選挙に絡めてアメリカ社会の底辺に根強く残る、というよりますます顕在化している「反・知性、暴力主義、ポピュリズム」を批判した書で機会を見て読もうと思う。

しかし一方、極端に目覚めた(work)人権主義者(僕はこれを「左派原理主義者」と呼ぶ)の動きにも、とても理解し難いものを強く感じる。この感情は著者にも共通しているようだ。

本書の例でいえばミシガン州に住む友人の14歳の娘が学校新聞に書いたごく穏健な意見が「魔女狩り」に遭った例である。これこそが「実際の米国の姿」であって、日本のジャーナリズムでは決してとらえられることのない「雰囲気」みたいな事件なのである。

この件は「トランスジェンダー」についてであった。運動者達の主張はそれはそれで結構だが、多くの一般市民が有する生来的な「男性と女性」感覚まで圧殺してしまうような「原理主義」は「自然な人間性の権利」の否定に通ずる「全体主義」の懸念がある。「全体主義」は彼等が最も嫌悪するところであろう。健全な市民もそれを最も嫌う。魔女狩りやヘイトスピーチは右も左もなくなって欲しい。

僕はブログに再三書くが「ジェンダー平等」や「LGBTQ」は個別論が基盤であって、普遍論が強制されれば市民生活を圧迫する重い蓋のような「原理主義・全体主義」へと変質する。

この考え方は恐らく著者も同調するところだと信じる。


著者が描くのは現代のアメリカだけではない。

著書に「1941  決意なき開戦」(人文書院・原著は英文)がある程の研究者である。

本書でも様々な日系米人の姿やパールハーバー、戦中の日本人収容所、米軍の日本語教育システムや、そして原爆と、日米関係についての意味の深い記述が多い。

その中で僕が注目したのは日米開戦時に多くの日本人が感じた「鬱屈感からの解放」である。

特に新たに知ったところは、それが良心的知識人にも及んでいたことである。

パールハーバー電撃作戦大成功の報道に文化人もが興奮し鬱屈から解放された。

p.258「なぜ彼らがそれほどまでに感激したのか。それはただたんに勝利に酔ったということではなく、正直「ほっとした」からではないか。中国文学者の竹内好は説明する。「率直に云へば、われらは支那事変に対して、にはかに同じがたい感情があった。疑惑がわれらを苦しめた……わが日本は、東亜建設の美名に隠れて弱いものいぢめをするのではないかと今の今まで疑ってきたのである」。つまり満州事変以来、日本政府がその対外政策に何らかのかたちで織り込んできた「アジアの盟主日本による、西洋列強からのアジアの解放」という、一種の汎アジア主義的大義が、空約束ではないことを、12月8日の離れ業が証明した、ということだった」。

この記事で端的に示されている通り、著者堀田江理氏は深い歴史認識を有している。

「体験に基づく実際性」と「深い歴史認識」はジャーナリストに最も求められる能力ではないだろうか?最近は優秀な女性の研究者が紙面に、そしてTV画面に(「モーニング・ショウ」にも)解説者として登場することが多くなった。堀田氏にも著作だけではなく(本書が初めての日本語での上梓らしいが)、機会を得て一般市民の前に新鮮な見解を表明する姿を現してくれれば大いに歓迎されるだろう。大統領選等の他にも、グローバルな問題やサブカルチャーが日常に及ぼす問題など(アメリカは政治のみならず「文化」の点でも分裂しているように僕には思える)研究者並びに生活者の視点を我々に披れきして貰えれば……と願う。これが読了しての結論的な読後感である。

一旦終了して「1961」(続)の徒然雑記に続けます。内容は「僕とアメリカ」です。