本牧徒然雑記。余英時「中国近世の宗教倫理と商人精神」(平凡社)。

最初に言い訳を書きますと、本書はモタモタ読んでいる内に図書館の年末年始期限(システム変更のために半月間の閉館)がきてしまい、慌てて返却したので半分位しか読んでいません。

完読していないので読書日記ではなく、「徒然雑記」とします。


経済活動、特に商業において「宗教倫理」とか「商人精神」と呼べるような「倫理性」は存在し得るのか?我々がすぐに連想するのはマックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」。それは本書でも冒頭に触れている。「ベルーフ(コーリング・召命・天職)」にキリスト教徒経済人の倫理の源泉を見出だし、それが資本主義精神に発展していくとの論理である。

この名著は学生時代初めて読み、その後も何度か読んで自分の実に雑然とした業務の背後にも幻のように屹立する指針の如くに捉えてきた。気落ちした部下を励ます時の「不合理の塊のような業務の毎日にも、時として立ち止まり耳を澄ませば「合理」の地下水脈の流れが聞こえるはずである」との自分の言葉の背後にも常にヴェーバーを意識していた。ただそのヴェーバーも中国(アジア)経済に言及した著書では当時の情報不足もあってか、本書で批判する通り「偏見気味」であることは否定できない。

著者が本書で強調しているのは中国で新儒教が与えた高度な内的緊張感である。

キリスト教においてシビアにみられる「神と人」の両世界意識。それが明、清の中国においては「天理」と「人欲」、「理」と「気」の鋭い対立として、あるいは「彼岸」と「此岸」という新儒教(+仏教、道教)思想の中で外側からは伺えないもの、即ち「内在的超越型」の中国文化として存在したという点である。いわば「外在的超越型」の西洋タイプに対するエートスと言うべきあろう。


本書にある具体的事実の数々は自分の知識不足と未完読が相まって理解できない部分が多い。

しかし今まで全く接したことがなかった中国経済史上の儒教的精神が、更に言えばアジアNIEsの経済躍進に伴って近年しばしば語られる(広い意味の)「儒教的資本主義」にも通ずる「精神」が、拡大して「世俗内的禁欲」の共通項でくくってみれば、そこにプロテスタント倫理と共通する接点すら望みうるのではないか、そんな何の根拠もない直感さえ覚える。そんな興味で読んでみた。

それらは現代の世界経済を席巻する「投機資本主義」とは真反対の地平と言いたい。

著者・余英時(ユイ イン シー)は昨年他界した華人社会での「思想界巨星」。

国共内戦で共産軍から逃れ香港からハーバード大に学ぶ。プリンストン大名誉教授であった。

彼はまた中国史上の「士」の研究者でもある(代表作「士と中国文化」)。中国史上の「士」は「知識、理知を重んじ道に志す」階級を指す。「上級知識市民」と解釈してよいだろう。


著者・余英時に融合している「儒教的企業倫理」と「上級知識市民」を想像したとき、僕の中のイメージは日本型企業経営者・特に大企業経営幹部に及ぶ。「長期経営視点」とか「先憂後楽」といった「経営思想」である。かつての日本経済ではそれが高度成長が持続するエネルギー源となっていた。

基盤としては「資本と経営の分離」があり圧倒的に「従業員出身の経営陣」。終身雇用の安定性の中で充分に蓄えた力量の発揮である。高学歴で知的能力が高く倫理感と健全な市民感覚。

そこに僕は本書での「士」と「儒教的企業精神」の結びつきを思い浮かべる。

彼等の多くは「先憂後楽」「種まき思想」である。自分の代の短期的収益より先行的設備投資・技術革新など長期的な収益確保を優先する思想。それには株主や従業員(企業内組合)も納得する。何故なら「結果を出す」からである。僕はそれらに潔い「倫理性」と信頼を感じ、人事部門という会社組織人として大いなる共感と働き甲斐を感じたといえる。単純にいえば「会社のため、従業員のため」であり、そこには「株主のため」の意識はごく薄かったと言ってよいだろう。

こんな単純発想だった昔話をしたって現代では冷笑されるだけかも知れない。「そんな甘い時代ではない」と。しかしその時代の技術開発や企業収益の恩恵は今でも余福を残しているといって過言ではないだろう。企業公害など幾多の課題も収益があったからこそ克服できた。社会インフラ整備も同様である。持ち家比率も70%程度となり子弟の高学歴化も実現。社会保障は負担と給付のアンバランスが問題になる程に充実した。21世紀になってからの借金王国ながら世界有数の福祉国家と評価してよいだろう。「働き蜂」と言われながらとにかく結果を出した。

日本の成功例がひとつのモデルになって同じ儒教文化圏の韓国・台湾・中国のみならず東南アジア各国へ、インドネシア等非儒教圏の国も含めて影響を及ぼしている。

今後多難の日本経済でもこの日本型経済思想が役立つことを期待したい。

ここで述べたような思想を堅持する経営者は、そしてその思想を支持する従業員は必ずいる。

予想以上に多数存在していると信じたい。

かつて日常語ともなっていた「労働生産性」とか「付加価値再生産構造」が復活してくるだろうか?ジャーナリズムも含めて日本全体がそうした盛り上がりの雰囲気に包まれる時代が到来するだろうか?

どうかこれが引退老人の初夢で終わってほしくない。

中途半端な読書でしたが、本書からそんなことごとを思い浮かべました。