本牧徒然雑記。「12月暦絵・加藤文元対談集「人と数学のあいだ」(トランスビュー)」。

著者は68年生まれ京大博士課程卒・東工大教授。サイエンスライターでもある数学者。

本書は朝日カルチャーセンターでの対談を纏めたもの。相手は画像・表紙の4人の論者。

著者の考え方は「数学を学ぶことは人間を学ぶこと」である。本書p.12「数学には確かに現代の科学文明の一翼を担う高度に技術的な側面がありますが、それと同時に、文化的にも人間の精神を高め、人に喜びを与えるものでもあります。それは音楽や芸術やスポーツや料理やゲームや旅行などのように、一人ひとりの人間が他ならぬ自分たちのために行う人間的活動の一つなのです」。

僕はこの考え方に全面的に同感します。楽器を弾けなくても音楽は楽しめる。楽譜をよめたり演奏することができたらなお楽しめる。サッカー選手でなくても彼等の活躍に興奮するし、迷惑にならない場所でひとりドリブルやリフティングを楽しめばよい。数学だつて同様。2次方程式を独習して忘れていたことを思い出したり、ポピュラーサイエンスから何かを知ることは大きな喜びでしょう。

現にこの対談集を読んでその本当の意味は分からなくても心にとめることはできるのです。

例えば物理学者が「スピンネットワーク理論」を説明してくれます。

「世界は時間と空間という容器に入っている」という暗黙の了解をひっくり返して「世界のもとは回転(スピン)であり、それが繋がってできた関係性のネットワークである」。更にそれを人間が勝手に「時空」と呼んでいると話されると、訳が分からなくてもとにかく「そうした考え方もあるのか」と新しい知識の一端のそのまた極く一部に触れた思いがするのです。


ここからは「自分史」に入っていきます。

11月はクラス会・OB会と4回の会食の機会がありました。各々に楽しい時間でしたが、それとは別に高校時代の友人I君との久し振り2人だけの会食は静かに記憶に残る会話でした。彼は東大工学部・院から科学技術庁の研究所に入った流体力学分野の研究者です。定年後は私大の教授も経験しています。一貫しているのは「数学研究者」であること。教授引退後も現役研究者と交流して研究会を主宰し論文を書いたりしていましたが、4年前に夫人を亡くされてからは意欲が衰えたと言っています。

流体力学の話を聴いても面白い。規則正しい流体の流れ、例えば水道を小さく開栓した時の水のスムーズな流れを「層流」と呼び、大きく開栓時の不規則な流れを「乱流」と呼ぶそうです。僕は飛行機の翼の両面の空気の流れの知識から乱流は人間にとっての「悪役」との先入観を持っていましたが、彼はそうした単純認識を覆す話をいろいろとしてくれました。考えてみれば当たり前。自然は人間の都合に合わせて作られている訳ではありません。益虫ばかりで害虫ゼロの世界だったら生物史は成立しないでしょう。

彼は層流・乱流の転換についての数学的解明が主テーマだったようです。

何事もあることを長年追究した人物の話は奥が深く興味深いところが必ずあります。

僕の方から出した話題は「次元」の話。「X.Y.Zの3次元と時間を虚数i.で捉える複素数4次元、その裏面・反面の8立体象限が我々に捉えられる世界ではないか?超弦理論等の11次元論、残りの3次元はどこかに折り込まれている」との素人持論を述べたのに対して、彼は「変数はもしかしたら無限にあると考えるべきである。虚数だってj,k,…と続く。それをn次元と限定的に考えるのは、そうした条件でなければ理論を積み上げる事ができない。研究者が共通的に理解しあう為の手段として使われるのである」と述べました。「理数プロパー」はそういった発想にまで及ぶのか!と感じ、前述の「スピンネットワーク理論」も、テレビで知った「ホログラフィック世界」も、超弦理論、原始ブラックホール等々も、僕には「五里霧中」であっても、未知の世界に挑む「人間知性」の素晴らしさに改めて心を打たれました。


彼とは56年4月から3年間都立小山台高校の同級生でした。僕の中学には附属高校がなかったので100人の同級生は県内では湘南、翠嵐、平沼(女子)等、県外では教育大や都立大附属、日比谷、小山台と、当時は全盛だった公立進学高へと進みました。小山台は東大進学全国13~4位、地元大岡山の東工大では1位。神奈川県に近い武蔵小山だったので越境入学者が多く、同じ中学からは4人入学しました。

大学進学一本道の高校生活で僕は人生最初の挫折感を味わいました。優秀な同級生は全員といってよいほど理数系優秀者なのです。数学でもただ解くというだけでない「エレガントな解答」が流行っていて、より核心的な、あるいは次のステップを折り込んだような解答を競う授業の進め方です。

