本牧読書日記。松原正毅「遊牧の人類史」・構造とその起源  (岩波書店)。

「遊牧」には誰もが憧れの気分を持つ。「ノマド」である。

確かに「遊牧」の核心は自然との共生。その基盤が人間と有蹄動物(羊、ヤギ、牛、馬、ラクダ、これを五畜と呼ぶ)との共生関係の構築にある。遊牧においては人為的な自然の改変は行われない構造になっている。「農耕」とは対照的な位置だ。

動物は人間が集めた訳ではない。元々が羊、ヤギの中型有蹄動物が季節に合わせて食を求めて群をなして移動する習性、それを利用したものだ。

動物の移動を追いかけて簡易備品だけの純粋ノマドの生活と生涯。

遊牧の目的は乳・肉から得る「食」、そして羊毛・毛皮などの「衣」と「住」。

次第に大型の牛により多量の乳量が確保され、馬、ラクダにより「運搬(車輪の利用もある)」が伴ってくる。技術的にも搾乳方法や出産繁殖技術が向上し「去勢」により動物群の統御・管理がし易くなる。馬術やラクダの操法の活用も不可欠の生活手段となってくる。

ここに何故「自由」を感じるのだろうか?「所有」の観念がないからだ、と著者はいう。

先ず「土地」の所有がない。移動した後は人煙の跡形もなく自然に戻る。婚姻などの機会のほか他のグループとの接触は極めて少ない。通常は家族・近親者の単独小グループだけである。

草を求めて動物が先導するような旅。雨露をしのぐだけの仮居で休息の夜は満天の星空。

これを束縛がんじがらめの現代人が「ロマン」と取り違えたって無理はない。

でも同時に気づく通りそんな生やさしい世界ではない。


人類はずっと採集・狩猟生活であった。その時代は圧倒的に長い。

そこから最初に脱皮したのは動物の後を追って移動する「遊牧生活」である。

ホモ・サピエンスの20数万年の歴史の中でそれはいつ頃だったのだろうか?

遊牧が現れた時期の遺物は皆無に近いからそれを特定するのはとても難しい。

しかし幾多の専門調査によって、アフリカを出立したホモ・サピエンスの何波目かの移動が西アジア(現在の中近東)で定着した内の3万5000年前位の頃だろうという。最初は羊、ヤギから始まる。牛が1万年前、馬が8000年前、ラクダが6000年前位と考えられている。犬はもっと初期だろう。

それが中央アジア、北方アジアへと拡がっていった。意外に最近のことなのである。

採集から発展して「栽培」の形で農業、即ち人類の定住生活と文明の兆しが出現するのは1万年を少々さかのぼる程度の時代の事だという。これも驚く程短い歴史である。

遊牧から農業へと段階的に推移したのではなく、採集・狩猟から最初に遊牧が、次に農業がそれぞれ別々に分離したのだ。遊牧の一部が定住化して「牧畜」になったのはずっと後の事だろう。


ただここで不思議なことがある。宗教権力の出現時期についてである。

最古の宗教的中心の創出の萌芽とみられるのがトルコのギョベクリ・テペ遺跡の祭祀遺構の出現である。古代文明発生より遥か以前の1万2000~2万年前、宗教的中心の機能を保持したこの遺構は、季節に応じた巡礼者として多数の人々の流れを引き寄せる力を発揮した可能性があるという。

採集・狩猟民が大部分で遊牧民は散在、農業はあってもごく初期のこの時代。

素朴な自然畏敬の宗教感情が想像されるにしてもそんな巨大権力が本当にあったのだろうか?

僕は従来、権力とか宗教組織といった力関係は、農業定住と土地所有を中心とする地域権力や社会構造があってこそ初めて可能であり、それが「人間文明」の芽生えと思い込んでいた。

しかしそれは必ずしも正しくない。実際はそれよりずっと以前から、むしろ「人間生来の感情」として宗教観が存在していたことが想像されるのである。いかにして生き抜いていくかといった衣食住のハードウェアと並列して、宗教という精神面のソフトウェアが存在したのだ。

「物」と「心」を合わせて「人間」が形成されてきたのだと教えられた思いがして、今回のテーマ「遊牧」とは別の副産物として新しい観念が僕の中に芽生えた。

遊牧の民も旅の途中で機会があれば必ずこの場所に立ちよった事だろう。

そう言えばキリスト教によって「邪教」とされたそれ以前の信仰では、必ず遊牧動物が犠牲供物として祭壇に捧げられた。時として人が捧げられた。人々は「神」をそうした形でとらえ、「命」というものを現在では想像できないような概念でとらえていたのだろうと思う。


「所有感覚」が希薄なノマド・遊牧民だって次第に権力構造から疎遠ではなくなってくる。

先ず農耕民との衝突である。対抗すべく遊牧民側も権力組織を持たなければならない。

所有地域のある農耕民。そこを蹂躙しかねない遊牧民の自由な移動。当然に両者は衝突する。

旧約聖書ではアベルとカインの争いで描かれている。兄弟だって争うのだ。

遊牧民族間で権力構造が成立して同族での凄惨な争いが繰り広げられるようになる。

彼等は猛烈なエネルギーを蓄えて積極姿勢に転じ異民族への攻撃を開始する。

典型的には中国史で絶えることのない北方遊牧民族の侵入。有史以来その争いの記録と遺跡は至る所で見出だされる。最後の帝国・清だって元は北方遊牧民族である。

中・近世におけるハイライトは、始祖ジンギスカンのモンゴル帝国と、トルコ族(トルキスタン出自?)のオスマン・トルコの出現であろう。

先進国中心の歴史観ではいずれも「悪役」にされているにしても、かつてののどかな「ノマド」とはいかにも程遠いその末裔達の歴史である。

19世紀から20世紀になると遊牧民の「衰退」というより「絶滅」時代となる。

近代国民国家成立に当たって、超国家性を有し統制法規に馴染まない放牧というシステムは「阻害」以外の何物でもない存在となる。

代表例が近代化を目指すトルコでの法制化による遊牧の強制的縮小。そして共産党・ソ連での急速の集団農場拡大政策に伴う弾圧である。カザフスタンでは飢饉も含め何百万人もの死者を発生させた。

今や純粋な遊牧民の存在は例外中の例外である。観光化さえしている。モンゴルでは都市市民となった旧遊牧民がノスタルジックにゲル(パオ)を別荘としている姿はテレビでよく見る。

遊牧・ノマドは既に夢物語となった。


著者は42年生まれ・京大修士卒。国立民族学博物館名誉教授。遊牧社会論、社会人類学。

本書の前半分はトルコ系遊牧民ユルックにおけるフィールドワーク経験が語られている。

余りに詳細なので割愛せざるを得ないが、よくぞここまで現地に溶け込み信頼を得て調査を尽くしたものと感嘆する。特に遊牧生活における女性と子供の役割の重要性については、ことあるごとに具体的に説明されていて初めて知ると共におおいに共感した。表紙の地味な写真にもそれが反映されている。

知力、観察力、洞察力と共に体力と持続力を要する地道な研究である。

著者は僕とほぼ同世代人。本書は数冊目の著作であるが、年齢的にも総仕上げの精魂を込めた書であろう。師である今西錦司や梅棹忠夫、あるいは親交のあった司馬遼太郎のようなカリスマ性はないが、篤実な人格が推察されるので余計に尊敬を覚える。

10年前の脳出血の後遺症で右手を使えず左手でパソコンを押して執筆したという。

最近は右手中指でも押せるようになったのでスピードが上がったと感謝している。

こんなあとがきにも心の温まる新春第一冊目の読書であった。