評価は全教科総合点ですから自分の成績順位はそれなりですが、数学だけは惨めなもの。

その最優秀者にI君がいました。彼は柔道もやっていて秀才っぽさを出さないためか、僕とはよく付き合ってくれました。もう一人仲間にT君がいて彼は誰が見ても秀才。I君はT君と2人きりの緊張の後は僕の所に来て「君と話しているとホッとするよ」と本音を漏らすこともありました。更に他のクラスには「上には上がいる」。その中の幾人かは経済的に恵まれない家庭。世代的に戦争で夫を失った母子家庭も多かったのです。まだ敗戦11年後の年です。「貧家に孝子現わる」。これをめちゃめちゃにしたのが例の「学校群制度」でした。これについては次回に恨みごとを書こうと思います。

いずれにせよ、そんな学校風景だったのです。


2年生になると早くも進学対策として理系・文系にコースが分けられます。8クラスで理6、文2だったと思います。僕はここで気弱にも文系を選んでしまいました。将来、大学・職業と理数優秀者と競いあう自信が持てなかったからです。進んでみて気付いたのは「文系」はどちらかというと「文学部系」だったのですね。社会学系志望なのですから理系を選んでおけばよかった。やはり当時は「世間知らず」だったのです。数ⅲを履修しなかった引け目がしつこくもどこかに残っていて、引退後74歳にして高校数学を再学習した「奇行」にもそれが反映しているのでしょう。

でもこの「奇行」から得たメリットは実に大きい。何十年も世の中を渡ってきて自由な身分で学ぶ数学はその思考範囲が高校時代とは違います。数学から得た直感とか洞察力とでも言ったら適当でしょうか。文字通り文・理の境目を越えた「見方・考え方」なのです。本稿冒頭の「数学を学ぶことは人間を学ぶことでもある」に通じる意義です。広い意味の「人生とは学ぶこと=再学習の連続」の実現です。

19年7月に数学学習を終えて直ぐに始めたのがこの読書ブログ。ブログ作りは浦安時代に経験しているとはいえ、再度ブログを始めたについては数学学習が強い契機となっています。

つい先日の新聞で17歳の男子高校生の次の主旨の投稿を読みました。「自分は数学が嫌いであった。しかし「ベクトル」を学び「点A、B、CにおいてA→BのベクトルとB→Cのベクトルの和はA→Cのベクトルと等しい(ベクトルの加法)を知って人間も同じであると思った。直行しても回り道しても同じ人生だ」。彼は確かに学んでいます。投稿が採用されたのもその観点からでしょう。テレビを見ている限りでは近頃稀有な若者の姿です。しかし昔と同じ若者は多数存在しているのです。

マスコミもこうして伸びていく若者をどんどんと取り上げて貰いたいと思います。


I君とはその後も付き合いが続きました。

大学生になってT君も含めた3人で泊りがけで房総海水浴に出掛けたり(館山まではまだ電化されていなかったような気がする)、他の諸君とドライブを楽しんだり。就職してから一緒に飲んで彼の大森の実家に泊めて貰った折には、当時東京女子大生の奥さんの写真を見せて交際中と話してくれました。

結婚後もお互いの家族付き合いです。I君と僕の義兄(妻の兄)とがオックスフォード大学での研究者生活が偶然同じ時期だったので、そちらでも家族付き合いがありました。

そんなI君とも僕が本牧に転居してからは年賀状だけで、会うのは久し振り。待ち合わせ場所で会った時は心の中を涙が流れました。特に彼が夫人を亡くしてからの心境を語り、そこに僕は同情以上の何物をも供することのできないもどかしさ。やや場違いの「次元」の話題を持ち出したのも、そうしたもどかしさの反映であったのかも知れません。

音信が途絶えたT君の消息を尋ねたところ、I君もいろいろと接触を図ったのだがT君の心境があるのか、通信が途絶えているそうです。「歳月」はそういうものかと、また別の感慨にとらわれました。

卒業したのが18歳、今や82歳ですからね。1の位の8が10の位の数字になっています。

最近は夫人に先立たれた訃報も時折あります。I君との会食の前日は会社同期4人組の恒例・上野精養軒での会食。その内の一人N君も3年程前に職場結婚だったので僕も知っている奥さんを亡くしました。先輩、同輩のみならず後輩の訃報も耳にします。年賀状は100枚を切りました。相手から断りにくい後輩にはこちらから最後の賀状にするのが礼儀かな、とも思い始めております。


筆の赴くままに記していたら、数学話→自分史からいつの間にか年寄りの述懐となってしまいました。これからの「暦絵・自分史」も同様となっていくことでしょう。なるべく短く切り上げようとは思っています。なお自分史の前回最後稿は社会的関心が芽生えだした中学時代の「4月暦絵」「5月暦絵」です。未読の方は合わせてお読み下されば嬉しく存じます。

(訂正)写真は間違えて他の本も追加してしまいました。削除の方法が分からないのでそのまま投稿します。一覧目次の写真はどちらが採用されるのかは分かりません。まことに恥ずかしい技術未熟です。